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レイモンド・カーヴァーを読み返す

「愛、死、夢、望み、成長、自分自身、そして他人。その限界と折り合いをつけること」
と彼は言った。
「生きることを。常に、生きることを。」
 Life. Always life.      R.C.


あることがきっかけで、レイモンド・カーヴァーを読み返しています。

2年ぶりくらいです。

本棚の奥にしまいこんであって、見つけるのに時間がかかりました。

そして、そのこと(小説の魅力、感想、いきさつ、その他)を書いておきたくなったので、思いつくままに書くことにします。

(レイモンドカーヴァーのファンは、親しみを込めて彼を『レイ』と呼ぶそうです。以下、この記事も敬意と親しみを込めて『レイ』と呼びます。)

レイの小説を読むとき、表紙をめくるとき、一行目に目を配るとき、一瞬だけ緊張します。
緊張というほど大げさではないかもしれません。

馴染みのバーの重い扉を開けるときに、いったん躊躇する感じに似ているかなぁ。

この扉を開ければ、楽しいこと、愉快な友人、新しい話題、心地よい空間、そして美味しいお酒が待っているとわかっているのに、通い慣れたバーなのに、いまだに一瞬立ち止まってしまいます。

開けてもいいものか少し考えてしまいます。
なぜかはよくわからないのですが、多分、バーのマスターは美味しいお酒を出すために全身全霊をかけて作ってくれる、そのことへの畏敬の気持ちからだと思います。
こちらも、それを受け止めるだけの気持ちの整理をしているんだと思います。

レイの小説を読むときも、それに似ています。
レイの小説はバーの雰囲気に似ています。
きついアルコール度数でガツンとくるときもあれば、甘くジューシーなフルーツカクテルのときもある。
スモークの効いたウィスキー、芳醇なワイン。
つまみのオリーブのような軽やかさもあれば、濃厚なチーズも味わえる。

そこで繰り広げられる会話は、レイの小説そのもの。
下世話な話から、哲学、示唆に富んだ台詞、失恋話もあれば、おのろけもあり。
みなそれぞれの日常を話しているのに、奇妙な出来事のように思えます。

さて、小説を読み始めると、レイの声が聞こえてきます。

”どうだい。オレは最高のレシピでお前さんにお出しするぜ。”
”どう楽しむかはお前さん次第だ。浮かれて踊り出すもよし、さめざめと泣くもいい。歌いだしたっていいんだ。どんなことになろうと、かまうことないさ。”

本、雑誌、チラシ、パンフレット、つまり活字が好きなわたしですが、一度読んだものは再度読み返すことはあまりありません。
特に小説は、まだ読んでない本がたくさんあるので、どんどん違うものを読みたいのです。
気に入った小説を何度も読み返すより、常に新しいものを読みたい症候群です。

ただ、レイモンドカーヴァーは特別です。
レイは読むたびに印象が違います。
その日の体調や気分でカクテルの味が違うように。

ときどき無性に読み返したくなります。
そして、読み始めるといつも緊張感につつまれながらもリラックスしていきます。
不思議なのは読むたびに印象が違うことです。

ストーリーはもうわかっているのに、ここでこんな台詞を言うとわかっているのに、いつもドキドキしながら読み進めることになります。

レイのファンは、村上春樹さんのファンが多いようです。
レイの作品のほとんどを翻訳しています。
ただ、わたしはレイが先でした。
村上春樹さんを読んだのは社会人になってから。
レイは一度中学生の時に読んでいます。

第一印象は、
ちんぷんかんぷん。
何を言いたいんだろう。
誰が主人公かもわからない。
唐突に終わる。
なにこれ。

でも、文体というか話が流れる速度というか、匂いというか、言葉にできないけど気持ちよくしっくりする感じがしました。
どの作品も、読んでいるときは不安と緊張感があるけど、読み終わった後はなにかじんわりと胸に残ります。

