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読んで良かったが……~『椿ノ恋文』(小川糸)~

「ツバキ文具店」シリーズの第3作です。


読み始めてすぐ、「あぁ、こういう世界だったなぁ」と懐かしくなりました。鳩子はすっかりお母さんになっています。

今まで雨宮鳩子として生きてきた私の人生はなんだったんだろうと疑問になり、何故結婚したからという理由で夫婦のどちらかの姓に揃えなければいけないのか、そもそもの理由もわからなかった。同じ苗字にすれば家族の絆が深まるなんて考えるのは、逆に家族の絆を舐めているんじゃないかとさえ思えてくる。

p.11

本当に、その通りですよね。


懐かしくなったと言いつつ、どうも最初は波に乗れませんでした。結婚したら案外ミツローさんがふわふわした性格だったことが分かったこととか、QPちゃんが反抗期に突入、お隣さんは騒音に敏感、といった、鳩子を取り巻く様々な問題に、中途半端な現実味を感じたからです。そのくせ、下の子どもたちの「年子だけど同学年」というリアリティのない設定も、違和感を感じました。もちろん、そういうケースが現実にあるであろうことは分かりますが、そういう設定にする物語上の必然性は、最後まで感じられませんでした。

文句を言いつつ、波に乗り始めたのは、3分の1を過ぎたあたりでしょうか。


今、日本はペットブームで、犬や猫の飼育数の方が、十五歳未満の子供の数よりも多くなっている。

p.112

これ、知りませんでした。


男爵といい知的ヤクザといい、一見やさぐれて見える人ほど、根は優しいのかもしれない。ちなみに「やさぐれる」とは、すねた投げやりな態度のことではなく、本来は「香具師」の隠語で、家出をする、放浪するという意味だ。

p.120~121

これまた知りませんでした。


「私、根がものすっごくボジティブなんです。仕事でどんなに困難なことが起きても、なんとかなる、って思えたんですよね。根拠のない自信なんですけど。
でも、それで本当になんとかなっちゃうんです。そういう風に、もう心も体もできてるというか、反射神経みたいなものです
(中略)
こういう時ね、私、自分が神様に試されてるんだ、って思うことにしていうるんです。神様が、私がどこまでできるか能力を試していて、これは人生におけるテストなんだ、って。
このテストに合格したら、きっといいことがあるに違いない、神様からご褒美がもらえるはずだ、って信じているんです」

p.130~131

若年性アルツハイマーにかかってしまった小森さんの言葉です。こういう心持でいたいものです。


誰だって、愛する人に見守られながら人生を終えたいというのが、本音ではないだろうか。

p.137

鳩子さん、あるいは作者の小川さん、そういう一般化はやめましょう。少なくとも私は、誰にも看取られたくないです。一人で静かに、自分のタイミングであの世に行きたいです。「臨終が近いと思って枕元に駆け付けたのに、なかなか死なないなぁ」とか、思われたくないので。最期の時に居合わせる人がいたら、それこそ最後の力を振り絞って起き上がり、追い出したいくらい。もちろん、死後数日たって発見されるとかは嫌なので、死んだらほどほどで気づいてほしいですが。……わがまま?


七草爪をやった。
まずは自分の指先を七草の泳ぐボウルの水につけ、それから爪を切る。
(中略)
これをすると、その一年、風邪を引かないのだという。

p.154

この習慣は、初耳でした。


扇ガ谷と書いてオウギガヤツと読むことは、鎌倉の住民であっても知っている人はなかなかいない。実は私も、最近そう読むことを知ったひとりである。

p.157

また変な一般化をしています。小川さんが「最近そう読むことを知ったひとり」なだけでは?


