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【同性愛】 本気じゃないなら、 勘違いさせないで


 女の子同士って、特に学生時代のように、外の世界をまだ知らない頃は、期間限定の疑似恋愛みたいなことをして楽しむことがある。でもそれって、本気で同性が好きな人間にとっては、とっても残酷になり得る。



「 女の子同士 」 あるある

 私は高校から女子校に通っていました。15歳から社会に出るまでの思春期真っ只中の期間を同年代の女子だけの環境で過ごす。先生や他学校の生徒など、もちろん異性との交流もあるけれど、最も長い時間を共に過ごして、一緒に色んな経験をして、同時期に同じような悩みや葛藤を共有するのは、自分に最も近い関係であるクラスメイトになる。となると、やはり同年代の同性と関わっている時間が圧倒的に多い。


ときには喧嘩して、ときには励まし合って、どんどんと関係を深めていく。それがもっと進んでいくと、相手にとって一番の仲良しでありたいとか、大事な秘密を共有したいとか、絆のようなものを濃く感じていたいとか、私の場合はそう思うようになり、「友だち」というそんなシンプルな枠組みのなかには抑え込めないほどの、複雑な感情が大きく揺れ動いたりしていました。

それこそ、そこには大人になり切る前の我儘な気持ちだったり、未熟な内面が複雑に絡み合うことも多かったように思います。相手を特別に大事にしたい、相手にも自分のことを知って欲しい、相手よりも自分の気持ちを優先してしまうなど。

そういった気持ちが膨らんでいくにつれ、大切に思う特定の相手が欲しい、と思うようになり、唯一無二のような存在が欲しいと思ってしまう。その結果として、恋愛をしたがる。けれど、女子校であれば身の周りには同性しかいないため、代わりにその気持ちを女の子同士の「恋愛ごっこ」のようなもので満たそうとする場合がある。それはまるで、恋に恋するような気持ちに似ているかも知れません。


以前の記事「【同性愛】ごめん、恋に恋してたみたい……」で書いたのですが、私自身もまだ自分の気持ちがハッキリと分からないまま、他校の男の子とデートを繰り返していました。その間は真剣そのものでしたが、それが恋に恋する気持ちからきていたと気が付いたのは、自分の気持ちをじっくりと観察して考えてみて、もう少し時間が経ってから気が付いたことでした。



異性同士であればハッキリと「付き合う」or「別れる」という関係性の区切りがある場合が多い。ただ、同性同士では友達以上恋人未満といったふうに、あやふやで仲良しの延長線上といった関係になる場合が多い。関係性の区切りがなく、意識すらあまりされないような。グレーな感じで、学年を重ねるごとにお互いに自然消滅といったような。



期間限定の恋愛ごっこ

 異性との交流が少なく、同性に限られた関わりが多くなる環境では、特定の同性に対して恋心に近いような感情を抱いたり、擬似恋愛を楽しむことは良くあることなのかも知れません。そして、その「期間限定」の疑似恋愛は大抵、卒業などのタイミングを持って途絶えてしまうことが多い。しかもそれは、ちゃんとした「さようなら」という別れの区切りがあるわけでもない。付き合ってなどいないのだから当然だと言われてしまうかも知れないけれど、相手の言動だってまるで付き合っているかのように錯覚してしまうほどのものでもあったのに。

自然と各々が就職や大学への進学というタイミングで、ひらけた世界に飛び出して行って、そこで知る異性との刺激的な交流により、もはやあれは「女子校あるある、恋愛ごっこ」だったと片付けられてしまう。


でも、大学に行っても就職をしても、広い世界を知った後でも、同性が好きだと気が付いた私は「女子校あるある、恋愛ごっこ」だとして片付けられない、片付けたくない。ましてや、そんな自分の気持ちに気が付いた後は、異性と交流ができない期間に限った代替品として関係を築かれるのは、傷つくことがあった。


本気じゃないなら、勘違いさせないでほしい。
だって、こちらは本気なのだから。



「私、レズだから」 と公言していた友人

 学生のとき、「私、※レズだから」と公言していた友人(以下、Dさん)がいました。Dさんとは元々私が知り合ったわけではなく、友だち(以下、Cちゃん)の紹介で仲良くなった子でした。今回の記事では「私、レズだから」と公表していたDさんと、そんなDさんに『付き合って』と告白されたCちゃんの話を書いてみようと思います。

