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本と知性について。(賢くなりうるのか)

 考えることのできる人、もしくは知識の豊富な人が本を手に取るのは何ゆえになのか。それは好きだからでしかない。対して、受験生が参考書を手に取るのは何ゆえにか。それは狭義で言えば、傾向を掴むためである。では今から起業する人が本を手に取るのは何ゆえにか。それは(受験生の例に似ているのだが)コツを得るためである。このように本を手に取る理由は身分によって変わるのだ。(嫌な言い方だが)
 とすればつまりは、かかることが判明する。すなわち、本は知恵を与えうるということが判明するのである。がしかし、実にこのことこそが根幹なのだが、その「知恵」というものが元来、それが人を「知者」たらしめているのであるのだが、「知者」とは実践的知識が認められて人々からそう呼ばれているのだからつまりは、「考える」という知性なくして人は本から「知恵なるもの」は得られないのである。だからすなわち、乱読は時間の無駄なのである。(だがもちろん、その知ったことについて、それら一つ一つについて考えられているなら別であるのだが、それは事実人間には無理であり、それはなぜかというと知恵を知恵たらしめるには多くのそれに関する知識と経験を要するのみならず、実践的なものまでそれを高めるにはどれ程頭の良い者でもある程度の時間的制約があるし、かてて加えて人間は同時に複数のことはできない生き物だからである)

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