「感動体験⑧90歳からの人生が一番幸せ(戦争体験・自死遺族)」
いつも私の記事に目を通してくださり、本当にありがとうございます。
今回は、大川隆法先生の教えを学んで、人生を変えていった方々の体験談をご紹介する「感動体験」の回です。
お話の多くは幸福の科学の月刊誌に登場された方の体験談になります。
プライバシー保護のため、お名前はイニシャルとさせていただきますが、すべて実際の体験談になります。
感動体験第8弾は、第二次世界大戦を生き抜き、80代半ばで長男との死別を経験したFさんのお話です。
みなさまの人生の参考になれば幸いです。
戦時下の青春時代
Fさんは、1923年、中国の旅順で生まれました。
当時のFさん一家は、父親の仕事の関係で、日本と中国間を行き来していたそうです。
大連で女学校時代を過ごし、その後、家族で神戸に転居。
戦時中に見た火の海や黒煙の恐ろしさは、今でも忘れられないといいます。
空襲では、多くの友人が命を落としていきました。
敗戦後、混沌とした社会の中、Fさんは22歳で14歳年上の男性と結婚し、五人の子宝に恵まれました。
建築業・工場経営などの仕事をするご主人を手伝いつつの子育ては、目が回るほどの忙しい日々。
5人の子どもが成人すると、50代で看護助手の仕事を始めました。
60歳の時にご主人が他界してからは、蕎麦屋を営む長男と暮らすようになります。
この後、86歳でFさんに思いもよらない不幸が訪れることになります。
長男、55歳で自死
それは、Fさんの長男のМさんが55歳の時でした。
ある朝のこと、朝食が出来ても、Mさんが起きて来ません。
(どうしたのだろう?)
Fさんが不思議に思って部屋を見に行くと、Mさんはまだ寝ているように見えました。
ところが、幾ら体をゆすってもぴくりともしません。
異変を感じ、救急車を呼んだところ、かけつけた救急隊員の方から出てきた言葉はこうでした。
「残念ですが、睡眠薬を大量に飲んで、4、5時間前に亡くなっています。」
(え?なんで……?どうして――?)
Fさんがおどろくべきことに、息子のMさんは55歳にして、自ら命を絶ってしまっていたのです。
なぜMさんが自ら命を絶ってしまったかが分からないFさんは、Mさんのお店の従業員に、何か変わったことがなかったか、話を聞いてみました。
すると、Mさんはしばらく前から目が不自由になり、身体も思うように動かなくなるという「原因不明」の病気を発症していたとのこと。
そして、母親であるFさんに心配をかけまいと、病気のことを黙っていたそうです。
もしかすると、未来を悲観して命を絶ってしまったのかもしれません。
それに気づかなかったFさんの後悔はいかばかりだったことでしょう。
Mさんの死後、Fさんの哀しみは、日に日に募っていきました。
いくつになっても、自分の身を分けた存在はとても愛おしい存在。
(Mはどこにいったの?会いたい……)
人は死んだらどうなるのか――。
その答えを求めて、色々な宗教もあたってみましたが、Fさんの問いに十分に答えてくれるところは見つからず。
悲しみを抱いたまま、3年の月日が経ちました。
90歳での真理との出会い――。
Fさんが90歳になる頃のある日、自宅のポストに「幸福の科学」と書かれた小さな冊子を見つけます。
とても良いことが書いてあると思い、「書籍プレゼント」に応募することにしたFさん。
すると、数日後、優しそうな好青年が、大川隆法先生の書籍を持ってきてくれました。
ありがたくいただき、その日から『太陽の法』という書籍を読み始めていきます。
『太陽の法』には、
ということや、
ということが説かれていました。
(これは、私が長年求めてきた教えだ!)
今まで学んでみたどの宗教とも比べられないほどに深みのある教えに、心から感動したというFさん。
夢中でその他の本も読み進めます。
今まで、戦争や貧しさ、主人や長男の死など、さまざまな悲しみを体験してこられたFさん。
(「不幸な体験」は自分の魂を磨くために存在する砥石であったにちがいない!)