※レズという単語は差別的な表現で使われてきた歴史があり、「レズビアン」と表記するのが良いと認識していますが、ここではあえて実際の表現を使用しています



 Dさんはとてもボーイッシュな人でした。当時、私よりも髪の毛は短く、日に焼けて、さらには胸も潰していました。そのことから、Cちゃんは「最近仲良くなったDっていう子がいるんだけど、◯◯(私の名前)に似て、男の子っぽいから、気が合うんじゃないかな」とDさんを紹介してくれたのです。


ちなみに当時、私は誰に対してもセクシャリティを公表していなかったので、Cちゃんは私が同性が好きだということは知らない状況で、偶然にも紹介してくれたのでした。


そんなCちゃんから、Dさんを紹介された日。お互いに初めて会って「初めまして……」から始まる自己紹介で、面と向かって開口一番に「初めまして、Dです。私、レズだから、よろしく」と言われ、あまりに自然な言い方にこちらが反応する間もなく言葉を返したのを覚えています。


後から聞いた話だと、出会った人みんなにそう自己紹介をしているとのことでした。「それを初めに言っとかないと、ちょいちょい話が通じなんだよね。ん? それってつまりどういうこと? みたいになって、面倒だから」とDさんは語っていました。

当時の私は、その潔さと、Dさんの周りの人々はそれを知っているからこそ色んな話を大っぴらにできているその現実を、内心で少し羨ましいなと憧れながら見ていました。



Cちゃんの反応

 私とDさんがお互いに自己紹介をし合う様子を側で見ていたCちゃんは、「私もDと初めて会ったときに、それ言われたんだけどさ、つまりは女の子が好きってことだよね? あの、漫画とかでよくある『女の子同士』みたいな感じで」といった反応で。あ、これたぶん意味が伝わってないんじゃないかな、と私はその瞬間に感じました。

すると、同じことを感じたであろうDさんは、すかさず「いや、恋愛対象が女の子なの。女の子のことを恋愛対象として好きになるの」と返し、それに対してCちゃんは「え、でも男の子も好きなんでしょ?」といった感じ。以下に再現するように、永遠に交わることのない平行線を辿る会話でした。



Dさん「もし男の子も好きだったら、それはバイセクシャルって言うの。女の子しか好きにならない人は、レズビアン」
Cちゃん「え、じゃあ男の子のこと嫌いなの?」
Dさん「嫌いなんじゃなくて、恋愛対象にはならないってだけ。普通に仲良い男友だちもいっぱいいるし」
Cちゃん「え、じゃあ男の子になりたいの?」
Dさん「そう思うこともあるけど、そう思わない子もいる」
Cちゃん「え、じゃあ女の子として女の子が好きってこと?!」
Dさん「だから、そう言ってるじゃん!笑」
Cちゃん「え、同性同士で恋愛なんてダメだよ!」
Dさん & 私「なんで!!ダメじゃないでしょ? なんでダメって思うの?」
Cちゃん「だって、そんなの変じゃん」


……みたいな感じで永遠に交わらない会話が続いていき、「同性同士で恋愛なんかダメ」という発言が出たときには、私も咄嗟にDさんと一緒になって言葉を返してしまいました。


その後もCちゃんの話を聞いている感じだと、おそらくCちゃんのなかでの「女の子が好き」というものは、漫画などでよく見る「とっても仲が良い女学生同士」のような、いわゆる百合漫画のような雰囲気のものだと捉えているようでした。どこまでいってもお互いに本気ではない、といった関係(もちろん、百合漫画のなかにも本気の恋愛を描いたものは沢山ありますが)。女の子同士の、ちょっとアヤシイ関係といったような感じ。友人以上恋人未満で、仲良しさの象徴としてキスをしちゃってキャッキャウフフするような、疑似恋愛のようなもの。


私やDさんが何度説明をしてみても、Cちゃんは断固として、同性を好きだという気持ちが分からない理解ができない、普通じゃない、だから「おかしい、ダメ」といった主張になるようでした。



「同性愛が理解できない」 と否定してくる人

 同性を好きという気持ちを抱いたことがなくて、その気持ちを分からない人がいるのも理解できない人がいるのも、それはそう。だって、私も異性を好きだという気持ちが分からないし理解ができないから。でも、だからと言って私は「異性愛」を否定しない。


