見出し画像

【同性愛】 ごめん、恋に恋してたみたい……


 現時点では、私の恋愛対象は女性です。身体と性自認は女性で、なおかつ恋愛対象は女性なので、強いてLGBTQに当てはめて表現するならば、おそらく「 L 」だと思います(今まで男性に対して恋愛感情を抱いたことはありません)でも性自認やセクシャリティは流動的なものだから、今後も変わる可能性だってあります。



私の場合、同性のことが恋愛的な意味で好きだと気づき始めたのは、高校生の頃でした。自覚するのに年齢が遅いも早いもありません。ですが、高校生ぐらいの年代って、まだまだ同性 or 異性どちらともとの人間関係の経験がそもそも浅い。

だからこそ、その漠然とした気持ちが単なる「憧れ」なのか、はたまた「恋心」なのか、それとも友情や恋情を超えた大きい意味での「愛」なのか。なかなか、コレだ! ってハッキリと確信が持てるものではないと思うんですよね。



また、見た目のことに関しても、現在は髪型も服装もだいぶボーイッシュですが、高校一年生の頃はボブカットの女の子という感じで、髪型も服装も特段ボーイッシュでもなく、制服もスカートでした。当時のことを今から振り返ると、なんとなく自分の気持ちにそぐわない見た目だと感じつつも、周りに合わせたい、浮きたくないという気持ちが真っ先にあったから、そうしていたのかも知れません。


今回は、そんな流動的であやふやな気持ちを抱えながら、自分で徐々に「私って同性のことが好きなのかも知れない」と気が付いていった過程を書いてみようと思います。



好きな人からされる恋愛相談

 高校一年生のとき、好きな人がいました。相手はクラスメイトの女の子。でも、その「好き」という気持ちが友情なのか恋愛的な気持ちなのかは、最初はあまり意識していませんでした。なので、ただ「好き」という感じ。分かりやすいように、ここではその子のことを「Aちゃん」と呼びます。



とりあえずAちゃんと一緒にいると楽しくて、だからもっと一緒に居たいと思って。さらには、腕を組まれたり、抱きつかれたり、自分のことを真っ先に頼ってくれたり、好きだと言ってくれたり、カッコいいと言ってくれたり、そんなふうに仲良くしてくれたら、もっと嬉しく感じて。学校でも一緒に過ごして、授業中には手紙をやりとりして、下校後にはメール(当時はLINEなどをやっている人が少なかった)をし合ったり、とにかく色んな思い出を共有して日々を過ごしていました。



でも、出会って半年以上が経ったある日、Aちゃんに好きな男の子ができました。しかもそのAちゃんの片想いの相手は、私の小学校の同級生。同じクラスになったこともあったことから、根掘り葉掘りその男子の情報を聞き出されました。Aちゃんから付き添ってと頼まれて何度も一緒にその男子に会いに行ったり、恋愛相談をされるようになって。Aちゃんと一緒にいて遊んでいても、話題はずっとその片想いの男子に。

ここ数ヶ月で知り合った相手の男子よりも、ずっと長い時間を共に過ごして、うんと沢山の思い出を共有してきたのは私なのにな、と思いながら。


学校での日々も、お昼休みのご飯も、放課後のお茶も、勉強会も、合宿も、部活も、夏祭りも、体育祭も、文化祭も、イルミネーションも、一緒に行って時間を過ごしたのはぜーんぶ私なのにな、と思いながら。

元気がないときは真っ先に駆け寄って、落ち込んだときも電話やメールで話を聞いて励まして、親とケンカして家を飛び出して行き先がないからと言うから、電車に乗って駆けつけて一緒に時間を過ごしたのは私だったのに。


そんなふうに勝手に、Aちゃんの片想い相手にジェラシーを感じながらも、まぁこれは特別仲良しの友人を取られてしまうという気持ちからきているのかな、と自分を納得させてAちゃんの片想いを応援していました。


