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ハナちゃん ハワイへ行く 〜私の婚活漂流記〜 ⛵️#3

⛵️Sailing 3:ハナちゃん  いざハワイへ!


Try everything !🤙

私は留学前、日本で朝から晩まで働いていたことが信じられないくらい、
毎日の生活が一変した。
何もかもが新鮮で、不安もあったが楽しみの方が大きかった。

語学学校に通いながら大学院に行ったり、図書館で勉強したり、様々なボランティアに参加したり・・・幼稚園や小学校、高校に見学に訪れたりもした。

母が言っていたように、こんな機会は人生で滅多にあるものじゃない。
2年間を有意義に使わなくては!
私はたくさんの人々と出会う機会をつくり、文化や価値観を知ろうと、色々なことにチャレンジした。

たとえば、日本語学校でのボランティア。
毎週土曜日にハワイ大学内で日本語学校が開かれるのだが、私は日本語を勉強している生徒の話し相手になったり、日本文化などを紹介したりした。
生徒といっても年代はバラバラで、老若男女、様々な人と知り合うことができ、
とても面白かった。

日本文化について紹介することは、新たな発見があり、自分自身の勉強にもなったし、ハワイの人々が日本を大好きなことを知り嬉しかったりもした。

日本語の授業のあとには、何人かの生徒たちが残って、今度は逆に英語のボランティアをしてくれた。英語の話し相手になってくれるのだ。

ホスピスのボランティアでは、そこで暮らしているお年寄りの方々の話し相手になったり、食事の準備を手伝ったりした。

ハワイなので日本人の方も多く、私とは初対面なのにとても懐かしがってくれた。昔話を聞いていると、なんだかとても切なくなった。彼/彼女らは一体どうやって戦後のハワイを生き抜いてきたのだろう。日本の敵国だったハワイで。

きっと壮絶な人生を歩んでこられたにちがいない。ハワイでこうして今、日本人が平和に暮らしたり観光に来たりできるのは、彼/彼女らのおかげだと思うと、感謝せずにはいられなかった。

これらのボランティア経験は、ハワイの文化や現地の人々と直接ふれあえる、素晴らしい機会となった。


Dr.Jとの出会い🧶

とりわけ勉強になったのは、ワイキキ小学校によく見学に行かせてもらったことだ。私はハワイ大学で先生をされている日本人のI先生夫妻を通して、ハワイ大学大学院のジャクソン博士と出会い、2年間大変お世話になった。

彼は日本の教育関係者も注目している、P4C(Philosophy for Children 子どものための哲学)のハワイ版を考え、提唱された。
私が滞在中にも、たくさんの日本からの見学者とお会いした。主には学校関係者で、中には教科書を作成している方々もいた。
日本では東日本大震災の後、仙台の小中学校を中心に広まったと聞いている。

ジャクソン博士のトレードマークはハンチングハットだ。
みんなからはDr.Jと親しみを込めて呼ばれている。
笑顔がこれでもかというほど優しくて、私は祖父を思い出した。
あんなに笑顔の素敵な人は、なかなかいないと思う。
子どもが大好きで、純粋な心をもっている人だけが放つことのできる、とびきりの笑顔だ。

私は彼のおかげでワイキキ小学校の幼稚園クラスから小学校クラスまで、様々なクラスを見学させてもらった。

私が2年間で経験したことは、良いことも悪いことも、ここではとても書き尽くせないが、日本にあのままいたら、どれも経験できなかったことだ。

あの時、「チャンスの神様は前髪しかない!」と私の背中を押してくれた母に、
心から感謝している。


私は典型的な日本人✍️

最初はなかなか英語を話せなかった。
日本人特有の『完璧じゃないと恥ずかしい。恥ずかしいくらいなら、黙っているほうがマシだ』という考え方が、脳みそに染みついていたのだと思う。
小学生のころから小心者で、自分の言いたいことをハッキリと言えなかったというのもある。

一般的に日本人は、受験勉強で英語はバリバリ勉強してきたので、『読み・書き』は得意だが、『聴く・話す』は不得意だと言われる。
私も全くその通りだった。
人とコミュニケーションをとるのに大事なのは『聴く・話す』なのに!

