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夜のない夜、まぶしくて眠れない:yötön yö

yötön yö:midnight sun,多分白夜のこと。直訳はnightless night,夜のない夜。

結局、#30dryc の毎日更新は昨日で途絶えてしまった。

そんなわけで、私が謝り倒している動画。たかがinstagramのチャレンジなんだから、そんなに気負わなくてもいいのに…。

このnoteを書きながら、まだ体にだるさが残っているのを感じる。眠たいのに脳が興奮して眠れない。日照時間が長いことも理由の一つではあるが、多分今日、ちょっと大切なミーティングがあったからだとも思う。修士論文の指導教官の先生が、私の将来について話しあう機会を設けてくださったのだ。(話し合いの内容は、このnote上ではまだ秘密)

ここで、1年前の今頃(ちょっと前かな)に、私が書いた記事をここで皆さんにご覧いただきたい。

(この記事とその前後の記事読むのしんどいな…まるで昔の自分のかさぶたをめくってるみたいだから…)

およそ一年前は周囲の人たちがうらやましくて仕方なかったらしい。今でも稀に隣の芝生が青く見えることもある。だけど、大体は自分が今やるべきことを考えて生きている…と思う。修士論文とか、フェアトレードコーディネーターの仕事とか、フィンランド語の授業の課題だとか。それらがひと段落したら(しても)、フィンランド語のこととか、将来のこともぼんやりと考えている。

悔しい、と思うことがあるとしたら、それは他人の努力が理不尽に報われない状況に対してだ。

それでも、変わらないことがあるとしたら、それは…

明るくて眠れないことと、

私って人間向いてないよねーということと、自分が何がしたいのかわかってない(向き合うことも怠ってきた)ということだろうか。

とかなんとか言っていてもしょうがない。今日も求人票を眺めた。よさそうだなあと思う求人にはプレエントリーをした。他にも仕事を頂けそうなところに連絡を取ったりもした。日本の求人サイトは恋人を探すマッチングアプリみたいだなあなどとぼんやり思った。「A社とB社ならどっちにエントリーする?」かを何回か聞かれて、その選択肢にもとづいて私にあった企業を求人サイトが勧めてくれたりする。アルゴリズム(分析)万歳。

100個くらい質問に答えたら自分の性格を診断してくれる自己分析テストみたいなのもある。この回答にもとづいて、私が興味のありそうな企業を勧めてくれるらしい。占いみたい…(真面目にやれよ)。

あとは、日本語の求人票(求人情報)を読むときは、英語やフィン語で読むよりも頭を使わなくていいなあ、などと当たり前のことを思った。「よし!理解するぞ!」と大して意気込まなくても、日本語で書かれた情報はするする頭に入ってくる。

つまり、フィン語や英語で何かを読むときは「よし!理解するぞ!」と意気込んでいるということか。

英語の場合は、内容にもよるが、多かれ少なかれ「よし!理解するぞ!」と意気込んで読んでいる。フィン語に関しては「よっっっっっっっし!!!!!理解するっっっっっぞぅぅぅぅぅ!!!」ぐらい意気込んでいる。意気込むというか、外国語で何かを読んでいる時は「外国語で書かれた文章を読もうとしている自分」を、言語そのものとを同時にメタ認知しないといけない。それが強い「意気込み」につながっているのだと思う。

どういうことかというと…

言語そのものの理解
-文法理解
-語彙の理解
-文章の構成に対する理解
-tone of voice (äänensävy)に対する理解(例えば、アカデミックな文章とただのテキストメッセージでは、使われている語彙等が異なる)
「外国語で書かれた文章を読もうとしている自分」の理解
-どのような文脈で書かれた文章なのか(tone of voiceもちょっと関わっているかもしれない。たとえば、これはアカデミックな文章なのか)
-その文脈を私はどれだけ理解しているのか(アカデミックな文章なら、私は関連研究や理論をどれだけ理解しているか等)
-どのような状況下で私はその文章を読んでいるのか(私は疲れているのか、緊張しているのか、急いで内容を把握しないといけないのか、ゆっくりでもいいから確実に詳細を理解するべきなのか)

それぞれを的確に理解していないと、特にフィン語の文章は本当に読めない。どちらかが欠けていると私のフィン語読解力は著しく低下する。

そんなわけで、今日は(今日も)、フィン語と英語と日本語も少し使ったのでちょっと疲れた。

真剣に求人票を読もうと思ったのに、途中から(日本の求人サイトってマッチングアプリみたい…)と(日本語の文章ってなんてわかりやすいの!)以外のことを考えられなくなってしまった。頼むから真面目に私は就活をしてほしい。まあ、約数か月後に私は痛い目にあったらいい。(よくない)


眠い。疲れた。


ちなみに先述した自己分析テストは、日本の大学生の平均値と自分の点数とを各項目ごとに比較できる。例えば、私の状況把握力や規律性の点数は、日本の大学生の平均値を上回るらしい。恐らく私はこの結果を「私は一般的な大学生より規律性が高いらしい」と解釈したらいい。

一方で、私のストレスコントロール力と主体性は、一般大学生の平均値を下回っていた。特にストレスコントロール力は著しく低かった。

そんな、ストレスコントロール力の著しく低い私への、お仕事マッチングアプリ…否、求人情報サイトからの助言は以下の通り。

-友人に愚痴をこぼす、他のことに目を向ける、一旦距離を置くなど、自分なりのストレス解消の方法をいくつか挙げてみましょう。
-ストレスを感じている時にどういった行動をとりやすいか思い返してみましょう。
-自分が何に対してストレスを感じやすいか把握してみましょう。
(キャリアデザインツール 適性診断Match plusより)