そんな日々を過ごしていたある日、突然Aちゃんから真夜中の電話が。慌てて電話に出てみると「フラれた」とのこと。聞いた瞬間に、そうか、これでAちゃんの片想いは終わるんだと、内心では正直ホッとした気持ちを抱いてしまいました。でも、どうして私ホッとしているんだろう、友だちとして最低だと思いながら、慰めながらAちゃんの話を聞いていると「私、諦める気まだないんだ」と片想いを継続すると話をされて。そこからまた、片想いの相談を受け続ける日々になりました。



当時、私の頭のなかに「同性が好き」という考えはあまりなく、ハッキリとした確信的な気持ちもなかったので、全て「特別な友情」として片付けていました。だからAちゃんのことも、数いる友だちのなかで特別に好きな「友人」枠に入れ込んで納得をしていたんです。だからこの気持ちは「恋」ではないと。いや、もしかしたら自分自身にそう思い込ませていたのかも知れません。私もいつか、異性に恋をする日が来るんだろう、と。そうなると、いままで私はまだ恋をしたことがないのか、とも思いながら。




男の子とデートしていた日々

 Aちゃんへの気持ちは「友情」なのだと勝手に自分を納得させていた私。

高校1年生の終わりの頃、昔から知り合いだった、いわゆる幼馴染の男の子(これ以降はBくん呼び)と再会する機会があり、高校生になってから初めて同年代の異性との交流ができました。Bくんのことは、今まで出会った異性のなかでは一番好きでした。その好きは、人間として好きだというような、広い友情に近い感情とはまだ分からずに。

そんな頃、Aちゃんから「◯◯(私の名前)も、恋した方が良いよ。楽しいよ」なんて言われることが多くて、そうか、恋ってそんなに楽しいものなのかと思い、私もBくんのこと好きだしな、もっと好きになって「恋」になるものなのかも知れない、とデートをするようになりました。


その頃の私はまだ、恋は男女のものだと思っていたから。


だって、映画館で見る話題の映画でも、月9のドラマでも、賞を取った小説でも、大人気マンガでも、流行りの歌ですら、恋愛はいつも必ず男女で行われていたから。



 Bくんとほぼ毎日メールをやり取りするようになって、そしたらどんどんと距離が近づいていって、学校が終わってからBくんと待ち合わせをして2人で出かけるようになりました。ただ、付き合ってはいなかったので、ご飯を食べたりお茶をしたり、休日には買い物に行ったり、一緒に映画を見て解散というピュア(?)な付き合いでした。


すると、私に異性の相手が出現したことによって以前より恋バナが盛り上がるからなのか、Aちゃんとは以前に増して会う機会は多く、話す時間は長くなっていました。

もしかしたら私は、Aちゃんと話題を共有して、少しでも多くの時間を過ごせるようになっていったことが、嬉しかったのかも知れません。それか、大っぴらに恋バナを出来る開放感。いや、もしくは「同性が好きなんじゃないか?」という疑いの目から逃れたいという保身の気持ちだったのかも。

いずれにせよ、そんな中途半端な気持ちのままデートを重ねもらっていたBくんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。



 季節が流れていくにつれ、Bくんにはバレンタインデーのチョコをあげたり、ホワイトデーにはお返しをもらったり、メールや電話でも親しいやりとりが増えていって、一緒にいる時間が増えていって。どんどんと親しくなっていって、たまに手が触れたりして。もちろん、Bくんのことは信頼していたし、人間として大好きだし、カッコよくて優しくて良い人だなと思うし、尊敬もしていた。一緒に過ごす時間は楽しかったし、ごく稀に、少しだけ胸がドキドキするようなこともあった。この些細な胸のドキドキが「恋」というものなのだろうか? と思いながら過ごしていました。

