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「老い」を自分ごとで考える:【学びと気づき:老い(NHK100分de名著)】

日曜の朝、マレーシア時間8時からは恒例のZoom勉強会の時間です。

今日も2冊の書籍について発表がありました。

いつも発表が始まる前に参加者の一言コーナーがあるのですが、今日のテーマは「最近、自分が成長できたこと」
一言コーナーのお題は毎回当日言われるので、良い頭の体操になります。

そして、今日の一冊めは「ボーヴォワール『老い』 2021年7月 (NHK100分de名著)」からのアウトプットだったので、成長=老いなのかなぁと考えながら、発表を聞かせていただきました。

・勉強会アウトプットの内容

ボーヴォワールの名著と言われている「老い」ですが、私はまだ読んだことはありません。

「NHK 100分 de 名著のシリーズ」は、本のタイトルや作者の名前などは知っているけれど、内容は分からない、難しくて読んでいないけど気になる名著を25分、4回(100分)でわかりやすく解説する番組のテキストです。

勉強会の中では、発表者の方が気になったこと、印象に残った言葉を中心に学ばせていただきました。

・「心は体に追いつかない」というのはよく分かる

発表の中で「心は体に追いつかない」という言葉が印象に残りました。

私も30歳を越えているので、体力の衰えや記憶力の低下を感じることもあります。特にパソコンに向かってずっと仕事をしているせいか、視力の低下が著しかったり、新しいシステムへの適応も昔よりもすっと入ってこなくなったと感じてしまう場面もありますね。

そして、「老い」を感じる場面は自分が予期していないところで、不意にやってくるから気づいてしまったときのショックも大きくなってしまいます。

・「自己差別」の怖さ

心ではまだできると思っても、「老い」のせいか体が思った通りに動かないと、「なんでできないんだ」と自分を否定してしまいます。

自分で自分を否定してしまうことは、自己差別に繋がってしまいますが、よく考えると、老いるのは自分1人だけではありません。
そのはずなのに、なぜか老いた自分を否認してしまうのはなぜでしょうか。

勉強会の後、「老い」のことを考えていたら、「姥捨て山」のことを思い出しました。

姥捨て山は、役に立たなくなった老人を山奥に捨てるといった昔話です。
子どもの頃に読んでもらった絵本では、結果として老人の知恵が見直されて、姥捨てがされなくなったというハッピーエンドでした。

しかしながら、「老い」た者を山に捨ててしまおう、という考えについては確かにあったからこそ、こうして民話として伝えられています。

そして、私は自分の母が子どもである私と妹に対して、「迷惑はかけたくない」と言っていたことを思い出しました。

この母の言葉も「老い」た自分への「自己差別」の言葉。
この言葉を思い出していると、私のほうが今まで母に心配も迷惑もかけてきたはずなのに、「老い」ているのは私も母も同じであるはずなのに、と何とも言えず悲しくなってしまいました。

・私と母と「老い」

私や妹に対して「迷惑はかけたくない」と言っている母は、昨年スマートフォンを使い始めました。

78歳の挑戦です。

今までパソコンも触れたことがなく、インターネットや機械は怖いものだと思っていた母。私が海外にいて気軽に電話もできないことや、母の友達がスマートフォンを持ち出したこともきっかけでスマートフォンを使うことを決意しました。

母専用のマニュアルは私のお手製のフルカラー。
説明をしながら一緒に操作の練習をしたところ、今ではLINEも絵文字付きでメッセージができるようになりました。

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さらに、最近私の作った簡易マニュアル以上のこともしてみたくなったようです。「LINEの使い方の本を買った」と嬉しそうにメッセージがきて、私もなんだか嬉しくなりました。

「迷惑はかけたくない」という母の「自己差別」でしたが、スマートフォンへの挑戦のおかげで、母はまた自分を肯定できるようになっているのかもしれません。

勉強会の中では、「老いという冒険」という言葉も紹介があり、まさに母は携帯電話もなかった時代から、スマートフォンを当たり前に使う時代に生きて冒険をしています。

「年を取る」、「長く生きる」ということはそれだけ多くのモノやことに触れられるということ。まさに冒険ですね。

・今日の学びのまとめ

「老い」は誰にでも平等にやってきます。
それを悲観的に捉えるかどうかは人それぞれ、という部分ももちろんあるでしょう。

しかしながら、「姥捨て山」の民話があるように、社会全体で「老い」を役に立たないもの、惨めなものだとしてしまっては元も子もありません。

「老い」は自分にも必ず来るものであると、自分ごとで考えられたならば、きっと「老い」ることを肯定しないまでも、老いる自分を自己否定するような機会も少なくなっていくのではないでしょうか。

また、「老い」ることは、子どもから大人になってみないと分からないことがあるように、自分が「成長」しているということでもあります。

私たちは1日1日、老いながら、成長し、成熟していくとしたら、「老い」ることも楽しみになるかもしれない、そして自身の最期のときに、「心と体が追いついた」と感じることができたなら、この上ないことであるかもしれませんね。

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