見出し画像

『村上春樹はくせになる』を読む

やるべき課題が山積みであるにもかかわらず、何もやる気がしない一日でした。朝6:00過ぎには目が覚めたものの、心配事が頭の中を駆け巡ってしまい、ずるずると昼過ぎまで寝床から起き上がれませんでした。客観的にはこれがプチ鬱状態による現実逃避といったところでしょうか。枕の横に置いてあった、清水良典『村上春樹はくせになる』(朝日新書2006)を貪り読んで過ごしました。

無数にある村上春樹論

村上春樹氏(1949/1/12-)は、日本で最も人気のある作家の一人であり、孤高の作家という地位を貫いています。作品については好き嫌いがわかれ、熱狂的に偏愛するコアなファンがいる一方で、「肌に合わない」と遠ざけている人も同数くらいいそうです。

私にとって、村上春樹氏は本書の題名通り「くせになる」作家です。無性に読みたくなる時が数年に一度訪れ、読み始めるとやめられずに徹夜で読み続けたりします。とはいえ、全ての作品を読んでいる訳ではなく、代表作である『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』、最新作の『騎士団長殺し』は読んでいません。読みたいという精神状態にならない時は、数年遠ざかっている時もありました。

世界的にも著名な作家なので、村上春樹論や村上作品解説本は無数にあり、それらはよく読みます。村上作品は一見とっつき易く見え、文学的素養や知識がなくても楽しめるものの、きちんと読み込もうとするとかなり難解な構造です。助けがいります。こんなに解説本を読んでいる作家は他にいません。本書もそんな一作で、デビュー作から「アフターダーク」(2004年)までの作品に触れています。

1995年の転機

清水氏は、村上氏は1995年を境に大幅なフルモデル・チェンジを行ったという説を唱えています。確かに、1995年に起こった阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に感化されて書かれた『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』という作品は、村上作品の中で特別な異彩を放っています。

ベストセラー作家になって以降の1980年代後半から1990年代前半に、村上氏は日本を離れ、執筆の場を海外に求めていました。村上氏にとっては、日本の文壇的小説から距離を置くためのイグザイル(国境離脱)の意味合いもあったようです。清水氏は、村上氏が日本に帰国する直前に書かれた『国境の南、太陽の西』に対し、現在(当時)の日本に対するリアリティへの理解不足、過去の蓄積した言葉の財産だけで組み立てられた小説、と批判的な評価を加えています。私にとっては割と好きな作品なんですが、プロの批評家は、村上氏の微かな小説家としての行き詰まりを感じ取っていたようです。

清水氏が分析している通り、被害者への丹念なインタビューを通じて、ルポルタージュ風の二作品に挑戦したことが、その後の文体の転換や多彩な実験的手法を試すに繋がったのかもしれません。

くせになる理由

清水氏は、村上作品がくせになる、はまってしまう理由を終章で、三つ書いています。

● 一貫性がある
● 不思議な浸透力がある
● 変化と多様性がある。

いずれにも合意します。村上作品には確かに

人間の心には得体の知れない暗闇の部分が隠されている(P208)

というビジョンが潜んでいます。一見平凡な登場人物が、必ず心の闇を隠し持っている。そこに親近感を感じてしまったり、ねっとりとまとわりついてくるような感覚があります。

謎解きをする面白さもあります。村上作品には、回収されないままフェードアウトするエピソードが多いので、論理的な構造の物語を好む人には不評な場合も多いですが、私は矛盾があまり気になりません。

毎回新しい手法を採り入れている、という指摘は私には気付かない点でした。読み進めていくと、毎回村上文体としかいいようのない独特の空気感に酔いしれることが少なくありません。また、久しぶりに村上小説を読みたくなった夜でした。


この記事が参加している募集

#推薦図書

42,581件

#読書感想文

189,685件

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。