でも、もしも一歩その先で実際に付き合うということになったら、どうしようとも常に考えていました。


だって、Aちゃんと腕を組んだり手を繋いだりしたら、心が動く。
でも、Bくんと腕を組んだり手を繋いだりしても、心が動かない。

だって、Aちゃんとは色んなところに2人で一緒に行きたいと思う。
でも、Bくんとは色んなところに2人で一緒に行きたいとは思わない。

だって、ふとした瞬間にAちゃんのことを考えている。
でも、ふとした瞬間にBくんのことは考えていない。

だって、Aちゃんには触れていたいと思う。
でも、Bくんには触れていたいと思わない。

だって、Aちゃんと付き合いたいと思う。
でも、Bくんと付き合いたいとは思わない。


Aちゃんと2人で行った数々のイベント、そこでの自分の胸の高まりと、Bくんと2人で行ったイベントの数々での自分の気持ち。

Aちゃんと腕を組んで歩くとき、人混みで手を繋ぐとき、ふと後ろから抱きつかれるとき、心臓の音が相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどにずっとドキドキしていた。


Aちゃんと2人で撮ったプリクラを待ち受けにして、筆箱のなかにAちゃんからの手紙を入れ込んで、気が付けばいつもその姿を目で追っていた。

ふわっと漂うシャンプーの匂いがする香水に、短く折り畳んだスカート、可愛い顔なのに全力で変顔をするところ、口は悪いのに実は優しいところ、地毛なのに茶色いフワフワな髪の毛。


今までに経験したことないぐらい、それら全てに胸が高鳴って心が動いていた。
もしこれを「恋」と呼ばなければ、なにを「恋」というのだろうと考えるほどには、それだった。



そこで初めて「私、やっぱり同性が好きなのかも」と思うようになりました。Bくんには本当に申し訳ないことをしてしまったのですが、私が密かにその気持ちに気が付いてから程なくして、これまた偶然か必然か、Bくんから「ごめん、好きな人が他に出来た」と言われたのを最後に、Bくんとの関係は終わりました。


てっきり私が失恋したものだと思ったAちゃんは、慰めてくれました。
だけど、ごめんね、私はその失恋に関しては、全く落ち込んでいないんだ。もう自分の気持ちに気が付いてしまったから、それを今後の人生でどうしようかと真剣に考えているだけなんだ、と思いながら、私はAちゃんの話を聞いていました。

ひとたび、その気持ちに自分で気が付いてからと言うものの「あぁ、中学生のときの、あの気持ちもそれだったら合点がいく」とそれまでの全てに自分で納得がいって。そういうことだったのか、そっか、と静かに自分の心の内だけで、あれもこれも、あのときの感情も、この感情も、それだったんだと納得を一人で密かに繰り返していました。


まだ例の男子に片想い続行中だったAちゃんとは、友人として、恋愛の相談相手になって、その後も同じ時間を過ごしました。



でも、私とBくんとの関係が終わって少し経った頃から、「○○(私の名前)は、いま好きな人いないの?」とAちゃんから聞かれるようになってしまって。あるとき思い切って「いるよ」とだけ返しました。すると当然「え!? どんな人?」と聞かれて。でもバレないように悟られないようにチグハグに、適当な言葉を返して。本当は、その言葉に続けて、心のままに言ってしまいたかった「目の前に」という言葉を。何度も何度も、言ってしまおうかと思った。でも、結局ついに言えることはなかった。

それ以降は、自分自身の恋愛相談などは誰にも打ち明けられないまま、喉まで出かかった言葉を毎回飲み込んで、Aちゃんの片想いをずっと応援していました。


その後、間も無くしてAちゃんに彼氏ができて、私の片想いは溶けてなくなりました。



席替えで、Aちゃんと私の席が前後になったとき、嬉しかった。

いまでも、国語の授業中にAちゃんのイスの背もたれを、後ろから掴みながら居眠りをしたことを思い出す。


あの行動は、まるで私の密かな片想いを表していたようで、なんだか笑える。
Aちゃんは全く気がつくことなく真正面の黒板だけを見ていて、私は後ろから本人には触れることすらなく、密かにAちゃんの座るイスの背もたれを掴むだけ。しかもそれは、一番後ろの席で誰からも見えない位置だったから出来たこと。それだけで満足するしかなかった。


