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肝っ玉かあさんにはなかなかなれない

30年以上も母親を務めてきてさすがに3人の娘もよい年になったのに今でも自分がオロオロして情けないお母さんだと思うことがよくある。

冬の思い出の一つは留学先の娘の骨折だ。隣国までスキーに行って肋骨4本と左手中指を折って入院した。これを心配しない親などいないだろうけど、もれなく私も肝を冷やした。なかなかLINEが既読にならないとヒヤヒヤしていたら案の定病院で手をつって電話してきた、途中泣きながら。

泣きたいのはこちらだけど飛んで行くこともできず退院してからも歩けはするけど手が使えないので自炊もお風呂も往生したのは想像に難くない。

もう懲りただろうと思ったら今行かないと一生スキーに行けなくなると年が明けてまたチャレンジ。今度は生きて帰れないかもと頭をよぎるけど本人が克服したいと決めたこと。グッと堪えた。あれから2回、無事滑ってきたようだ。

冬の思い出と言いつつ何ら自分がしたことではなく、別人格の娘の話。それを我が事のように心配するのもどうよ、と思う。生まれたての頃は自分が守らないと生きていけなかった小さな命だったのは事実だけど今はすっかり大きくなった。心配などされたくないに違いない。

大体心配ごとの90%は起こらないとも言われている。自分の時も自立心旺盛で構われたくなかったのに子どものことになると放って置けないものなんだと後からわかる。誰の得にもならないのに。

子どもが幼児のころ、先輩ママが言ってた、それも普通あれも普通って。その人は度量が大きくて一緒にいるとこちらも気持ちが大きくなった。うちの子、こうこうなんですよーと言ったら全部普通だよって。

昨日はふれあいセンターに行く用があった。大勢の子育て中の親子が楽しそうに遊んでいて少子化が嘘のようだった。ちっともじっとしていない子供達を眺めて私もあんなふうに子どもと豊かな時間を過ごしたなと賑わいの中で思い返していた。

太古の昔と違って現代は自分の経験というものがほぼ意味をなさず、皆が暗闇の中を手探りで高速で進み続けている。例えば原発やワクチンのこともマスクを続けるか取るかも正解はわからない。私のように適当な相手と適当な距離を保ちつつ一生添い続けるのが正解かもそうだ。

我が子がどのような毎日や人生を選ぼうと私は動じない親でありたい。それが大変難しいのです。

人生はトライアンドエラー。子どもがたくさん失敗してまた前を向いていくチャンスを摘み取ってはいけない。つい手を差し伸べたくなるのが困る。だって自分の子はどの親にとっても竹藪の中で光っているかぐや姫なんだから。自分の命と引き換えにしても幸せになってもらいたい。こんなエゴと毎日戦っている。

一週間の始まりにふさわしいかどうか、娘の無事を確認して思うところを綴ってみました。今週も新しい気持ちで過ごせますように。

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