自分が同性を好きだと思う気持ちと同様に、異性を好きだという人がいるのも、そうなんだろうとただ思うから。その「気持ち」は自分が抱いたことはなくて、分からないものであったとしても、そういう人もいるんだろう、とただ思う。


「宇宙人がいると思いますか?」という問いに対して、証拠も確証すらないのに「絶対にいない! あり得ない!」と否定する人がいたり、「まぁ地球に人類がいるってことは、それと同じように宇宙のどこかにもまた別の人類がいるのかも」とフワッと考える人がいることと、どこか似ていると思う。


自分はこう思う。でも、そうは思わない人もいる。色んな人がいる、それだけ。わざわざそれを否定しようとは思わない。世間一般では、たとえマジョリティ or マイノリティで括られるとしても、私のなかにはそもそも「同性が好き」という事実しかない。



 小学生のとき、カレーライスが好きじゃなくて食べられないという子がいた。クラスメイトは「なんで?! カレーなんて、みんな大好きじゃん?! 変なの!」と口々に言っていた。でも、それはカレーライスが一般的にみんな大好きな確率が高いだけのこと。その理由だけで「好きじゃない」という人が責められる理由にはならないと思った。自分の好みに対して、他の人もみんなそれが好きかどうかなんて、本来は関係ないはずだ。みんなが好きだからと言って、自分も好きだとは限らない。その逆もまた然りで、自分が好きだからと言って、みんなが好きだとは限らない。




同性を好きなマイノリティな気持ちは、マジョリティな異性愛と同様に、心の底から真剣なもの。決して遊びでも、一時的な疑似恋愛でもない。でも、なぜかそんな簡単なことが、なかなか分かってもらえない。


どうしてなんだろう。数が少ないから? 本当にそれだけの理由なんだろうか。



さらにビックリした話

 Dさんを紹介されてからと言うものの、私がDさんの存在を知ったことにより、CちゃんとDさんは本当に仲が良いんだなぁという印象が強くなっていきました。

Cちゃんから話を聞いていると、ほぼ毎日メッセージのやり取りなどもしているようだし、さらには平日の学校終わりや休日にも一緒に買い物や映画を見に行った話も聞いたり。ふと見ると、CちゃんはDさんの隣の席に座っていることが多いのが印象的でした。


3人でご飯を食べる際には、Cちゃんの隣にはDさん、その向かい側に私が座る。映画館で横一列に座る際などには、Cちゃんの両隣を私たちが挟むような構図。私自身はCちゃんにもDさんにも恋愛的な感情は抱いていなかったので、3人でいるときは友だちの関係。そんなニュートラルな立場から見ていも、CちゃんとDさんとの仲の良さは群を抜いていっているようでした。



そんな日々が続いていたある日、Cちゃんが私に話してくれたこと。

Cちゃん「あ、Dから『付き合って』って言われたから『いいよ〜』って返した」
私「え?! いつ?!」
Cちゃん「昨日の夜。一昨日からDの家に泊まりに行ってて、普通に遊んでたらそう言われたから、いいよって返した」


えぇ、まさかの急展開、おめでとう! と思いながら、私はそれからその二人のことを「付き合っている二人」として捉えていました。もう大人に近い年齢の二人の内一人が告白をして、もう一方が肯定的な返事をした、だから付き合っている、と。そこに異性も同性も関係ない、ましてやDさんは公表もしているぐらいだから、その真意をちゃんと理解した上でCちゃんも返事をしたのだろうと。



「 相手は女の子だよ? 笑 」 という一言

 その話があってから1週間ぐらいが経った日、授業終わりにCちゃんから「この後、Dと買い物に行って晩御飯も食べて帰るんだけど、一緒に行く?」と誘われました。そんな、付き合いたてのカップルのデートについて行くなんて無粋でしょと思い、「え、いいよ、二人で行って来なよ。私いったら完全にお邪魔じゃん」と返事をしました。

すると、Cちゃんは「え、もしかして前に言ったこと、本気で捉えてないよね?  そんな関係じゃないから、気を使わないで(笑)」と。「いや、絶対にDさんは本気に捉えてると思うよ」と私が返すと、Cちゃんは「いや、相手は女の子だし(笑)」って言い出して。


