見出し画像

毎日、「脅迫」されていることに気づいているだろうか?

子どもたちの学校教育内容もずいぶん昔とは変わってきているようだ。
私たちが生きている社会の環境も大きく変わってきているのだから当然と言えば当然だ。
この世の中で
「幸せ」に生きている人はどれくらいいるのだろうか?
この「幸せ」というのも曲者である。
本当は幸せなのに、幸せだと思えず生きている人が多いのではないかと思う。

その一つはたくさんの「~ではならない。」とか
「こうあるべき。」を押し付けられているから。
はたまた、よく言われる「承認欲求」の強さゆえか。

良いとされる評価の基準が沢山ありすぎて、
すべてを満たすことなどできないのに
少しでも満たしていないことがあったり、
目新しいキラキラした言葉に踊らされ
自分を見失うと、「幸せじゃない。」と思い込んでしまう。

果たしてそうなのだろうか?
幸せではないのか?

私が違和感を感じる「基準」をいくつか挙げてみる。
あくまでも私の意見。
同じでないとダメと言っていない。
ココ、大切なポイント。(笑)

学校でのキャリア教育


昔は無かった・・・。
そもそもそんな早くに仕事について知らないといけないとは思わなかった。
仕事に就けないのは、仕事についてよく知らないからか?
早くからいろんな仕事について知っていたら、きっとその中から自分に合った仕事が見つかって働けるようになるだろう。と思うのか?(笑)

発達過程にいる小学生の未来がどうなっていくのか?がわからないのに 
これから先もその仕事が存在するかどうか?もわからないうちに
仕事、職業について学ぶのか?

うーーむ、違和感💦


「夢」をもってその「夢」を実現させよう。

「夢」ってすべての人が持たないといけないものなの?
今ここにこうして生きていることに感謝して、生きていることは幸せでは無いのか?偉業を成し遂げる人は別として、すべての人が「夢」を持つことが当たり前というのも違和感がある。

実際 私自身子どもの頃になにか具体的な「夢」があったかと言うと特になかった。なりたいものもなかったし、その都度、自分がいる環境の中で、
「こうなりたい。」とか「こうしたい。」とかいって
精一杯生きてきたように思えるのだ。

だから、「夢をかなえよう!」とか言ってくる社会は
私にとっては「脅迫」以外の何物でもないのだ。
それは、前出の「早くに自分に合う仕事を決めて仕事をしなければならない。」と言われているのとなんら変わりない。

「成功」しなければいけない。とか
「勉強」できなければならない。とか
良い?学校に行かなければならない。とか

これらすべてを叶えないと幸せじゃないと
「脅迫」される毎日に子どもたちも生きている。


大人たちから「脅迫」され続け、「恐怖」や「不安」をあおられている。

そして、このコロナ禍において
より一層抑圧的な毎日をすでに4年もの間過ごしている。
なんて恐ろしいことなのか?

どうせなら、もっとプラスの方向へ「脅迫」してほしい。
子どもはいかなる時も、のびのびと屋外で遊ぶべきである。
だから、室内にいるのは○○時間と限定する。とか。(笑)
鉛筆を持つ時間を一日××時間に限定する。とか・・・爆

笑い事ではなく
本当に子どもが健全に育つためには必須のことなのに、
なぜ、反対方向に子どもたちを誘導するのだろうと思う。
遊びが学びであり、遊びを学びにする教育が必要でそんなことができる人材も沢山育成しなければならなくなった。

間違ってほしくないことは、ただ、子どもたちだけで好き勝手に遊ばせていれば良いという訳ではない。
そこが難しいところではある。

子どもたちは、本来は、「学びたがっている」
「知りたい。」と思っている。
「できるようになりたい。」と思っている。
それを自然な形で実現させず、
大人の良いように方向を変えられ、
毎日「脅迫」され続けている。

私たち、大人同様、大人の身勝手な主張によって。

「みんな違っていい。」を実現している環境はどこにあるのだろうか?
発達障害の支援をしている人達であっても本当に「みんな違っていい。」環境を作り出している人はほとんどいない。
発達障害界隈でも、
目立つ才能をある子や人を良しと評価している教育環境なのだ。
もっと、当たり前のことを「素晴らしいことだ。」と言ってあげてほしい。
思いやりがあり、優しい子。
人を非難しない子。
いつもみんなが嫌がることをやっている子。


みんなは「幸せ」を勘違いしている。

健康で長生きしている人を近くで見ることが多くなったわたしは、
先人の生き方を学ばせてもらっているといえる。

そこには、社会が私たちを追い詰める「夢」だの「成功」だのそんな薄ぺらい言葉など存在しない。
本来の<しあわせの形>を知らしめている。
もちろん、そこに至るまでに大変な苦労をしてきただろうけれど、
その苦労は他人が作り出した基準に沿うものではなく、
「脅迫」されて不本意な生き方をしたのではなく、
流れに流されながら、自分らしさをなくすことなく
求められていることに応えようとして生きてきた結果である。
個性を大事にして生きているけれど、
決して「わがまま」ではなく。

子どもたちが生きていく未来が
これ以上「脅迫」に満ちた社会ではないことを願っている。

子どもらしさと自分らしさを
大切にした社会になることを願っている。


だから、
そんな子どもの学び舎を作りたいと思っている。
同じように思う人はどれくらいいるだろうか。


個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!