『私って典型的な日本人だな』とよく思ったし、落ち込んだ。

知り合いができても、リスニング力に自信のない私は、『間違えて答えてしまっては大変だ』と思い、念のためにと思ってよく聞き返した。確認した方がいいと思ったからだ。

すると相手からは『この人はあんまり英語がわかっていないんだな』と思われるようになり、その後の会話がテンポよく続かなくなってしまった。

そんな経験が何度かつづき、私は気づいた。
結局のところ、自分に自信がなかったのだ。
そう気づいてからは、もう聞き返すのをやめた。


クラスメイトからの励まし🏄‍♀️

自分に自信がなかった頃、クラスメイトが何度かエールを送ってくれたことが
ある。

留学に行ってすぐの頃、語学学校のスイス人の男の子がこんな言葉をかけてくれた。
「サーフィンはできる?僕は全然できなかったけど、ハワイに来てから練習して、だんだんとできるようになったよ。英語も一緒だよ!最初は誰だってできないんだ。それがあたりまえなんだ。まちがえてもいいから、どんどんトライした方が
いいよ!がんばって!」

彼は私よりもうんと若い20代の男の子だった。
そんな年下に励まされて、『なんだか私って情けないなぁ』と思ったが、素直にうれしくもあった。

大学院に行き出してからは、今でも忘れられない感動した授業がある。

私が参加していたDr.Jのクラスは3分の2が社会人で、ほとんどが現役の先生や、先生を志望している人たちだった。
みんなとてもパッションがあって、授業中の発言は興味深く、日本にもこんなふうに様々な分野の先生たちが集えるコミュニティがあればいいのにと思ったほどだ。
夢や悩みを共有でき、もっと先生たちが働きやすくなるのではないかと感じた。
私にとってこの授業に参加できたことは、とても貴重な経験だった。

その日は学期の最終授業で、1人ずつ授業を受けた感想を述べた。
みんながDr.Jやクラスメイトにとても感謝していると言っていたことが印象的だった。

次は私の言う番だ。私は少し緊張しながら、
「みんなともっと話せるように、英語をもっともっとがんばって勉強しておけばよかった」
と言った。私の心からの本音だった。

すると幼稚園の先生をしているナラが突然、クラスのみんなに語り始めた。

「3カ国語を話せる人を何て言うんだっけ?」
「トライリンガル!」
みんなが答えると、彼女は、
「じゃあ2カ国語は?」
「バイリンガル!」
「じゃあ1つの言語しか話せない人は?」
「モノ?」
とみんなが答えると、彼女はすかさず、
「それが私たちアメリカンよ!ハナは英語がうまく話せないと言うけれど、私たちは英語しか話せない。だからあなたが英語で私たちと話してくれることに、とても感謝しているわ」
と言ってくれたのだ。

あの時のことを思い出すと、今でも泣きそうになる。私だけでなくベトナムや韓国から来ていた留学生達も、皆とてもうれしそうだった。
相手のことを思いやってくれる、素晴らしいクラスメイトだと思った。
そしてそんなクラス環境を作り上げたDr.Jは、やっぱり最高の先生だと思った。

あの日のクラス風景は、きっと一生忘れない。


Dr.Jから学んだこと🌈

学生時代、就職活動前に、作文の書き方を学ぶ講座を受講したことがある。

毎回お題が出され、作文を書き、その場で添削してもらう。作文のタイトルはすっかり忘れてしまったが、意見の相違の大きな社会問題についてだった。

ある時、賛成意見を書くか、反対意見を書くか、とても悩んだ私は、正直にそう書いた。なぜなら、どちらの意見も分かるからだ。この点では賛成だが、この点では反対・・・。あなたなら、どう思いますか?と。

私にはどちらの意見が正しいのか、答えは分からなかった。
すると、私の作文を読んだ先生は、顔をしかめながらこう言った。

「賛成か反対か、どちらかに決めなさい。そしてその決めた方の結果になるように、文章を導いていきなさい。でないと中途半端で作文が成り立たないよ」

私は、ウソは書きたくなかった。この先生の言うことが間違っていないことは分かる。でも、どうも納得がいかなかった。思ってもいないことを、どうして書かなければならないのだろう。結局、その講座は行かなくなってしまった。 

それ以来、時折思い出しては、ずっと疑問に思いつづけてきた。
物事って白黒ハッキリさせないとダメなのかな?グレーゾーンはダメなのかな?
むしろグレーゾーンの中にこそ、大切な何かがあるような気がするんだけどなぁ。