大川隆法先生の説かれる仏法真理を学んで、人生のすべてに意味がある、と腑に落ちることができました。
本当に救われる思いだったといいます。
Fさんの怒涛の勉強はさらに続きます。
書籍を読み進めていくうちに、「あの世はある」と確信したFさん。
(この教えを信じ守っていたら、天国に行ける――。)
Fさんは最寄りの支部を訪れ、幸福の科学に入会することにしました。
それ以来、毎週支部に通い、支部長や法友(共に真理を学ぶ仲間)の皆さんと活動することが、何よりの楽しみとなっていきました。
自死遺族の知る真理
ある時、Fさんは、支部長に、ずっと気がかりだった長男のMさんのことを話してみました。
そこで支部長から返ってきたのは、少し悲しい真理でした。
「藤田さん。実は、苦しみのなかで自殺を選んだ方は、スッと天国には還れないことが多いと伺っています」
自殺をされた場合、「死ねば終わりだ」と思って死を選んでいるケースも多く、その場合は、自分が死んだことに気づかずにこの世に留まっていることもあります。
また、死後の世界を信じていたとしても、「早くあの世に行って楽になりたい」と思って死を選んだけれども、実際には何も解決はせず、遺族に言いたいことも伝えられず、悲しい日々を送っている、というケースも考えられます。
稀に、自殺をしてもストレートに天国に行ける方もいますが、その場合は、相当人生を達観されていて、心の世界や死後の世界についての知見が広いタイプのようです。
この世は生きづらいから早く卒業して、あの世からこの世を啓蒙する仕事をする、という人も、芸術家などの激しいタイプの方にはいると伺っています。
一般的には、自殺して地上で留まっている方の魂をお導きするには、遺族が仏法真理を学んで正しく行き、その姿で故人に真理を伝えていくことが大切だそうです。
Fさんが相談した支部長も、Fさん自身が真理を学ぶことで、その学びの光をMさんに届けていくことを勧めてくれました。
また、故人を正しく供養して、日々祈りを届けることで、成仏されていく可能性も高まります。
そのため、支部長は、幸福の科学には霊園があり、迷っている諸霊を救うための供養や祈願が行われていることも話してくれました。
そこで、FさんはMさんの供養を幸福の科学の那須の霊園(幸福園)に移し、供養してもらうことに決めました。
支部長の夢に現れた長男
後日、支部長からFさんにこんな話があったといいます。
「この前、なにか不思議な感じがする夢を見たんです。眼鏡をかけて、うぐいす色の服を着た男性が出てきたんです。40~50代の、真面目そうな方で…」
「…え! 支部長、それ、Мだわ」
支部長が夢で見たという人の格好や雰囲気は、供養をお願いした長男のMさんそっくりだったのです。
支部長はMさんを見たことがありませんが、その特徴を見事に言い当てていたそうです。
Fさんはすぐに、長男が供養のお礼を伝えに、支部長の夢に出て来たんだと分かりました。
(Mも喜んでくれて良かった—)
この出来事があって、Fさん自身、あの世の世界が本当にあり、死後も神仏が導いてくださることを確信できたといいます。
死後の世界を確信できたFさんにとって、もはや死は怖いものではありません。
むしろ、先に逝った息子や主人に会えるのが本当に楽しみになったといいます。
人生の中で96歳が一番幸せ
Fさんは、人生の中で96歳の今が一番幸せだそうです。
残りの日々を、真理の書籍を学んで死後の世界を勉強したり、学んだことを生かして人々のお役に立って生きたい、と明るく決意しています。
〈Fさんの言葉より〉
※ドキュメンタリー映画『光り合う命(いのち)』予告編
〈感想・気づき〉
戦時下の大変な時代に生まれて、敗戦後は5人の子どもたちの母として、一生懸命生きてこられたFさん。
ご主人とも他界され、長男のMさんと一緒に暮らすようになってから、Mさんを自殺で亡くされたときのショックはどれほどのものだったのでしょう。
戦争で沢山の友人を失い、ご主人を失い、Mさんを失くされたFさんが、「人は死んだらどうなるのか」を模索され始めたのは至極当然のことだと思います。
そして、大川隆法先生の説かれる仏法真理と出会い、あの世や神仏の存在を確信されたというFさん。
90代から、新たな教えに出逢い、猛勉強していかれる姿に頭が下がります。
人は何歳になって学びの機会に出会うか分からないし、この教えを学びつくしたい!と思ったその時が、その人にとってのタイミングなのだと思います。
96歳で毎日真理の書籍を読まれ、また他の方にもおすすめされているというFさんの向上心・行動力、そして信仰心にとても感動します。
私もFさんを見習って、辛い体験を真理によって乗り越えていきたいですし、何歳からでも謙虚に学び直していけるような、素敵な女性になりたいな、と思いました。
人生100年時代、皆さん共に頑張ってまいりましょう!
最後までご覧くださり、誠にありがとうございました🌷
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