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空にいる父のこと

今日は父の命日なので父の思い出を書こうと思います。

昭和10年生まれの父は生きていれば86歳でしょうか。周りを見回すとそのくらいの年齢の方は大勢ご存命で、聞くところによると今回ノーベル賞を受賞された方は御年90歳だとか。そう思うと60年の父の人生がいかにも短かったように思えてきます。私がもしあと5回しか紅葉や桜を見ることができないとしたらどんなに心残りなことか。

父は、大正生まれの伯母のあと三人生まれた子が皆育たなかった後に生まれた長男で祖父母がどれほど大事に育てたか想像に難くありません。伯母は医師になりましたが父は自営業の後を継ぎ、東京の大学を出た後故郷に帰りました。

政治学科を出ていたので選挙には必ず行くように、だれに投票するかは人に言ってはいけないと言っていた記憶があります。片田舎に住んでいてもリビングでCNNのニュースを見て、本人が好んで使った「心の眼」というもので世界を見ていたのだと思います。

長女である私は父との思い出は比較的たくさんあって、中学受験は二人三脚で臨みました。素直な小学生時代は今思えば父娘の蜜月だった気がします。特に算数は手取り足取り教えてくれて計算問題は二人でよく競争しました。文章題、応用問題は大人の脳トレのように父も楽しんで解いていたのではないでしょうか。私のテストの成績に一喜一憂していた父は本当に子煩悩でした。

大学時代はやりたいことがあるのなら学校のそばに下宿してもいいと言って常に私を信じ応援し背中を押してくれたことは親として今私が子どもに接しているお手本となっています。日常の細かなことは一切話さなかったし50過ぎてからの父はカテーテルの手術をしたり透析を受けたりしていたので恐らくそのような余裕はなかったと思います。

57歳のころに私が結婚して一年後に孫がうまれたことは今にして思うと私にできた数少ない親孝行だったかもしれません。父が自分の健康のことで大変だったのに私はそのことをどのくらい思いやることができていたのか、未熟だった自分を許してもらえたらと思います。

父が亡くなった日のことは今も鮮やかに思い出すことができます。大きな病院でその日は退院と聞いていたのにトイレで倒れてそれっきりになってしまいました。父の枕元で家族勢ぞろいでいくら呼んでも帰ってきてくれませんでした。でも肌のぬくもりもまだ覚えています。もち肌のきめの細かい肌でした。

病院を出る時、その病院の手の空いている全員のスタッフの方が最敬礼して見送ってくださった光景が目に焼き付いて離れません。父をリスペクトしてくださったように思えてとても慰められました。

それから、こんなことがあっても夜は明け日が暮れるのだと何日も思いながら過ごしました。現実と夢の境が分からなくなったようでした。あれから29年の時が流れ、母がいつもお墓を清めています。抱いていた初孫である長女は晴れて結婚しました。父の人生を思うとやっぱり幸せだったのだと思っています。私の半分は父でできていると今、改めて思う朝です。

朝から少し感傷的なことを書いてしまいました。皆様の一日が幸多いことをお祈りしています。

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