これは……と思いながら、Dさんは本気で捉えているはずだ、といくら話をしてもCちゃんは「いや、絶対に相手は本気じゃないから! だってよくあるじゃん、女の子同士で『付き合って』とか『結婚しよう』っていうノリ。それに対して『良いよ〜』って返しただけだから」といった感じで、全く真剣に捉えていなかったんです。



その話を二人でしていると、偶然そこに居合わせたDさんの友人も会話に加わり、「Cちゃんは本気なの?Dは、Cちゃんのこと本当に好きって言ってたから、たぶん本気だよ。もしCちゃんが本気じゃないなら、早めに本人に言ってあげたほうがいいと思う」と、その真剣な面持ちからなにかを悟ったのか、Cちゃんは「えぇ〜」と戯けながらも「……分かった。今日、会う予定だからそのときに伝えてみる」と返事をしていました。


それから間も無くして「Cちゃんは、本気でDさんに返事をしたわけではなかった」という真意がDさん本人に伝わり、CちゃんとDさんの付き合いはなくなっていきました。



本気な気持ちと、 遊びの気持ち

 この一部始終をともにしていた私は、複雑な心境と、少し寂しい気持ちを抱えていました。というのも、私も今までに似たような経験があったからです。


私自身も、仲の良い同性の子から『付き合って』や『本当に好き』などと言われたことが何度かあり、しかもそれは突発的にふざけて言われたものに限らず、きちんと文脈とそれまでの関係性があってのこともありました。そこで、これは真剣なものかも知れないと思って真面目に返事をしようとすると、相手は「え、冗談だよ」といった反応で、それ以降は気まずくなってしまうことがあった。なかには、「この前さ、冗談で『好き』っていったらさ……」「え、実はソッチなんじゃない? 見た目もソレっぽいじゃん(笑)」なんて、私の方を見ながらヒソヒソ話をする友人を見てしまったこともありました。



おそらく、発言した子は特に深い意味もなく、一種の友好を示す言葉として言ったのだろうけれど、こちらは真剣に捉えてしまう。だって同性が好きという気持ちは本気だから。可能性があるってことかな、と変に勘くぐってしまって。

そういった経験を重ねるにつれ、大人になるにつれて、傷つかないように予防線を張ることが多くなっていきました。それは、相手はそういう意図ではないのだろうと捉えて勝手に諦めることだったり、自分自身でセクシャリティを公表しないことで守ることだったり、つまりは自分の気持ちを隠そうとすることだったり。そうすると、傷つかないから。ただ、その代償として、もはや「好き」という気持ちをやり過ごしすぎて感情が薄くなってしまったり、相手との関係の進展も無くなってしまうこともあるけれど。



 今回の場合は、Dさんが事前に「恋愛対象として同性が好き」ということを表明していたことで、相手もそれを分かった上での本気の発言なんじゃないかと勝手に思い込んでいた部分があったから、余計に「あぁ、やっぱりか」と思ってしまったのです。


「あぁ、やっぱりか」の気持ちは、どれだけ本気の気持ちを抱いていたとしても、同性だという事実があるだけで恋愛として真剣に捉えてもらえない、本気な関係に発展していかないということに対して。同性が好きだということだけで、仲の良かった友人からでさえ「分からない、理解できない、変だ」と面と向かって言われてしまう場面がある。


ちなみに、また別の記事で書こうと思っていますが、私の目の前で複数人相手にカミングアウトをしたまた別の友人の話があるのですが、その場でも「一切、理解ができない」と否定というか拒否をする友人がいました。また、よくあるテンプレートでもある「私のこと、そんな目で見ないでよね」に近い発言も。



時代はたしかに少しずつ進んできているけれど、まだまだ十分ではない場面が圧倒的に多い。「どうか、分かってください!」なんてことを大袈裟に言いたいのではなくて、たしかに一定数はいるのだから、面と向かって否定なんてしないでほしい。私の周りには今までそんな人いなかったから分からない、ではなく、気づかれないようにしていただけかも知れない。たしかに、そこにいたのに。




私は本気だと言っているのに、 あなたは?