「人口七千人の島に、椿の木が三百万本あるって言われてます。
椿って、すごく強いんですよ。だから、防風林として、島の人は、家の周りとか畑の周りとかに椿を植えるんです。島だから、やっぱり風はそうとう強くて。でも、椿って地中に根っこを強く張るから、ちょっとやそっとでは倒されないんです」
(中略)
「椿って、無駄がないんですよ。花びらはジャムにできるし、染料にもなるでしょ。
枝は炭焼きにして炭になるし、灰の方は焼き物の釉薬として使えます。葉っぱは、餅とか挟むのにも使えますしね」
(中略)
「夏の終わりくらいから実がなるんだけど、そうすると島民はみんな、下に落ちた自分ちの椿の実を拾い集めて、一週間くらいかけて乾燥させたら、その実を業者さんに出して、椿油にしてもらうんです。それが、現金になって戻ってくるシステムです」
(中略)
「椿って、いいとこ尽くしなんですね。強い風から身を守ってくれて、美しい花を咲かせて楽しませてくれて」
(中略)
「だから島では、滅多に切られることがないんです。大島では、椿ってすごく大事にされています」

p.216~217

長い引用になりましたが、あまりに椿がいいとこ尽くしなので、書いておきます。


伊豆大島が、今ではジェット船で1時間45分で行けるというのも、知りませんでした。若い頃、夜に出て朝に着くフェリーで行ったきりなので。そんなに気軽に行けるなら、そのうち行こうかな。


「火山灰のことも、島の人達、御灰って呼ぶんですよ」

p.224

三原山のこと、土地の人は御神火様って呼んでるんです」

p.225


「人間って、なんでも見えているつもりになっているけど、存在しうるすべての電磁波の周波数の一パーセント以下しか見えていないって言われてます。
そして聴覚も、一パーセント以下しか聞こえていないんですって。
つまり世界には、もっともっと、色と音が溢れているんですよ」

p.248


「伊豆大島って、かつて酪農がすごく盛んで、東洋のホルスタイン島って呼ばれていたんですって」
店主曰く、牛は体温が高くて暑さに弱いので、体を冷やしてあげるのが大事なのだそうだ。その点、ここは島だから海風が吹くし、どこからでもすぐ海に行ける。酪農をするのに、伊豆大島は気候風土が適していた。
「昔はね、それぞれの家で牛を飼ってて、牛を連れて海を散歩したって聞きました。海に行けば、ミネラルの塩も取れるし、草も生えてるし」

p.258


確かに私の方が先に生まれて、立場上はお母さんだけど、だからと言ってすべての面において私の方が優れているなんて、絶対にありえないのだ。

p.268

これが分かっている鳩子は、間違いなく良いお母さんです。教員だって、すべての面において生徒より優れているなどということはありません。


考えない、というのは、言うのは簡単でも、実行するのは難しいのだ。思考は野放しにされた野生の兎みたいなもので、リードをつないでコントロールすることなんて、よっぽどの訓練を積まなければ凡人にはできない。

p.301

この例え、すごくうまいと思いました。野良兎(?)を拾ったことがあるのですが、あの突然走り出すパワーは、忘れられません。


自分が八方塞がりだと思いこんでいたから、そんな簡単な抜け道にも気づくことができなかったのだろうか。たとえ八方を高い塀に覆われていても、だったらジャンプして空の方から飛び越えれば良いのだし、天井も塞がれているなら、ひたすら穴を掘って抜け出せばいい。それも無理なら、壁に歯を立てて、齧って自分で抜け穴を作ればいい。

p.303

これ、読んだ時は「なるほど」と思ったのですが、そうする力がない人だっているよな、と、後から思いました。


「相手が誰かわからなかったら、不安でしょ。
向こうも、同じかもしれないわよ。
お互いに相手の存在が見えないから、疑心暗鬼になるの。
例えば、お化け屋敷を想像してみて。どこから出てくるかもわからなかったら、そりゃ怖いわ。
でも、お化けをやっているのが知っているおじさんだってわかってたら、全然怖くないじゃない?
人って、正体が不明だから、怖くなるのよ」

p.317

バーバラ婦人、素晴らしいです。


読了して思ったのは、私にはやはりどうも小川糸さんの作品は合わないな、ということです。ネタバレになるので書きませんが、今作はあまりにご都合主義な展開があった上、どうしても私の肌に合わない行動をとった登場人物がいたのです。


吉本ばなな同様、残念ながら私にとって小川糸作品は、「多分これが最後」です。でも今作は間違いなく、読んで良かったです。




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