その答えは、Dr.Jが教えてくれた。彼の授業で学んだこと。
大切なことは、AかBか?何が正しいのか答えを出すことではない。

大切なことは、自分の頭で考えること。そして、人の意見に耳を傾けることだ。
AかBか?じゃない。AもBも、なんだ。

学校のテストや受験勉強ばかりしてきた私たちは、大切なことを見落としてしまいがちだ。 

さらに、人と意見を交換するためには、安心した環境のもとでなければ人は本音を話さないだろう。自分の意見を言うことで、批判されたらどうしよう、差別されたらどうしよう、と思うような環境では、自由にのびのびと本音を言えるはずがない。うわべだけの意見交換になってしまう。
あるいは、意見を言うことすらしなくなるだろう。

きちんと人の意見を聞き、それを受けとめよう、理解してみようとすること。
安心して話し合える環境を作る努力をすること。
独りよがりな意見にならないために、色々な価値観の人と話し、意見を共有し、見聞を広め、自分の考えをアップデートする柔軟な頭をもつこと。

でも残念ながら、今の世の中では、これとは正反対の現象が起きている。

少しでもちがう意見を言おうものなら、顔も名前も分からない人から、ネット上の仮想空間で容赦ない攻撃を受ける。耳を傾けよう、理解してみようとするのではなく、あげ足を取ってやろう、アラ探しをしてやろうと必死だ。

昔、祖父がこんなことを教えてくれた。

「虹の色は7色じゃないよ。無限なんだよ」

そういえば、ハワイはレインボーステイト(虹の州)と呼ばれているくらい、虹をよく見ることができる。ダブルレインボーもよく見た。
Dr.Jの車のナンバープレートにも、虹の絵が描かれていた。

虹の色が無限にあるから美しいように、物事の答えだって無限にあるから面白いんだと思う。
だって、みんな同じだったら、つまらない。


レディファーストは親切心?それとも社会的習慣?
あるいは女性差別❓

ハワイでは、レディファーストが主流だ。
ある日の昼下がり、私はアラワイ運河沿いを散歩していた。(ちなみにここは夜は危険らしい)
1人でテクテク歩いていると、カナダから観光に来たというおじいさんに話しかけられた。とても気さくな面白い人で、お互いに歩く方向が同じだったので、運河沿いをおしゃべりしながら歩いた。

私が車道側を歩いていると、
「君は内側を歩きなさい。男性が車道側を歩くんだよ。女性を守るためにね」
と、彼は微笑んで言った。私は、どう見ても私の方が若いし、もしアクシデントが起こっても私の方が彼を守れるのではないかと感じたが、お年を召されてもレディファーストをするなんて、なんてジェントルマンで素敵なおじいさんなのだろうと思った。

こんな体験談を書いていると、私がまるで欧米のレディファーストを推奨しているかのように思われるかもしれないが、もともとはそんな風には思っていなかったし、今も100%そうだとは思っていない。

ある時、語学学校のクラスメイトだった20代、30代の日本人男性と話していると、こんなことを言い出した。

「レディファーストなんて、日本男児たるもの、するべきではない。ドアを開けたり、車道側を歩いたりするのは、うわべだけの行動で誰にだってできる。日本人男性は、心の中で女性をリスペクトしているんだから、それでいいんだ。
それが本当のレディファーストだ!」

うーむ。これは以前、別の日本人男性も言っていた。
日本人男性のあるある話、のような気がする。
それにしても、若い世代でもこんな考え方をするのかと私はビックリした。

誰にだってできるんだったら、やったらいいんじゃないのかなぁ。心の中で思っているだけだったら、相手に伝わらない。行動で示すべきじゃないのか。
私には、なんだか『やらないことへの言い訳』にしか聞こえなかった。
それは、ハワイに来て色々な場面で日本人男性の不親切さに遭遇したからだ。

私はある日、ワイキキのショッピングモールへ出かけた。
エレベーターに1階から乗っていたら、2階でドアが開いた。日本人男性3人組とベビーカーを押した女性が待っていた。日本人男性は彼女を無視してさっさとエレベーターに乗り込み、3人で話しつづけている。
その後から女性は入って来た。

1階から一緒に乗っていた白人男性が彼女を気づかい、ベビーカーが大きくてなかなかエレベーターに入ることができなかったので、ドアを手で押さえてあげたり、床の段差を乗り越えるのを手伝ってあげたりしていた。
私は開ボタンを押していたのだが、その光景を見て、『うわ、日本人3人組、完璧に無視してる。恥ずかしいなぁ。きっとこの2人も内心は思っているんだろうな』と思った。

