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『捨てられた世界の果てに』

どうして歴史なんか学ばなければならないのですか。
そう食ってかかってきたのは、F君だ。
夏休み前の最後の授業で、宿題を出した。
世界史に関すると思うものについてレポートを書きなさい。
ただし、原稿用紙にして、10枚以上。
資料、図等は枚数に含みます。
かなりサービスしたつもりだ。
世界史に関するものなど、逆に関係しないものを探すのが難しい。
夏休みの家族旅行だって、こじつけることが可能だ。
それに、地図や写真も枚数に含まれるのだ。
歓声こそ上がらなかったが、それを理解したいく人かの生徒はニンマリしていた。

ところが、F君は食ってかかってきた。
先生、歴史を学ぶことになんの意味があるのですか。
過去はもう変えられないんですよ。
僕たちは未来のことを考えるべきだと思います。
私が新人の教師だからでないのはわかっている。
彼は、そんな生徒ではない。
何か、そのようなものを読んだのだろうか。
とにかく、教師としては、答えなければならない。
というか、世界史を教えるものとしては、彼の意見を否定しなければならない。

もちろん、過去は変えられないわ。
それはあなたの言うとおりよ。
そして、未来は変えられるかもしれない。
でも、その未来を変えようとするときに、どうすればうまく行くのか。
あるいは、どうすれば、うまく行かないのか。
少なくとも、同じ過ちを繰り返さないために、私たちは歴史を学ぶ必要があるの。
あなたは、この間の試合でシュートを外したわね。
試合の後、何がいけなかったのかを考えたでしょう。
足の運びが良くなかったのか。
腰の位置が高かったのか。
つま先の角度が悪かったのか。
その時のキックを振り返り分析をした。
ミスを取り消すことはできないけれど、同じミスをしないために練習を繰り返している。
それと同じことなのよ。

彼は、サッカー部でフォワードだった。
たまたま先日の練習試合を職員室から眺めていた。
というよりも、F君を探していたら、たまたま練習試合をやっていた。

納得したのかどうかわからないが、彼は長髪をかきながら、照れたように笑って教室を出ていった。
その後ろ姿に、私は語りかけた。
でもね、本当は変えられるのよ、過去は。
もちろん、過去が変われば未来も変わるわね。
そして、未来を変えるために変えなければならない過去もある。
そしてね、そのためには、F君…

私たちのような人間がこの世界に何人いるのかは、わからない。
知らされてもいないし、知ったところで意味はない。
私も最初は、普通の人間だと思っていた。
疑う根拠などどこにもない。
見た目は他の子供と変わらない。
それに、みんなが好む映画のヒーローのように特殊なパワーがあるわけでもない。
成長して、私は家族を持った。
夫は、地方の公務員で私はいわゆる専業主婦だった。
世界は戦争の真っ只中だった。
毎日の苦しいやりくりに思いを致している時に、突然、その世界は終わった。

気がついた時、私は、襟章のついた制服を着て、ある作戦会議の場所にいた。
私は、すでに理解していた。
あの、一番前に座って、こちらを睨みつけている、ちょび髭の小柄な男。
彼を殺すのが、私に課された使命だと。
前の世界では、あの男の始めた戦争が各国を巻き込み、最終的には、敵国が核爆弾を数発落として世界は終わった。
いずれ、戦い続けて終わるか、その爆弾で終わるしかなかったのかもしれないけれど。
とにかく、そのそもそもの戦争を回避させるためにあの男を殺した。

それでも、人間というものは、歴史から何も学びはしなかった。
その世界も、結局は、何十年か後に、ある独裁者が現れて、狂気の果てに世界を終わらせてしまった。
次の世界でその独裁者は、幼い頃に消されることになる。
彼の幼なじみとしてその世界に生まれた私は、郊外の廃墟に誘い、突き落とした。
その後も、何度も、何度も、愚かな人間は世界を終わらせてきた。
私はそのたびに、新しい使命を受けて生まれ変わった。

これが新しい人生ならば、それも耐えられるのかもしれない。
たった一度の使命なら。
だが、何度も何度も繰り返して生まれ変わり、前の世界の記憶が消されるわけでもない。
積み重なった記憶と、どう折り合いをつけていけばいいのか。
せめて、どこかにいるはずの仲間がわかれば、慰め合うこともできるのかもしれない。
遥か遠くのニュースを見て、ああこれは仲間の仕業だなと思うことはあるが、そこまでだ。
時には、いつになればあなたたちは気づくのかと、人間を批判したくなる。
むしろ、次から次に現れるキーパーソンを消すよりも、そのように説いて回った方が効果的ではないのかと思うこともある。
だが、大昔にそんな男を磔にした人間だ。
そもそも、人間が過ちではないのかと、酒に酔って10代の頃のように叫べる時にはまだ楽だ。
幼い子供に生まれ変わった世界では、その思いを言葉にすることさえ叶わない。
重い重いものが幼い胸の中に溜まり続ける。

放置された世界もある。
私たちの力だけでは変えられない未来もあるということだ。
時には、歴史の力がそこまで強いこともある。
私たちの誰ひとりとして、そのターゲットに巡り合わないこともある。
そんな時には、私たちだけに知らされる最後の時までに、私たちは自らの命を絶って、新しい世界に生まれ変わる。
そして、さかのぼればそれに突き当たるような発明や発見を、時には研究の段階でつぶしてしまう。
産業革命そのものを、歴史の教科書から消し去ったこともある。
しかし、結局は、同じだった。
少し前の世界では、人間は、地球そのものを破壊してかかった。
誰が破壊したのか、誰にも分からない。
多くの人間の何気ない行動が複雑に絡み合った結果だ。
地球を守ると言われる大気の層に穴を開け、水陸のバランスをとっていた氷山を解凍して、人間は水と炎に呑み込まれてしまった。
そうでないものは、砂に埋もれた。
私は、人間が全てを諦めて争いを始める直前に、その世界をうっちゃって命を絶ったから、この目で見た訳ではないのだが。
その世界は結構気に入っていたので、残念だった。

私は、この世界では、高校の世界史の教師として教壇に立っている。
気がついた時には、この教室でメソポタミア文明を教えていた。
この世界で私がここに至るまで、どのように辻褄が合わされているのかはわからない。
もしかすると、私のような世界史の教師がいて、その体を借りて私が生まれ変わったのかもしれない。

校門のところで、友人と一緒に帰るF君に追いついた。
呼びかけると、彼は立ち止まった。
「今度の試合でゴールを決めたら、宿題は免除してあげてもいいわよ」
友人たちがブーイングを浴びせるなか、彼はガッツポーズをした。
私は、私の言葉が嘘ではないのを知っている。
彼はもう宿題をやる必要はない。
次の試合で、彼はシュートを決めて、同じようにガッツポーズをする。
その希望に満ちた後ろ姿を、私は校舎の屋上から撃ち抜く。
前の世界で、十数年後の彼がひとつのボタンを押したときよりも、ほんの少しこの世界を長引かせるために。

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