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秋ですね 白玉栗ジャムがらめ

朝夕少しずつ暑さがひいてきた。ここ数日、暑い日でも雲が随分と高くて、この空の高さを感じさせるのが秋なんだって、毎年飽きもせずジーンとしてしまう。

今日は大好きな土井善晴さんのレシピで栗ジャムを作った。栗は、シンプルに茹でたのを半分に切ってスプーンで中身をすくいながら食べるのが一番好きだが、独特のボソッとした感じや何より手先の器用さが求められるのでまだ2歳児と6歳児(はいけるか)には無理かなと思って手軽に食べさせられそうな栗ジャムにしてみた。

実家の母は秋になるとよく栗ご飯を炊いてくれて、それを思い出すとやっぱり一番好きなのは栗ご飯だったと思い直したけど、栗ご飯は栗剥きの手間がまぁまぁあるのでちょっと腰が重い。

栗ジャムは、なんといっても茹で栗をほじってお砂糖で煮詰めるだけ、という工程が簡単で、それを白玉に絡めた様子がなんともツヤツヤと、渋く輝く黄色がきれいで、これ作ってみたいなぁと自然と気持ちが向かっていく。

白玉を茹でて水を張ったボウルに泳がせるとき、まだ茹で上がったばかりの熱と、やわやわとした弾力が、湯浴み中の乳児の肌ってこんな感じー、、ととても懐かしく心地よくて、幸せになれる。

そこに煮詰めて蜜状になった栗ジャムをからめて、土井さんの教えの通り重力に任せて器に移すと、ちゃんと居心地良さそうにおさまったから驚いた。

職業柄、フードコーディネーターさんの仕事を間近に見る機会もぼちぼちあるが、写真に撮られて美しく見える状態にするためには、普通はやらないものすごく細かい微調整をかけて整えていく作業があり、プロの技に感心しつつも、あまりにも恣意的で、それを「食べたい」とは思えないことが多い。

写真写りとしては物足りないかもしれないけれど、その食材がもともと持っているハリや質感や水分や色みやらが、そのまま無理せずそこにある、ていう盛り付けのほうが、「食べたい」気持ちが湧いてくる。

そんなことを今日、白玉栗ジャムの盛り付けがたまたま塩梅よくいったというだけで、思った。(お気楽だね)

でも、料理って、いや家庭料理って、だいたいそんな感じ。毎回同じもの作ってもなんかその日の調子で違ってくる。これはわが家の鉄板やな!と、焼き担当の夫と話すくらい、毎回美しい焼き目、肉の旨みと野菜のシャキシャキ、皮のコシもばっちりだった餃子も、夏の終わりにちょっとした悪手の積み重ね(野菜の水分やや多かった、ひき肉を急いで解凍した、料理酒入れ過ぎた、包んでから焼くまでしばらく経っちゃった)で史上最悪の餃子に変わったりもした。

だからこそ、予期せずおいしいものが食べられたり、きれいに作れたりすると、それは一期一会な出会いとして、小さな悦びを与えてくれる。


✴︎食材ノート

栗は、茨城と千葉の県境にまたがる有機農業グループあゆみの会の無くん蒸のもの。くん蒸=虫がわかないように薬剤処理 をしていないから、虫が目覚める前に届いたらすぐ茹でて!っていう、こっちのお尻を叩いてくる栗。ジャムにする前に茹でただけのをつまみ食いしたけど、すごくおいしかった。

お砂糖は、鹿児島県喜界島のサトウキビで作られた、蜜分を精製せず残してある粗糖。色んなミネラルが微量に残っているせいか、甘み以外の味わいがあって、砂糖単体で匂いを嗅ぐと独特のムワッとした香りがする。お料理に使うと香りは気にならずに、コクが出る。

白玉粉は普通にスーパーで売ってる国産米のもの。

6歳の娘は、もうハーゲンダッツやらガリガリ君やらを知ってしまっているから、こういうザ、滋味みたいなおやつは全然喜んでくれない。。

でも、2歳の息子のほうは、すごくしっかり味わいながら美味しそうに食べてくれて、ママは嬉しかった。

子どもが喜んでくれたら嬉しいし、反応悪いと残念ではあるけど、でもあまり気にし過ぎない。誰かのため!って思いすぎると楽しくない。基本、自分の悦びのために作るのがいちばん。

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