その建物は3階建てだったので、次の階で私たちは全員降りたのだが、その時も彼らはベビーカーの女性を気づかうようすは一切見せず、さっさと出て行ってしまった。白人男性は彼女が降りる時も手伝ってあげていた。

私は、日本人3人組が30代前半ぐらいの、一般常識のありそうな社会人だったから、なんだか余計にショックだった。こんな基本的な気づかいもできないなんて、日本人って一体どうなっているのだろう。

日本はおもてなしの文化だと言われているが、それは特別な状況下でのことだと思う。日常生活の中では、残念ながら私はそうは思わない。
ハワイの方がよっぽど親切だし、暮らしやすい。

街中を歩いている時にもよく感じた。
ハワイでお店に入る時には、ほとんどのアメリカ人は後ろに私がいると、ドアを開けて待っていてくれる。
私が「Thank you!」とお礼を言うと、「My pleasure.」とか「No problem.」と笑顔で答えてくれた。
ちょっとしたやりとりだったが、心がほんわかしたものだ。

でも、日本人の場合は、後ろに私がいても完全無視だ。見もしない。そのままドアを閉めて行ってしまう。
目の前にせまってくるドアを見ながら、私は『あ〜あ。不親切だな』とよく思ったものだ。

ただ、興味深いことに、アメリカではレディファーストが男女平等の妨げになっていると考える人もいる。ドアを開けてもらったりするのは、自分が弱者だと思われているからだ。私は弱くない、男性と同じくらい強いんだから、そんなことをしてもらわなくても結構です、という考え方だ。

なるほど、一理ある。確かにそうかもしれない。でもこれを聞いた時、私はニュースで見た、日本の老人の話を思い出した。
電車の中で座席に座っていた学生が、立っていた老人に親切心から席を譲ろうと声をかけたら、「私は老人じゃない!」と逆ギレされた話だ。

レディファーストって、何だろう?

夫に聞くと、「社会的習慣」と言っていた。
もう、アメリカ社会自体がそういう風にできているらしい。
でも、相手に対する親切心がなければ、いくら社会的習慣でも、やらない人はやらないんじゃないのかなぁ。

レディファーストは、単なる社会的習慣?それとも他人への親切心?あるいは女性差別?

そういえば、ハワイでお店に入る時にドアを開けて待っていてくれたのは、男性だけではなかった。女性もだ。

私には何が正しいのかなんて答えは分からない。
でも少なくとも、他人へ親切にすることは、社会みんなが優しくなれる、いい行為だと思う。

日本には、昔から「お先にどうぞ」という素敵な言葉がある。
これは女性も男性も関係ない、相手を思いやる言葉だ。

レディファーストが女性差別だとするならば、日本人は「お先にどうぞ」の精神をいまいちど思い出して、このギシギシとした閉塞感でいっぱいの社会を、ゆとりある柔軟な社会に変えていけないものかと思う。


ドルフィンスイムと日本社会🐬

私はハワイの大自然が好きで、留学前にも何度かドルフィンスイムツアーに参加したことがあった。

そんなわけで留学2年目の夏休みには、
『ドルフィンスイムに行きたい!大好きなイルカと一緒に泳ぎたい!!』
と思い、ハワイ島のツアーに参加した。

そこで、日本人ガイドのDさんと出会った。彼の出身地は偶然にも私の住む隣町で、親近感がわいた。

私よりもひとまわりくらい若い彼は、イルカが大好きで、会社を辞めてハワイに来たらしい。テレビで何度かツアーが紹介されたそうで、有名人と一緒にドルフィンスイムをしたことがあると教えてくれた。

Dさんは不思議な能力をもっていた。
人間なのに、イルカの気持ちが分かるのだ。
イルカの声を聞いただけで、機嫌が良いのか悪いのか、人間に近づいてきて一緒に遊んでくれるのか、そうでないのかが分かるらしい。

イルカの顔を人間のように識別することもできる。
私にはどれも同じイルカに見えるのに。

その日のツアー客は全員で10人だった。私たちは船に乗って港からしばらく移動した後、ある地点で海の中に入った。彼はそこからみんなをイルカのいる場所まで泳いで連れて行ってくれるという。