ストレスコントロール力が他の大学生と比較しても著しく低いというのは、今後の私の人生にも支障をきたしてしまう。あまり他人の言うことを聞かない私だが、今回は求人情報サイトが仰る通りやってみようと思う。

-友人に愚痴をこぼす、他のことに目を向ける、一旦距離を置くなど、自分なりのストレス解消の方法をいくつか挙げてみましょう。

youtubeを見る、インスタライブを見る

-ストレスを感じている時にどういった行動をとりやすいか思い返してみましょう。

ねる。ねむくなる。コーヒーを大量に飲む、胃が縮む感じがする、動悸が止まらない、(一人で)泣く(書いてて思ったけど私が書いているやつのほとんどはストレスに伴う生理現象で、行動じゃねえ)

-自分が何に対してストレスを感じやすいか把握してみましょう。

見通しが立たないこと、突発的な出来事、他人を振り回す人、目上・目下の人と話す(日本人のみ)、大人数のパーティ、しつこく私を何かに誘ってくる人(特に飲酒やパーティ)、電話をかけること、外国語を使うこと(やりがいも達成感もあるが、ストレスでもある)、ドラマや映画(登場人物に感情移入しすぎる、情報が多すぎる)、私の話を聞かないくせに私のことを「こういうやつ」って決めつける人、話を聞かない人、パソコン等機械類の説明書きを読んだり聞いたりせずに、すぐ「つかいかたわかんなーい」って言う人、白夜、極夜、人狼(普段からいろいろ人の様子を無意識に伺いがちなのに、なんでわざわざ自由な時間にもそれをせにゃならんのだ、疲れる)、簡潔に何か話すことを求められる場面、ゼロから何かを考え出さないといけない場面(アイデアが求められる場面)、誰かに意見を求める時、誰かが校正してくれた自分の文章を読むとき、自分に対する批判を聞くとき、掃除、掃除機の音、睡眠時間が4時間という日が数日続くとき、毎日何かをつづけること、各種締め切り、何かを正確に伝えなければと思うとき、ミスが許されない場面...etc

 やばい…ストレスに感じること多すぎないか…(みなさんはいかがですか…)あるいはこれは私の人生経験の低さの裏返しなのか…。あとストレス解消法少なすぎない…?

…しゅ、主体性を高めるために何が必要なのかも考えてみよう。主体性を高めるために必要なことは…

-誰かと一緒に行動するとき自分から次の行動を提案してみましょう。
-前頁の自分の強み・弱みから、自分が自信を持って取り組めることを見つけてみましょう。*この自己分析診断による私の強みは、状況把握力、規律性、計画力←ほんとか?
-過去に周りに流されてしまった経験について、本当は自分はどう考えていたのか振り返ってみましょう。
(キャリアデザインツール 適性診断Match plusより)

-誰かと一緒に行動するとき自分から次の行動を提案してみましょう。

これほんと苦手!この間友達と散歩した時、友達に「右と左どっちに進む?」って聞かれたときも、決めるのに時間かかったもの。確かこの時は友人があまりよく知らない、私にとってはなじみの場所を歩いていて、(どっちに進んだらきれいな景色が見られるかな…)というのを考えた結果、決めるのに時間がかかったんだと思う。考えすぎかよ。

-前頁の自分の強み・弱みから、自分が自信を持って取り組めることを見つけてみましょう。

弱みに関しては当たっていると思うけど、求人情報サイトがご指摘する私の強みって本当に私の強みなのか…?私計画性ないって思ってたけど…(計画性のある人は今ごろこうして就活のことで悩んだりしてないと思う)。

それでも「規律性」の数値が比較的高いっていうのはなんとなくわかる。stay homeをちゃんと実践しているし。フィンランドのニュースをなるべく追うようにして、フィン政府が提示するガイドラインに沿って行動しようとしているし。

「決まりごとをちゃんと守らなくちゃ!」という気持ちは確かに強いかもしれない。でも理不尽な決まりごと・意味のない決まりごとはとっても嫌い。決まりごとだから気持ちよく守りたいのに…って、そういう決まりごとに接するたびにもやもやしている。例えば校則とか。「上司・先輩のいうこと・慣習は絶対」みたいなやつとか。

あ!そうだ!そういう理不尽な機会は私にとってとってもストレスフルだ。私以外の人が理不尽な目にあっているのもストレスフル(とっても腹が立つ)。

-過去に周りに流されてしまった経験について、本当は自分はどう考えていたのか振り返ってみましょう。

うおー!意図せず自ら核心を突いてしまった。周りに流された経験はいろいろある。でも、漠然と「周りに流されている」というよりは、ある特定の数名に「振り回された」経験、というのが正しい。ここで各経験について詳細に述べてもいいのだが、そうすると特定の人たちの悪口を書いているようなので、今回は割愛。

だけど各経験の根底にあったのは、(ここである人の意見を否定して、その人との関係が悪化するのやだな…)とか、(その人との関係が悪化したら自分にとって不利だから、うまくやらなきゃ…)とか、(自分の意見に自信がないな…)とか(こんなこと言ったってどうせ誰も聞いてくれないよ…)という気持ちだと思う。


ああ。書いていたら長くなってしまった。昨日の更新が本当に一言とかそれだけだったというのもあるし、二日分の文章ということで、許してほしい。


あと私は本当にまじめに就活をしてほしい。もう少し危機感を持った方がいいと思うよ私。

はあーあ。


そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…