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コロナ禍に母が亡くなり9年間の介護生活が終りました。私の様に30代で介護、育児、仕事と…

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コロナ禍に母が亡くなり9年間の介護生活が終りました。私の様に30代で介護、育児、仕事と両立する方にエールを送れたらと思い、何か形になるもはのはないかと思う中 友人からnoteの存在を知り心のままに書いて行こうと。文章経験ゼロなので読みづらいと思いますが宜しくお願い致します。

最近の記事

ある日突然、ダブルケア。11

母は大腸ガンも患っていた。 介護している時姉が異変に気づき、検査した結果大腸ガンだった。 手術できる身体ではない。 そのまま何も治療しない方向に決めた。 母にこれ以上、痛い思い苦しい思いはさせたくない家族で決めた。 それは積極的に治療を今後しないと言う意味でもる。 2020年コロナが世の中を騒がせて行く。 テレビでは毎日ようにコロナのニュース みんな大好きな志村けんさんが亡くなられたと報道があり驚いた。 もう、テレビ前でみんな揃って笑うことがなくなってしまうのか。 コロナ

    • ある日突然、ダブルケア。10

      家族が増えた。 姉が母の介護の為一緒に住んでくれた。 もう、分刻みの生活から解放される。 安堵した。 姉も仕事があるので分担しての介護になるが それでも充分、自由な時間も持てるし家族で休日ゆっくり出かけることもできる。 今までなら母をデイサービスへ預けている時間しか出かけられなかったから。。。 母も姉が来てホッとしている様だった。 姉は母へ手厚い介護をしてくれた。 私では出来ない細かなことも。 母と姉2人でショッピングセンターへ良く行っていた。 母も嬉しかっただろうなぁ

      • ある日突然、ダブルケア。9

        母の耳が聞こえにくくなり、目も見えにくくなってきた。 母の気力も薄れている様に感じる。 人間は見る、聞く、話すなど意力がないと機能が退化してしまうらしい。 娘も小学生になり習い事も始まって、思うように送迎してあげられない。 母に手がかかり、母を1人にしておけない。 母は施設への入居は拒否するので保険として予約だけでもしようと思った。 ネットで自宅から近い場所を探し3件程見に行った。 特養と言われる施設はやはりどこも順番待ちでその中でも雰囲気が良く自宅から徒歩でも行ける特

        • ある日突然、ダブルケア。8

          子どもが成長すれば母は老いてくる。 子どもは手がかからなくなると母の介助の回数が増えた。 母が転倒し、足の大腿骨を骨折してしまった。この時はもう寝たきりになってしまうのじゃないかと思った。 母は家に帰る為リハビリを頑張った。 母には申し訳ないが、母の入院は私が介護から解放される時間にもなる。 介助者には必要な時間。 そして、また介護を頑張る為の時間でもある。 母も頑張った。 リハビリ終えて自宅に帰ってきた。 100%は戻らないが今までと変わらず自宅で暮らせそう。 ま

        ある日突然、ダブルケア。11

          ある日突然、ダブルケア。7

          新たな悩みとは、2人目の子供が欲しかった。 私は母を介護しながら出産と子育てが出来るか悩んでいが、 母の介護であきらめるのは嫌だったし後悔はしたくなかった。 思い切って2人目を妊娠した。 つわりはあったけど料理出来ない時はお惣菜やお弁当などで乗り越えた。 安定期も順調入り出産まで変わらず介護もできた。 1人目を帝王切開にて出産していた私は2人目も帝王切開で出産。 予定も立てやすかった。 私が入院と同時に母は施設へ2週間程施設で過ごしもらった。 母が戻ってきた。 何が大変だ