私は周囲を見渡しても、どこにイルカがいるのかさっぱり分からなかったのだが、Dさんは、
「こっちにイルカがいる!」
と行って、みんなを連れて行ってくれる。
「ここで待っていてください。そしたらイルカが来るから!」

私は最初、『ホンマかいな?』と思っていた。
だってまわりにはイルカなんてどこにも見あたらない。
海の中も上も、見渡す限りどこにも。

でもしばらくすると、彼の言ったとおりに、広い海のどこからかイルカたちがやって来る。それが1回ではなく、何回も。

だから私は、彼は絶対に不思議な能力をもっていると思った。
イルカとテレパシーでつながっているんじゃないのかな。今まで参加したツアーでは、イルカに出会えるかどうかは運次第だったのに。

彼のおかげで、私はその日、た〜っくさんのイルカと出会うことができた。
水面に浮かぶ葉っぱを見つけて口にくわえ、水中に持って行って遊んでいるイルカ。数匹でジャンプして遊んでいるイルカ。
海の中に潜ると、イルカの話し声があちらこちらから聞こえた。
こんな日はめずらしいそうだ。ラッキー!

ドルフィンスイムが終わり、帰りの車の中で、彼は面白い話を私に教えてくれた。

そのツアーでは朝、ホテルまでお客さんを車で迎えに来てくれる。Dさんはその車の中で、その日のお客さんの雰囲気を感じて、今日はイルカに会えるのか、会えないのかが大体分かるそうだ。

どういうことかと説明すると、ハワイにバカンスに来てすぐにツアーに参加する人は、まだ日本社会の雰囲気をそのまま背中に背負っている。それがそのままイルカに伝わると、なかなか近くまで来てくれないらしい。

人間同士だって、なんだか眉間にしわを寄せた怖そうな人がいたら、近づいて行こう、無条件に仲良くなろう、一緒に遊ぼうなんて思わない。
イルカも同じなんだそうだ。

私たち日本人が背中に背負っているものとは、一体何だろう?

私が思うに、会社や学校での複雑過ぎる人間関係や、仕事や勉強のプレッシャーなどがそうだろう。今だったら、ネット上で毎日受け止めきれないほどあふれている情報や、それにまつわる異様なまでのバッシング、SNSなどもそうだと思う。
知りたくもないのに、勝手に目や耳から入ってくる。気づかないうちに、かなりのストレスになっているに違いない。

私たちひとりひとりが抱えている日本社会の息苦しさやストレスは、想像以上に過酷だ。

それらが海に入って少しずつ癒され、やわらいでくると、イルカがツアー後半で少しずつ近づいて来てくれるようになるそうだ。
それを聞いた私は、『めっちゃ分かる・・・』と納得した。

私はその日の朝、車に乗る時に「おはようございます!」とツアー参加者にあいさつをしたのだが、誰も返事をしてくれなかった。
私は最後の乗客だったので、車内にはすでに他のツアー客はいたのだが。

車内は現地までの1時間、シーンと静まりかえっていて、落ち着かなかった。
話しかけてもほとんどの人が答えてくれず、会話がつづかない。
参加者の中には家族連れもいたが、家族同士でもほとんど会話がなかった。
私は仕方がないので、助手席に座っているツアー会社の人と話していたのだ。

みんなとやっと会話ができるようになったのは、ドルフィンスイムをした後の、
帰りの車の中だった。

ハワイに来てつくづく感じたのは、日本社会はとても大変なんだということ。
日本にいたらあたりまえ過ぎて気づかなかったが、みんな顔色が青白くて血の気がない。表情もない。エナジーも感じない。
だからみんなハワイにやすらぎを求めて、バカンスに来るのだろうと思う。

日本から背負ってきたもの🎒

私はハワイで過ごしているうちに、日本から背負ってきたたくさんのいらない荷物を、ずいぶんと整理できたように思う。
それまでの人間関係や仕事への考え方、恋愛観、結婚観など。つまりは人生観だ。

たとえば、日本にいた頃には散々悩まされた結婚観。

ハワイで仲良くなった人たちと結婚について話していた時に、私がなにげなく、「私はもう40歳だから、相手を探すのがむずかしくて・・・」
と言うと、決まって彼女たちからこう言われた。
「何言ってるの!年齢なんか関係ないよ!」

