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心がささくれ立ったそんな日は

今年の1月から起業を目指して、県内のとある起業支援拠点に出入りしています。そこには、経営者・士業・エンジニアなどスタートアップにおいて支援してくれる専門家が在籍していて、月額料金はかかりますが、その施設利用と専門家であるサポーターに相談が出来る仕組になっています。

私は、息子の入院生活の経験から、子どもに関わる仕事に就きたいと考え、家庭と両立しながら息子の側で仕事をするにはどうしたらいいかと悩んだ末、起業することを選択しました。

その起業支援拠点を、去ることにしました。そこで、多大なパワハラを受けたからです。たった1人のサポーターとの関わりで起こったことでしたが、このままこの支援拠点にいると、起業への意欲をなくしてしまう、子どものための事業を起こす私が笑顔でいられなくなってしまう、そう思い、辞めることにしました。

どんなパワハラかというと、とにかく、言葉がキツい。言葉が暴力だということを自覚することなく、自分が絶対正義だという前提でマウントをとって上からものを言う。私は文章を書くことや言葉を使って自己表現することに自信と誇りを持って生きてきましたが、私が思いを込めて書いた文章を「何言ってるのか全然わかんないですけど、全くわからないんですけど。」と鼻で笑いながら言う。そこには、私の息子の入院生活についての記載も、息子の入院していたときの写真も掲載していました。そのことまで否定された気がして、本当に、おぞましいことをする奴だなと思いました。ある時は、当該サポーターに見てもらうための原稿を焦って書いて出したものについては、「もっと文章うまい人に書き方聞いたら?」と言われました。結局、平常時ではうまく書けても、あのクソデブにまた何か言われるんじゃないか、怒られる、キツいことを言われるんじゃないか、そう思うと、いつものように書けなくて。これはもう、クソデブと関わってはいけない信号だなと思いました。

また、あるとき、私の事業は子どもの自己肯定感を上げるための事業だと説明すると、その場で「自己肯定感」をググり始め、「どうしてその内容で自己肯定感が上がるんですか?」と聞かれ、答える。でも納得されず、「だから、どうしてそれで上がるの?」にらみ付けるような目で見られ、剣のある言い方で何度も何度も言い直させられる。結局、そのサポーターの考えに沿うアウトプットになるまで、納得してもらえない。だから、結論アウトプットされたものは、私が思い描いている事業像とはかけ離れていました。

子どもが自由に選択し決定でき、生きやすい社会にしたい、そのために子どもの自己肯定感を上げたい。私、なんでそんなこと考えたんだっけ、と、ピリピリした空気の中で詰められると頭が真っ白になり、うまく考えがまとまらず、しどろもどろになる。それでも、必死に食い下がってその時は戦いました。

上から目線、人をバカにする。でもその方は優秀なんだそうです。1つの案件で月100万以上のお金をもらう、それだけの力があるそうです。そして、私にはそんな態度でも、別の女性にはデレデレする。その女性は、クソデブを転がすのがとても上手い。クラブのママ的な感じです。そんなことをしなければ、起業がうまくいかないのか、時間の無駄だと思い、辞めることにしました。

パワハラだと組織に訴えても変わらないと思ったので、波風立ててませんが、起業支援拠点の中で親しい人には、「クソデブ(当該サポーター)にパワハラされた!」と真実を告げました(表だっては問題にしないが、何とか社会的制裁を与えたいという私の悪あがきです)。

そうすると、ある人は「これからは優しさの時代。そういう人だけが残っていく。私が笑顔で起業出来ることが1番。」だと励ましてくれて。また、ある人は、すぐに電話をくれて、「何があったの?辞める必要ないじゃん。クソデブだけどっかやってもらえばいいじゃん!」と話を聞いてくれて。ある人は「そんな事があったのに、何も出来なくてごめんなさい。でもずっと私たちの関係は変わらないから。」と言ってくれて。「うまいもの食いましょう!」とすぐにランチに誘ってくれる人もいて。

起業支援拠点にいた1年くらいの期間、こうした優しい人たちと繋がれたこと、パワハラされたことでより本当の優しさが何か分かったことが、今回の経験で得た財産だなと思いました。

頑張ろう。息子のために。子ども達のために。

言葉の暴力や不条理にさらされても負けない心を持とう。

起業の話はまた別途書きます。おやすみなさい。

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