          ある日突然、ダブルケア。7

          ある日突然、ダブルケア。6

          母の介護にも慣れてきた。 母は今以上、回復することはなく現状維持がベストだった。 現状維持の為に訪問マッサージに週3回、自宅に来てもらい母の麻痺側をほぐしてもらったり、筋力低下しない様に運動療法も接してくれた。 私はマッサージさんをおじさんと呼んでいて少しの時間だけど介護の大変さを紛らしてくれたり相談できる良い理解者だった。 母が転倒しないように気を使ってはいたが ある日母はいつもの様にデイサービスのお迎えが来る少し前に1人で杖をついてリビングからすぐの玄関まで行き椅子に

          ある日突然、ダブルケア。6

          ある日突然、ダブルケア。5

          母が倒れてから約半年で私の生活が全く違うものになった。 まさか、両親と同居し母の介護するなんて、不安よりもやるしかないと言う気持ちが大きかった。 今はステキな言葉がある。 介護、育児が同時に来ることをダブルケアと言う。 ダブルケアと言う言葉は新聞で初めて知った。 私が介護し始めた時はまだ、ダブルケアと言う言葉はなかったし世間でも認識されにくくわかってもらえない事が多々あった。 この言葉が世に広まってくれたら楽になる 私1人じゃない。 いろんな事が共有できるんじゃないかと。

          ある日突然、ダブルケア。5

          ある日突然、ダブルケア。4

          父とは少し前から同居が始まっていた。 母を迎えにリハビリ病院へ また少しスッキリした身体になっていた母は待ち遠しそうに私を待っていた。 荷物もまとめられ帰るだけだった。 お世話になったスタッフさんやケアマネージャーさんにご挨拶し母を車いすで車まで押した。 母を助手席へ動かない右足から介助し母を助手席へ移動、私1人で母を車に乗せた。 母は何処に帰るかわかっているのか? もう、今までの自宅には帰れない。私達と父のいる家でこれからの暮らしが始まる。 車で20分程で自宅に着いた。

          ある日突然、ダブルケア。4

          ある日突然、ダブルケア。3

          母をリハビリ病院へ送り届け私は自宅へ帰った。 4月から長女を保育園に預け仕事に復帰していた。自宅帰れば家事もこなさなくてはないけなし母ばかりに手を掛けてはいられない。 とにかく母にはリハビリを頑張ってもらい、できる限り自分のことは自分でと願うばかりでした。 フルタイムで働く私は子供を朝、保育園へ預け夕方迎えに行き食事の支度や片付けや保育園への連絡帳作成などの毎日。 母の様子が見れるのは休日ぐらいで洗濯物もまとめて持ち帰りまた休日に持って行くのを繰り返していた。 母は右側麻

          ある日突然、ダブルケア。3

          ある日突然、ダブルケア。2

          病院からリハビリ病院までは車で移動、母は右側の麻痺と失語症が残った。 4点杖と右足に装具を付けて介助しながらなんとか歩行は出来るまでになっていた。 車に乗せれるか不安でしたが、病院の方が上手にサポートしてくれて乗せる事が出来た。 病院からリハビリ病院までは約1時間。久々の街並みを母は窓から外を眺めていた。だが失語症で会話はなかった。 リハビリ病院に到着、母は理解しているのかはわからないけど今日からリハビリが集中して始まる。病院の受付へ行き到着した事を伝え母を車から下ろすお

          ある日突然、ダブルケア。2

          ある日突然、ダブルケア。1

          2020年4月15日母はコロナ禍、家族に看取られながら亡くなった。それと同時に私の9年間に及ぶ介護生活にピリオドを打つことにもなる。当時の私は37歳、主人と長女7か月の赤ちゃんと3人で暮らしていた。 ある日突然、父からの電話で母が自宅で倒れたと連絡があった。 夜勤から帰った父は倒れている母を見つけた、脳梗塞でした。 私も姉も駆けつけて、まだ母は会話が少し出来たと思う。右足右手も動いていた。 だか、時間が経つにつれて言葉も出なくなり右足右手も動かなくなった。 脳梗塞は発見ま

          ある日突然、ダブルケア。1