何度か言われたことがある。
「結婚しないといけないっていう考え方からぬけ出した方がいいよ。女性は30歳や40歳になったら結婚できないっていう考え方も、捨てた方がいい。
日本はそういう意味で、歳を重ねると本当に相手を見つけにくい国だよね」

日本では、首や肩がこり固まってギュウギュウ、物事の見方もこり固まってギュウギュウだった。自分ではそのことに気づかなかった。気づくことができなかったのだ。

ハワイに来て色々な価値観をもつ人々と出会ったおかげで、それまで当たり前だと思っていたことが、そうではないことに気づかされた。
新たな別の視点から物事を考えられるようになったことは、人生の可能性を広げる、大きな収穫になったと思う。


日本人女性が結婚したがるのにはワケがある🤔

ハワイで出会ったSさんは、Dさんとはまたちがった不思議な能力をもっている人だった。Sさんは、色々な人たちの人生相談にのっている人だ。結構有名らしく、日本の芸能人のお客様もいるらしい。

私は彼からこんな質問をされた。

「日本人の女性はすごく結婚したがるよね。でも、『自分にとって人生最高のパートナーに出会いたい!』というよりは、『とにかく早く結婚したい!一刻も早く結婚するにはどうしたらいいか?』とよく相談されるよ。
だから僕は彼女たちに質問するんだ。『あなたはただ結婚をしたいのか?それとも良い結婚をしたいのか?』ってね。どうしてみんなそんな風に思うの?」

私はうまく即答できなかった。う〜む、日本にいた頃の自分のような気がする。

結局、単純な話だ。年齢至上主義の日本では、女性は年齢を重ねるにつれて少しずつ女性としての価値が下がっていき、結婚することが難しくなる。

そのような女性を皮肉った言葉として、『売れ残る』『行き遅れ』といったものが存在するが、そんな失礼な言葉がいまだに普通に使われていること自体、今の日本社会のあり方を表していると思う。

仕事や趣味など、自分の価値を『女性であること』以外にもっていればいいが、
多くの女性は自分にそこまでの自信がない。
だから女性としての価値がある(とされる)若い間に、結婚しなければと思ってしまうのだ。

日本社会では悲しいことに、今でも『結婚できない女』=『女性としての価値が低い女』という図式が成り立っているように思う。

まわりから『価値が低い女』だと思われたくない。
だから多くの女性は、年齢を重ねるにつれて、とにかく早く、一刻も早く、結婚したいと思うようになってしまうのではないだろうか。
結婚することで、自分の存在価値を保っているのだ。

今、時代は『多様性』だとか『ジェンダーレス』だとか散々叫ばれている。
自分でも頭の中では『こんな考え方はとっくに時代遅れだ。バカバカしい!』と分かってはいる。

『自分は自分。人は人』だと信じてもいるし、自分らしく生きていきたいとも思っている。

でもやっぱり、いまだにこんな風な、しょうもない時代錯誤な価値観が日本には根強く残っていて、人生をふりまわされてしまっている女性は多いと思う。
私がそうだったように。

本当はふりまわされたくないのにね。


カラフルな世界🐠

ある日、住んでいたコンドミニアムのエレベーターに乗っていたら、知らない女性に話しかけられた。

彼女は私の水色のスニーカーとカバンを見て、
「とてもキレイな色ね。あなたによく似合っているわ!」
と褒めてくれた。彼女のおかげで、その日は一日中気分が良かった。

ハワイに来て、自分自身で目に見えた変化は、黒をほとんど身につけなくなったことだ。最初の頃は黒のTシャツを着たりしていたが、ハワイの空気に慣れてきた頃には、不思議と着なくなった。

ハワイの自由でのんびりとした太陽の下では、キレイな色がよく似合う。
私はハワイの海のような水色や、夕日のようなオレンジ、赤、ピンクをよく身につけるようになった。
特にピンクは、子どもの頃から抵抗があった色だったので、自分でもとても驚きだった。それまでの私はほとんどピンクの服を着たことがなかったのだ。

以前、何かのテレビ番組で、その時に惹かれる色は、その人の今の深層心理を表していると言っていた。色と心はつながっているらしい。

ハワイの空の下で、私の心は無機質な黒からカラフルな色たちへと変わったのだろうか。
頑固・傲慢・ぐうたらの3Gだと母に言われた、私のギュウギュウにこり固まった心は、少しは優しく愛情深くなれたのだろうか。


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