見出し画像

ランジェリー業界と言う女性の世界で男性のプロとして生きていく事。


*初めに、僕は小学中学で国語って記憶にある中でほどんど5段階中「2」でした。アヒルの大行進ww

でもその他は全部「4」がちょっと、あとは「5」です。

ずっと文章、国語が苦手な自分が大人になって文章が好きで言葉が好きで

伝達コミュニケーションが好きになったのは、奇跡。

あんだけ漢字の勉強したのに、変換機能が出来て半分は無駄になったかもなと、、

時代も変われば人も変わるのですね^^

そんな通知簿「2」の男の文章で失礼します。




ご覧頂き有難うございます。JUNと言います。

僕はランジェリーのブランドマネージメントを専門に仕事をしつつ

この業界はとてもニッチになりましたので、今流通小売、

テクノロジーの発達で、こう言うランジェリーの概念の紹介など

専門家や、たまにはスタイリストのような事もさせて頂いてます。

ランジェリー歴は14年26歳の時にスタートして今年で40歳になります

ランジェリーに行き着くまでは、下にまた改めて書きたいと思います。

まず、早速、、、、


これは、僕の一番言いたい事。

「ランジェリーと下着は別物です」

仕事を通して言いたい事は山程ありますが


SNSにもプロフィールにも絶対書く、この仕事を通じで最初にひとこと

皆さんに言いたい事が上の言葉。


男性でも女性でも1度は聞いた事ある言葉。

「ランジェリー」

ランジェリーと聞くと、男性はセクシャルな感覚になるでしょう。

女性は、ジュエリーの様な尊さ、ここ1番の勝負アイテム。

こう言う感覚でしょう。

では

「下着」

となると、、どうですか?

下着、男性は日常に使うものだからセクシャルな気持ちにはなりますか?

女性も日常感が先ほどのランジェリーに比べ帯びた感じで馴染みのあるワードになりましたか?


では、これはどっち?ランジェリー?下着?

「ブラジャー」「パンティー」「ショーツ」

答えは、どちらも当てはまります。


何なんだ?どう言う事なんだ?

何が違うんだ?


答えは・・全然違います。つまり、アイテムでランジェリーか下着を分けるのでなく、そのものを作った時の概念で分けます。

もちろん、ランジェリーにしかないもの、下着にしかないものがあります。

作った人の概念って??

そこで出てくるのが「ブランド」と言うものになります。


これは、ランジェリーに限らずともですが、世間はいつしか全てのものに

対して「ブランド」と言う言葉を使う様になりました。

そう、ブランドの軽薄化です。


元々、ブランドとして成り立ってたものたちはラグジュアリーブランド

として少し名前を変えて認識するようになりました。今の高級ブランドは

こう呼ばれます。


僕の力では、ブランドと言う言葉を当時の元あるような使い方に

時計を戻す力なんて、小石1つで多摩川の流れを変えようとしてるくらい

少なくともミラクルがないと不可能な事。


逆に、ブランドと言う言葉を生かすために、ブランドの特徴だけを

吸い上げて、マーケティングなりビジネスにうまく乗せていくほうが

効果も早いと思い仕事をしてます、、


それが、僕がイタリアの大学院で学んだ、イタリア伝統のブランドマネージメント

と言う部分です。


冒頭に戻りますが

僕が、ランジェリーのブランドマネジメントをやりたいと思ったきっかけは

先代が元々イタリアのランジェリーと言うものを初めて日本に持ち込んだ会社の1つだからです。

幼い頃から見て、、ランジェリーに憧れたから、、、、

いやいや、とんでもない!

僕は男性なので、むしろランジェリーの仕事が恥ずかしいと思ってました。

世間の男の子と同じ、もっと他の仕事を目指してました。


人並みに受験というのを経験してる時に、度々海外に出て居ない両親

(両親は共働きでそれぞれの仕事をしてました、ランジェリーは母親の仕事です)

が帰ってくるたびに、オシャレな洋服を手に持って帰って、沢山の洋服を貰いました。

その中で今年出来たばかりのオシャレな洋服買ってきたと、今誰でも知ってる

ドルチェ&ガッバーナの初期のコレクションのニットもお土産に貰いました。

僕はオシャレだな〜と思って。そしたら、また買ってきてくれて、、

そのうちに、ニットがビリビリに破れてるものを出してきて、

「これが、今一番流行りなんや」と渡されてね。

すごく大事にしてて、当時大学生の時は遊ぶじゃないですか

2000年とかに、クラブに行くんですね、当時黒のジャケットパンツでないと

お断りのお店があって、そこに、クラッシュのDGのパンツにシャツとジャケットで行くと

入店拒否されて、こんな汚い格好駄目だって^^

僕だけ入れず。これはもう、一生忘れませんね。

いつかDGに会ったら話そうと思う温めてるネタですね^^


話は脱線しましたが、DGにそんな簡単に会えるの?