感情を揺さぶられるのではなく、心の奥底をチクチク刺激される感覚。
ふわふわとしたとらえどころのない感覚があって、でも描写は的確で現実的で、無駄な文字がない。
登場人物を俯瞰でみたり、人物になりきってみたり、観客としてみたり、脇役としても楽しめる。どんな見方もできます。

レイとの出会いは、母の蔵書からでした。
母は本好きです。というか、本屋が好きなのです。
わたしが子供の頃、近所の本屋によくいっしょに行っていたのですが、母は本に夢中でわたしをほったらかし。わたしを忘れて家に帰ってしまうこともありました。

実家には母の蔵書が何百冊もあります。ほとんど古本ですが、一部屋全部が図書館です。
太宰治、夏目漱石、三島由紀夫から星新一、司馬遼太郎、村上春樹、推理小説、ハードボイルド、SF、科学書、歴史、ノンフィクション・・・
活字が生活に溶け込んでいました。

自然と本を読むようになったのですが、小説は作家ではなくて文体で決めます。
読んでいて気持ちのいい展開、心地よい台詞などで決めています。
なので、これといったオススメの作家さんはいません。
ただ、考えてみるとレイをひとつの基準にしてるかも。
ジョン・アーヴィング、アップダイク、カズオ・イシグロの文体が似ているかな。

レイの小説は緻密なストーリー、伏線回収、どんでん返し、オチを楽しむものではありません。
むしろ、そんな技巧はわざと排除しているかのように感じます。
何気ない(そして少し奇妙な)アメリカの日常を切り取って、その登場人物の気持ちの揺れを、優しく丁寧に、あるときは残酷に描写していきます。

情景描写、人物描写が特段優れているとも思えません。
作品によっては、「わざと雑に描写してるのかな」または、「ココをそんなにしつこく描写する?」「このセリフには裏の深い意味がある?」と深読みしすぎてしまうこともあります。
気持ちそのものを描写するのではなく、その人が置かれた状況、しぐさ、風景、気候、家具の配置さえ巧みに利用して、物語に自然に溶け込ませていきます。

人物を俯瞰でみたり、第三者としてみたり、主人公そのものになった目線でみたり。
このことで、より深く物語にはいっていくことができます。
物語を語る目線の変換が見事です。

目線の変換といえば、、、
映画「ゼロ・グラビティ」で、サンドラ・ブロック演じる宇宙飛行士が、宇宙にひとり投げ出されるシーンがあります。

カメラ(わたし)が、ゆっくりサンドラに近づきます。
どんどん近づいて顔の表情が見えてきました。
パニックになっています。
激しく息をして防護シールドに曇りをつくります。
まだ、わたしはサンドラを見ています。

またゆっくりと近づいていきます。
すると、いつの間にか防護シールドをすり抜けて、わたしは防護シールドの中にいます。
すぐ目の前にサンドラの瞳があります。
そして、いつの間にかサンドラ自身の目線になっています。
自分の吐いた息で、防護シールドの内側が曇ります。
サンドラから見た宇宙を見ることになるのです。

客観的視点から主観的視点への変化。

そしてまた、サンドラから離れて防護シールドをすり抜け、客観的視点に戻ります。
今度はこちらが宇宙に投げ出された感覚です。

ここの表現は何度見ても巧みです。

ゼロ・グラビティのストーリーは単純です。
1人の宇宙飛行士が無重力の宇宙に投げ出され、いろいろあって地球に生還して重力を感じる。
これだけです。
ただ、その中にはたくさんのメタファー(隠喩)を含んでいます。

やっとの思いで宇宙船にたどり着いたサンドラは、宇宙服を脱ぎ捨て無重力の中で、うとうとします。
無重力のなかで体の力を抜くと、自然と背中が丸くなります。
背中を地面に押し付ける重力がないのです。
ぽっかり空間に漂う姿は胎児の形です。
死と生。
母のお腹の中の胎児は生まれてくる希望がありますが、宇宙船の中の胎児はドアの外は死の世界です。
死ととなり合わせのなかでの生の象徴、胎児。
死の絶望感と、生への希望。

