なんか、おもしろそう

大学出たら、何しよっかな
わたし、折坂悠太さんていうシンガーソングライターが本当に大好きで、ちょっとオエってなるくらい好きなんだけど、それと同じくらいマガジンハウスさんから出てる『POPEYE』が大好きなのね。将来アナザースカイに出たら「バイブルでーす」てたぶん言う。
で今日たまたま少し前の3月号を読む機会があって、そこにやっぱりたまたま折坂悠太氏のインタビューが掲載されてたもんだから、ウオーてなって目ん玉3回洗ってから読みました。わたしは彼の空気感とか、彼からでてきたことばとかコードが自分の身体の中をしゃあって巡る感じが本当に好きで。だから今回も、ひとつ私の大好きな媒体を介して出てきた折坂悠太を感じたことで、私の中から出てきた考えというか答えというか、気づきをつらつらと。

「なんか面白そう、で進むところじゃないでしょ学校は。将来取り組みたい明確なもののために進むべきところでしょう。」と言われた経験がある。
この言い分、すごく正しく聞こえてきますよね。至極真っ当で、世のマジョリティーをかき集めてギュッてしてハイおにぎりできました、みたいな気持ち悪さがある。
わたしは、このおにぎりの下で3年間くらいぺしゃんこになっていたことになります。

きっとこの言葉を聞いたあたりから、積み上げてきたものに忠実な将来を築き上げることを前提に先を見るようになってたんだな~と。だから、将来のことを考えようとすると、なんかすごく怖い。あれはできない、これしかできない、やりたいことってなに。
でもなんか超つまんないじゃんねそんなの。だって何したっていいんだよ私の人生ですので。
自分のほしいものを考えて、それを自分のものにするための地図もすぐ見つかって、今いるところから欲しいものにたどり着くまでの道のりにス○イム3体倒して経験値爆上げして、軽めのボス倒す、みたいなのが手っ取り早くて理想的とされてるんだろうけど、「え~ここの村よらなくてよかったじゃん」とか「この剣、結局つかわなかったね」みたいに、必要のないものに気づくことも結構大事だったりするのかもね。
もしかしたら帰りがけに、例の寄る必要のなかった村で楽しいお祭りに参加させてもらえるかもしれないし、剣屋店主の娘が将来自分の奥さんになるかもしれないし。

基本的に、引き起こる大抵のことは縁だと思っていて、その縁につながるものも自分で選り好みできるわけではなさそうだし。足と目と脳うごかしながら、ゆらゆらしてみたい。

今日初めて知ったんだけど「仕事」って、もともと「すること」からきてるらしいです。
「仕事」は「お金を稼ぐこと」というより「すること」だと考えておくと、楽だなあ、生きやすいように生きよう。


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