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花嫁はお嫁に行かない

田舎に帰るたびカルチャーショックを受けるのだけれど、今回もやっぱり強烈だった。同い年の女性の考え方がこんなに古風だとは。都会暮らしを鼻にかけるつもりなど毛頭ないし、今私が住んでいるところも鶯の鳴き声が聞こえたり畑の農作物の直売所があったりとそれなりにのどかなところ。それなのに新幹線で二時間余りで別世界に迷い込んだ気になってしまう。

というのも、結婚したら嫁入り先の色に時間をかけて染まればよい、と言うのに目が白黒したという話。もしやここを読んでくださっている方の中にもそれが当然と思っておられる方がいらっしゃるのかしら。確かに結婚式の主役は花嫁と花婿で、その言葉には嫁、という言葉が含まれている。でも今やお嫁に行く、というより二人で新しく家庭を作っていく時代になったはず。お嫁に行って相手の家風に合わせるというのは違うと思う。

家制度を調べてみると1898年から1947年までの50年足らず効力があった戸主とそれに属する家族という考え方で、終了してからの方が長く70年以上経過している。それなのにその女性は二人いる娘の上に婿を迎え下は降嫁させる予定だそうだ。そして我が家も当然そうするよね、と考えておられるところに二度びっくり。そうして家の伝統を守ることこそ自分の務めと思っているらしい。

伝統とは何なのか。新しく家庭を築くからと言って親を敬わないわけでも先祖に感謝をしないわけでもない。いたって現代風に子育てをしてきたつもりのうちの子にお嫁に行くという感覚はないけれども実の親も相手の親も大切にしているように見受けて私は喜んでいる。これまで育ってきた価値観などを一方が捨て去って一方に合わせる必要など一般的にはないはず。皇室や伝統芸能のお家や老舗のお店などはこの限りではないだろうけど。

同じ時代に同じ教育を受けたはずの彼女とこれほど話がかみ合わないことに心底驚いた。相手を否定するつもりはない。でもこちらを否定されるのも納得いかない。自分が都会の生活に慣れすぎたのか、もう戻れない気がする。ごきげんパパ♡はゆくゆくは田舎に帰りたい様子が垣間見えるけど。

友人がSNSにお正月は伝統を確認する行事と書いていた。お正月だけ男性側の家の価値観に合わせる演技をしておけばいいのか、なかなか憂鬱。

外を見ると白銀の朝。人間の作った社会などお構いなく自然はそこにあってひとりひとりのちっぽけさを見せつける。ああ私の嘆きなど何と小さいことか。今日一日大きな事故がありませんように。皆様も安全に一日をお過ごしください。

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