おっと、レイの話でしたね。
もとに戻りましょう。

レイの小説もメタファー満載です。
わたしたち読者はそれをどうとらえても自由です。
この描写はきっとこういうことだろう。
この台詞はあのことを言っているのかな。
死と生、愛と憎しみ、劣等感と優越感、相反する現象を巧みに織り交ぜながら綴っていきます。

何度も読み直して、やっと気づくこともあります。
一度感じたことが、やっぱり違うなと思い直すこともあります。
これが、読むたびに印象の違いになっているのかなと思います。

好きなタイトルを紹介します。
少しネタバレ感がありますが、大丈夫。
ストーリーを知っていても、何回読んでも楽しめますから。


『ダンスしないか?』


レイの小説には、よくお酒がでてきます。
だからバーのイメージがあるのかな。
この作品は、最初に読んだ時はどう感じたらいいのかさっぱりわかりませんでした。
いまでもよくわかりません。
でも、お気に入りです。
訳あって家財を売ることになった男と、若いカップルしかでてきません。
この訳は当然説明ありません。
この三人のある夜のできごと。
夕方から夜の描写で、庭先に自分の部屋にあったときと同じ配置で家具をならべ、スタンドのライトをつけてある。
ヤードセール。自分の庭先でのフリーマーケット。
男が留守の間に、若いカップルがヤードセールで品定めをしている。
カップルが家財をチェックしていくシーンは自分が見て触っている感じになるし、第三者的にも見れるし、俯瞰でも見ることができる。
アメリカの一軒家の庭先がありありと心に残ります。
男が近所のスーパーから、酒と食糧を持って帰ってくる。
三人でお酒を飲みながら値段交渉をする。
男は、この若いカップルについてある感想を持つ。
ここに、この小説の全てがあると思う。
この前後のストーリーはこれを書きたいための描写なんじゃないかと思う。
男はレコードをかける。
そしてダンスをすすめる。
三人の会話とお酒とダンス。
男は、二人に昔の自分を重ねたのだろう。
彼女は、その男に同情するでもなく、共感するでもなく、哀れと思うのでもなく、ただ言葉にならない感情をのこして物語は終わります。


『大聖堂』


これには仕掛けと謎があります。
夫が主人公で、その妻の友人を招いたある夜の物語。
妻のかけがえのない友人は、遠くに住んでいる盲目の男。
盲目の男は自分の妻を病気でなくしたところ、妻が招いて癒そうとする。
冒頭が、「盲人が私の家に泊まりに来ることになった」もう緊張する出だしです。
夫の目線の語りですが、これだけでちょっと鬱陶しい感じが伝わります。
偏見と優越感、勝手な誤解、嫉妬、思い込み、そして、五感。
この物語は、人間の感覚の描写が散りばめられています。
握手や指でさする動作は触覚。
テープのやり取りは聴覚。
お酒とタバコと大麻の臭覚。
パンとステーキとストロベリーパイは味覚。
電車の眺めの件、盲人を観察する件、大聖堂を説明する件は視覚。
盲目の人なんて鬱陶しいと思っていた夫は、明るくユーモラスな盲目の男のペースで調子がくるう。次第に盲目の男のペースに。
とうとう、盲目の男といっしょに絵を書くことになりました。
一本のペンをふたりで握り、いっしょに大聖堂を描き上げます。
大聖堂を描き終えたふたりは、今度は人物を描き始めます。
盲人は夫に目を閉じさせます。
つまり二人の盲人が、一本のペンを握って人物を書いているのです。
ここで書いた人物は、当然説明なんてありませんが、やっぱり夫の妻の顔でしょう。
なぜなら、盲目の男の視覚は触覚。
夫の妻の顔をさすった経験のある盲人は、その記憶をたよりに妻の顔を描いたんじゃないかな。
あるいは、亡くなった妻の顔かな。
もうひとつ、謎が残っています。
妻と盲目の男とのテープのやり取りのなかで、夫について言及しています。
しかし、その場面は唐突にカットされ、盲目の男が夫に対してどんな印象を持っていたかは説明されていません。
ここは読み手が想像して、ということなんでしょう。
そして最後は、カーヴァーらしくスパッと終わります。
これがかえって余韻を残してくれます。
夫の偏見や嫌味や優越感などは盲目の男が見事に吹き飛ばしてしまいます。
夫が最後に感じたのは、畏れにも似た感謝だったんじゃないかな。


