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「Yes!Boss」:2021年10月16日(ボスの日)

マレーシアで働いていて、上司や日本語話者でないマレーシア人の同僚と英語で話すとき「BOSS(ボス)」という単語が度々飛び出すことに最初は戸惑っていた。

私の中の「ボス」のイメージは、テレビゲーム、漫画などに登場する倒すべき最後の敵、「ラスボス」だ。
「鬼滅の刃」でいうと鬼舞辻無惨、「北斗の拳」でいうラオウなど主人公が倒すべき宿敵を指して使われている。

「ラスボス」は「ラストボス(Last boss)」の略語の和製英語だから、もちろん外国では通じない。英語だと「end boss」や「final boss」。

また、「ボス」というと、どうしてもアメリカ映画でスーツを着て葉巻を吸っている俳優の顔が浮かんでくるので、日本の会社の日本人の上司に対して「ボス」というイメージが無い。

マレーシアで働き始めてから、仕事中の会話で「ボス」という言葉はよく出てくるようになった。

部下から上司に対しての返事は「Yes!Boss」で、私に対しても言われることがあるし、基本会社で自分よりも職位の高い人を呼ぶときは「ボス」。

「ボス」と呼ばれるとなんとなく、自分が強くなったような感じや「ラスボス」のイメージがあって、最初は本当に慣れずちょっと照れていた。


10月16日はボスの日。上司が1年を通して行ってきた行動が親切で適正なものであったことを感謝する日ということで、アメリカで制定された。

この「ボスの日」については批判的な意見もある。上司に必ず贈り物をしなければならない、感謝しなければならないとプレッシャーを与えられるのはいかがなものか?ということだった。

私自身も20代の若い頃は、よく上司に反発していたし陰口も言っていた。
人と比べて自分の評価が低いとそれは上司のせいだと言ったり、他の部署の上司と比べて自分の上司の文句を言ったりというのは日常茶飯事だった。

23歳のとき、フリーペーパーの営業をしていた頃のことだ。

雑誌を置かせてもらうために初めて訪問した客先で門前払いを食らったときの日報を当時のボス(上司)に報告したときのことをよく覚えている。
その日の日報は、自分も門前払いを食らって嫌な思いをしたもんだから、「訪問先がもう話も聞いてくれなかった」とか「訪問先から何もしていないのに怒られた」とか言い訳のオンパレードだった。

それを見た上司から、

「そんな言い訳ばっかりだから追い返されるんよ!」

と強く言われ、その後こっそり会社のトイレで泣いた。
お客さんからは門前払いは食らい、上司からは怒られ当時の私は「なんで私がこんな目に!」と怒りと悲しみでいっぱいになってしまったのだ。
もう10年以上前のことなのに、当時の上司の表情や言い方はまだ鮮明に私の記憶の中にある。

社会に出てからは学生気分は通用しないんだよということを教えられた出来事だった。

その後、上司は私が門前払いを食らったお客さんに電話をしてくれていた。
するとお客さんからは、あの時はちょうど忙しい時間に来られたから、ちゃんとアポとってきてほしかった、という話があったそうだった。

そして、上司が電話をしてくれた後に訪問したときには、1回目は怒って門前払いをしたお客さんと1時間以上雑談も含めて話すことができた。
(それはそれで、上司からは時間かけすぎと怒られた)

当時の上司の対応は、部下に言うべきことは言う、そしてフォローもちゃんとするということで、今も私のお手本になっている。

今の私は、当時自分が反発や文句を言っていた上司(ボス)たちと同じ立場で仕事をしている。

私が仕事でやっていること、部下に言っていることは、決していつも「絶対に正しい」訳ではないし、伝え方やそのときの相手の状況によっては受け入れられず、文句や陰口ももちろんあるだろう。

やさしい、甘いだけでは仕事は回らないし、厳しいだけでも人はついてこないのでバランスが難しい。

そして今、自分が同じ「ボス(上司)」の立場になってみて、23歳のときに出会ったボスの立場と思いがやっと理解できるようになったのだ。

あの時、私はもっと素直になっていても良かったな、文句を言って申し訳なかったというボスへの謝罪の気持ちと、今もお手本になってくれていることへの感謝でいっぱいになった。

「Yes!Boss」

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