はい、会うチャンスはあります。

彼らが出没する場所を知ってるからですね。

というのも、僕のイタリアでの学校の1期生がドメニコドルチェさんでした

僕の先生はアルマーニ、クリスチャンラクロワ、などを手がけた

巨匠が先生達でした。もうおばあちゃん、おじいちゃんでしたが

沢山いろんな事を教えてもらいました。

僕の財産なので、いつか書籍でも出せる日がくるならば

一生残るものとして書き残したい経験達です。

そこは今回は敢えて割愛させてください。すみません。


そんなオシャレな洋服、、当時はパスタなんて流行る前ですから

17歳くらいかなあ〜、パスタがオシャレで美味しいと感じてから

妙にイタリアと言う国が気になりました。もちろん、今みたいにLEONなんて

無いから、男性ファッションはメンズノンノくらいでしたしね。

あとはストリート系。

このオシャレなもの達の世界が徐々に興味が出て一回見てみたい。

と頼み込んで仕事を邪魔しないならいいよ。と

便乗してイタリアに連れてってもらいました。

1998年のことですね。


アリタリア航空の窓から見える、赤い土、小さな集落、

空港に降りて、、、まず、思ったこと、、、

「何じゃ!こりゃ!!!!」

歩く人歩く人がモデル見たい、清掃員のにいちゃんですら

モデルのようにイケメン、そして女性も美女だらけ。

次の日にパリに向かいました。

そしてランジェリーの世界展に1998年に初めて連れてってもらいました。

18歳で女性経験はあったものの、ランジェリー1枚でランジェリーモデルが

うろちょろする会場は18歳の男にはもう何が何やら。。

その時フォアグラにハマって他のかな〜、昼からフォアグラのテリーヌを

食べまくってましたね。食うた事ないですからね、こんな美味い物。

腹ごしらえも済み、仕事してるブランドのブースに訪問。

何と、ハリウッド俳優のようなオシャレでかっこいいイタリア人男性が

大真面目にブラジャーをたたみ、仕事をしてたのです。


ランジェリーだから女性がする仕事だと思ってた

そして、そのランジェリーの仕事を隠して生きてきた

自分が凄く恥ずかしく思えた瞬間ですね。


と同時に、この国で何かを学びたいと思って将来を決めた時でも

ありました。


今2020年で40歳になる自分ですが

この22年ですね、一度も浮気をせず、ランジェリーの為に

進んで来れたのは、1つの奇跡だと思ってますし。


面白いことに、知れば知れば知るほど、やるべき事があって

これを経験して出来るのは自分だけ、と言うのも良く解ってます

もちろん十人十色ですから、他にもランジェリーを伝える方々、仕事人は

日本でも多くいますが、僕の経験は僕だけのものでしたから


それを他の人に知ってもらえる事でもしかしたら誰かの人生に役立つかも

知れないと思うと、何か残して行きたい部分でもありますね。


そう思った時、ランジェリー界で確かに男性は少ないインポートランジェリーだと

5人くらいしか居ないかも知れませんね。

企業とかの方を合わせても50人もいないのかなと。


男性ならではの視点という強みもあります。

それは武器の1つとして置いていて


ある年齢、、そうですね、、ここ数年でしょうか、、

少し超越した感じが自分でも手応えでありまして

その瞬間、あ、僕は

ランジェリーのプロフェッショナルになれたのかなと。

15年以上かかりましたが、性別を超越した免許とか医者みたいに

ある世界ではないですが、感覚的に、プロになれた瞬間でもあり。


当然、誇れる天職でもあります。


ですので、ランジェリーは僕にお任せください。


JUN








サポート有難うございます、専門クリエイターとしてnoteから書籍化に向けて頑張って行きたいと思います。