ある日突然、ダブルケア。11
母は大腸ガンも患っていた。
介護している時姉が異変に気づき、検査した結果大腸ガンだった。
手術できる身体ではない。
そのまま何も治療しない方向に決めた。
母にこれ以上、痛い思い苦しい思いはさせたくない家族で決めた。
それは積極的に治療を今後しないと言う意味でもる。
2020年コロナが世の中を騒がせて行く。
テレビでは毎日ようにコロナのニュース
みんな大好きな志村けんさんが亡くなられたと報道があり驚いた。
もう、テレビ前でみんな揃って笑うことがなくなってしまうのか。
コロナの恐ろしさを知った。
母が大好きだったショッピングセンターへも行けなくなり、母が通っていたデイサービスも地域でクラスターが発生しデイサービスが休業になった。
母も2月で73歳、世間の73歳はまだまた元気だが母は毎日ベッドの上で寝ている。
トイレも間に合わなくなりオムツにしていた。
デイサービスも再開されたが休む日も増えた。
コロナと共に母は弱っていった。
4月に入って暖かい日には姉が母を車いすにのせ自宅周りを散歩したり孫が遊ぶ姿を見に公園まで来たりした。
この頃には食欲もなく点滴をしていた。
家族はあとどのくらい母と一緒にいられるか、もう長くはないと察していた。
熱が上がってきて呼吸も辛そうだった。酸素値も低いので訪問医療の先生が酸素の機械を自宅に用意してくださり訪問看護さんが母に酸素を入れてくれた。
コロナ禍、今母を病院へ入院させればもう2度会えない。自宅で看取ることを決めた。
コロナの影響で姉も父も自宅にいて
小学生の娘も休校で
私も念の為仕事は休んでいた。
朝、母に声をかけ母はうなずき姉も安心した。姉と私、娘で散歩に出かけた。
コロナの自粛中、堤防には沢山の人がいた。
散歩、ジョギング、キャッチボール。
平日には思えなかった。
一時間ほど散歩して自宅へ
母の息が細く浅くなっている感じがした。
母に声をかけ、うなずいてくれた。
私はこれが母との最後の会話になった。
姉がそろそろだと思う。。。
私は保育園に息子を迎えに行った。
間に合わないのはわかっていたが保育園に向かった。
息子と自宅に帰る途中
母は息を引き取しました。
お母さん楽になったね。自由になれたね。
母の思い通り
家族に囲まれて自宅で亡くなった。
こんな幸せな人はいないよ。
そして、私の介護生活も終わった。
9年間ありがとうございました。
沢山の学びや気づきを母が私に与えてくれたと思います。
後悔はありません。
全てに感謝致します。
最後までお読み下さりありがとうございました。
私の体験があなた様のお役に立てましたら嬉しいです。
決して1人ではありません。
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