『でぶ』


これもお気に入り。
ストーリーなんてないようなもの。
あるレストランにきたデブの男について、ウエイトレスが思い出しながら友人であるリタに語りかける。
この描写が奇妙というか絶妙です。
日本の昔話のような、宮沢賢治の世界のような、幼児向け絵本のような描写が続きます。
このデブのお客に接客するなかで、自分のなかに生まれたある感情に気がつく。
そして、それを友人のリタに話すことでさらに奇妙さが増します。
夫のデブに対する偏見や、自分が膨れ上がる感じ、ラストのリタのしぐさから、これからの二人の関係が見え隠れします。
これは、日常の気持ちの揺れに共感する物語です。


『ささやかだけど、役に立つこと』


お薦めというとこれかな。
これは、ストーリーを書くとつまなくなる。
読んでからのお楽しみですが、ほんわかした出だしからほんの数行で嫌な感じに襲われます。
数ページ読み進むと、さらにどんどん落ち込んでしまう展開に。
中盤までいくと、もう読むのが嫌になるくらいの描写が続きます。
淡々とした状況描写で、不安や孤独、あらがえない感情、悲しみ、怒りを表現していく。
ここらへんも、主人公にのめり込んだり、客観的にみたり、夫の立場になったり、いろんな見方ができます。
終盤からラストにかけて、それまでの登場人物の感情が一気に湧き出して、光がさしてきます。
その光は人間の持つ嫌な部分を照らし出し、浄化していくようにみえます。
そして、人間の善い部分がとつとつと語られ、その光は彩りに変わって、なんとも言えない感情が支配します。
この情景も客観的にみたり、それぞれの立場になってみたり、読むときの自分の感情で変わってきます。
最後は、夜のパン屋さんの窓から光がもれているのを、遠景から見ているようなホッとする感覚になって終わります。
これを読み終わると、パンとコーヒーが欲しくなります。


もっと書きたいことがあるけど、このへんにします。
いつかはわからないけど、たぶんまた、レイを読み返すことになると思います。
また違った印象をもつことになると思います。
その時はまた書いてみます。

最後にまた、レイの声が聞こえてきました。

”どうだい。オレのレシピは?旨い酒と食事はだな、たとえどん底にいても浮かび上がるきっかけになるんだぜ!”

レイの小説にはぶっきらぼうながら、人間に対する愛が感じられます。
登場人物は立派でお手本になるような、いわゆる成功者はでてきません。
むしろ、人の心の嫌な面をきちんと描写します。

偏見、不倫、殺人、逃亡、ドロップアウト、酔っぱらい、学歴、失業、皮肉、嫌味、、、、
嫌な事柄も展開も淡々と書いてあって、むしろすがすがしいほどです。
しかし、作品全体に流れている感情は間違いなく愛です。

本好きなわたしですが、今まで周りの人に本を勧めたことがありません。本だけでなく、映画やドラマもそうです。
わたしが感じた面白さは、他の人とは違いがあるのではないかというところからです。

ですが、レイだけはお薦めしたい小説です。(あとゼロ・グラビティも)
ただし、好き嫌いははっきりとわかれるような気がしますけど。


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