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地獄と餓鬼と畜生

義母のススメで月参りに行き始めた私たちは素直な息子夫婦と言えるだろう。おかげで良いお話を聴くことができた。

今月は代理でお若いお坊さんの講話。ご本人は謙遜なさるけれどもとてもお話上手でつい引き込まれる。もともとミッション系の学校に通っていたのでお経よりも聖書の方が親しみがある私。それにこれまで折に触れて出席してきた法事などでお坊さんのお話で心に残るほどのことは残念ながらあまりなかった。近所の噂話やお布施の多寡のことを言われても耳を素通りしていた。

今月は地獄と餓鬼と畜生について学んだので私なりに整理してみようと思う。正確でも忠実でもなく私の耳と心のフィルターを通したものだということを最初にお断りさせて下さい。

「地獄」も「餓鬼」も「畜生」も一見避けて通りたい言葉の羅列だが、仏教からきた言葉ということを初めて知った。たぶん阿修羅が皆がそうならないように願ったということだったようなお話だった記憶。

「地獄」とは、私たちの多くは天国との対比でとらえたおどろおどろしい場所をイメージするだろうけど今回伺ったところでは周りの誰ともコミュニケーションが取れずに孤立している状態をいうそう。確かに孤独を愛する人はいても孤立は寂しいことだろう。コロナ禍ではとくにコミュニケーションのことは考えさせられた。人とのつながりこそ生きていくうえで重要だということか。

次の「餓鬼」という言葉は悪ガキなど子どもを指す言葉と認識していたが、仏教ではお腹がぽこんと出ているのに食べても食べてもまだまだ食べ続けている人。飽くなき欲望に駆られて行動するさまは自分でも心当たりがあって戒めになる。というのも最近家計の見直しなどしていろいろなYouTubeを見ては成功者に倣って今後のことを考えようとしていたから。お金などいくらあっても際限なく、それよりは今ある幸せを知ることをお坊さんから教わったような気がする。

最後の「畜生」はドラマなどで悔しがる時のセリフとして耳にする言葉だが本来は字の通り動物として生きること。悪業を働くと来世では動物として生まれてくると聞いたことがある。ここはまだ理解が足りていないので今後の課題となった。

ごきげんパパ♡は毎月娘たちをお参りに誘うがなかなか予定が合わずに今回は義母と三人だった。三人娘はそれぞれこれまでに一度は同行し、月に一度両親がどんなところでどんなふうにお参りしているのかを知っている。それだけでも十分素直な子たちだと私には思える。

パパに言いたい。あなたは20歳前後でそんなに信心していただろうか。人は出会うべき時に必要なものに出会う。ちょうど私たち世代の心に届くお話なのかもしれない。もちろん人それぞれなのでもっと早い時期に出会う人もいるだろう。心を浄化させてくれるひと時をありがたく思う。地味な話を最後まで読んでくださりありがとうございました。

それでは今日も欲もほどほどに過ごせますように。

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