「モノクロの光」

第3章 被写体を切り取る
 「この呼吸を感じられない世界は私のモノクロ写真そのもの。こ
んなところにいたくない」そう訴えても、こびとは冷ややかな表情。
「さっきどうしてドクウツギは写真に吸い込まれたと思う?」
 カエデの写真には、山の麓の川で遊ぶ子供達。午後の日差しに照
らされた水面に反射する光や、子供達が水を掛け合う一粒一粒の水
に宿る艶やかな光。まばゆく柔らかな光が存在している。モノクロ
の世界、写っている全てのものに生命が感じられる。「サクラの写
真には、生きた光がないの?」
 フィルムカメラを始めたのは祖父がきっかけだった。小さい頃か
ら敏感で人付き合いが苦手な私に、言葉に代わる表現の手段として、
祖父はカメラの技術や精神を授け、私の感性を大切に育ててくれた。
 撮り直しができないフィルム写真、色の武器がない分光の状態が
しっかりと確かめられ誤魔化しがきかないモノクロ写真。厳しい世
界で、前向きに自分の表現を探し続けた。けれど、社会に出て激し
いライバルとの競争に疲弊していった。自分の表現よりも人との争
いに心を消費してしまう弱い自分。いつからか、誰に見せても私の
写真には「生きた光がない」と言われた。
 思い出しながら今までずっと忘れていたことに思い当たる。「モ
ノクロの世界の下にはカラフルな世界が広がっている。世界をモノ
クロで切り取るというのは、本質を切り取ること。ありのままの世
界にある本質を光で切り取りたい、その思いでモノクロでの表現を
ずっと追求してきた」こびとが聞く。「元の世界に戻ったらまた汚
くて面倒な人との関わりに疲れるよ」「それでも、その中で自分の
表現を見失わずにあがかなければいけなかった」「じゃあ逃げちゃ
だめだよね」「逃げない。元の世界に戻って、もう一度挑戦したい。
自分の表現を、生きた光を探し続けたい」。

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