 歳を重ねるにつれて、あなたの世界はどんどんと広がって、私のことなどすぐに忘れてしまうのかも知れない。女子校時代の「あぁ、そんなこともあったね(笑)」というそれだけで終わってしまうのだろう。


異性だったら確実に恋愛に結びつくようなことでも、同性だったら、どんな言葉でもどんな行動でも「友情以上、恋人未満」みたいな範疇に抑え込まれてしまう。仮に「そう意味で好き」と伝えても、同性だからという理由で受け入れてもらえないことは、やっぱり多い。「あれは、学生時代の遊びだよ」と、私は本気で好きだったのだから、そんな曖昧で遊びのようなもので片付けないで欲しいと、どうしても思ってしまう。


一緒にいたら楽しいね、大好き、ずっと一緒にいたいね、私たち上手くいくかもね、本気で好きかも、なんて言葉をずっとかけてくれていたのに。その言葉を半ば信じて淡い期待を寄せながらも、結局は社会で知り合った異性と付き合ってゴールイン。もはや私は「学生時代、特に仲が良かった子」という枠で置き去りにされていく。



私の場合、歳を重ねるにつれて、世界は広いのだと感じれば感じるほど、私にとっての世界はやっぱり狭いと感じてしまう。社会に出て、広いとされる世界で色んな人と関わっていても、どこでも「当たり前」の大前提で話が進んでいく。ビジネスの場ですら、「最近は『多様性』のことも考えておかないと、批判がくるからね」なんて、そんなふうに捉えて理解して欲しいのではないのに、ということを目の当たりにする。

仮に多様性を変に謳った写真などでも男性同士の写真だけ、マイノリティのなかのマイノリティまでは気づいてもらえないのかと感じることが多い。


誰と話していても、みんな全てを男女に当てはめて、結婚の話題が出て、子どもの話が出る。身の回りの「当たり前」に押しつぶされそうになる。


好きなタイプは? 顔のタイプは芸能人で言うと?
何歳ごろまでには結婚したいと思う?
子どもは何人ぐらい欲しい?


好きなタイプは尊敬できる人です。顔は、好きになった人が好き。
(身長は大きすぎず165cmぐらいまで、髪の毛はミディアムショートぐらい、ちょと気の強そうな顔が好きで、芸能人で言うと……女優の◯◯さんみたいな)

仕事に集中したいから、結婚はまだ考えていません。
(結婚はしたいけれど、いまの日本の法律では結婚できない)

正直、いまは子どものことまで考えられないですね。
(そもそも双方の遺伝子を継いだ子どもは産めないし、自分が子どもを産む姿などですら想像できない)


括弧内の本心を言ってしまったら、場の空気が固まって気を使わせてしまう。さらには、その場で会っただけの親しくもない人に対して、場の空気を固まらせて気を遣わせてまでそんな本心を話したくもない。


ありきたりな、本心ではない回答テンプレートをいつも繰り返す。それによって、LGBTQ当事者など身の回りに存在していないという考えを助長してしまっているのだろうか、なんて考えながら。もはや相手の返事も、私の耳にはすんなり入ってこない。自分は「ありのまま」に生きられない、公表すらできない臆病者なのだろうかなんて考えながら、いや、そもそも公表しなければならないとプレッシャーに感じることも変だよね、なんてそんなことを考えながら、一刻も早くこの場の話題から逃げたいと感じているから。



今後は、親しい人や友人には、セクシャリティのことを伝えられそうであれば伝えようとも思う。言わなければ分かってもらえないとも思うから。でも、思い切って言ってしまうことにはリスクが伴うことも忘れられない。

 実は、社会人になってからCちゃんと会う機会があった。その際にお決まりの「もうそろそろ、結婚しないと行き遅れる」という話題が出た。あえてセクシャリティなどを公表する意図はなかったけれど、隠す意図もなかった私はありのままに話をした。するとなにかを察したのか、その日以降Cちゃんとは疎遠になってしまった。

元々「同性愛はダメだ」と言っていたCちゃんからしたら、私のことも「理解できない」存在へと切り替わってしまったのかも知れない。それとも、どう反応したり受け止めたりしたら良いのか分からなくなってしまったのか。もちろん、それ以外に理由があったのかも知れない。真相は分からない。

ただ、隠さずに生きると決意すれば、こういうことも起き得るのだ。どうすればいいんだろう、どうしたら良いのだろう。


こうして学生時代から仲が良かった貴重な友人の一人と疎遠になってしまった。

でも「同性愛はダメだ」という意見を持つCちゃんのことも、私は否定したくない。
私は同性が好き、あなたは異性が好き。
そう思う人がいる、そう思わない人もいる、いろんな人がいる。

多様性を認めることとは、究極に言って仕舞えば、そういうことなのかも知れない。

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