プリントを渡してもらうときも、受け取る手をわざと離さないように力を込めて、ちょっとだけで良いから、少しの間でも良いから、私の方に振り返ってほしくて。

結局3年間、私の方に振り返ることはなかった、振り向かせることもできなかった。卒業式の日にはかつての想いだけでも伝えよう、と決心した日があったけれど、それすらも出来なかった。卒業式の日もAちゃんの傍には彼氏がいた。

もはやその相手は、ずっと熱心に、私に片想いの相談をしていた男子でもなくて、数週間前まで態度が悪くて嫌いだと私に愚痴をこぼしていたような男子だった。もしかしたら、恋に恋していたのはお互い様だったのかも知れないね。


Aちゃんと会ったのはそれが最後だった。



 今から10年以上も前の、私のクラスでの教室という狭いコミュニティでは、とてもじゃなかったけど同性が好きだということを仄めかすことすら、相談でさえ出来なかった。それは私が臆病者だったからなのだろうか、それとも勇気が足りなかっただけなのだろうか。どうして、同性の人のことが好きだというだけで、こんなにも怯えなければならないのだろう。



当時の雰囲気

 当時(2010年代)は、LGBTQ多様性といった言葉もまだ今のようには浸透しておらず、学内ではとてもじゃないけれど告白だったり、カミングアウトのようなことを出来る雰囲気ではありませんでした。ましてや、小さな学校という狭いコミュニティで、もしも居心地が悪くなってしまったら、と考えれば考えるほど、何も言えなかったのです。


好きな人と一緒にたくさん時間を過ごして思い出が増えること、相談相手になれること、真っ先に頼られることは嬉しかったけれど、当時15歳の私はいつも誰にも打ち明けられない寂しさを抱いていました。いっそのこと、告白できればいいのに、と何度も思いながら。勇気を出して言ってみてしまおうか、と何度もガラケーの発信ボタンやメールの送信ボタンを押すか否か、時間をかけて悩んで、一歩踏みとどまってを繰り返していました。



私がそんな気持ちを密かに抱えている頃、学校生活のなかでは「◯クラスの◯◯ちゃん、同性もいけるんだって。さっき◯◯先輩が好きって相談を受けたんだけどさ」という話題が私のクラスで大々的に上がる、いわゆる※アウティングを目撃してしまうことがありました。

さらに、それに対して「本当にそういう人いるんだ……私そういうの無理」と発言するクラスメイトがいて、しかもそれが結構仲が良かった友人だったりして。そんな話題や発言が出るたびに、内心でヒヤヒヤしながらショックを受けて、これは告白できない、言わない方が良いな、と当時の私は判断したのです。

※アウティング は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーなどに対して、本人の了解を得ずに、他の人に公にしていない性的指向や性同一性等の秘密を暴露する行動のこと。

Wikipedia「アウティング」より引用


 映画でもドラマでも小説でもマンガでも、歌ですら、恋愛はいつも必ず男女で行われる。同性同士の恋愛物語は、特に女性同士はごくごく限られていて、よく探さないと見つけられなかった。見つけたとしても、限られた場所の買いづらいコーナーにあった。読み進めるうちに結局は男女で結ばれたりして、「あぁ、やっぱりか」と読みながら勝手に傷ついてしまうことが何度もあった。


今の時代はどうなんだろう。もしも私がいま高校生だったら、時代が少し進んだいまであれば、告白できただろうか。

そんなことを考えながら、もう二度と戻ることのできない高校時代の片想いをたまに思い出してしまう。SNSで見た限りだと、Aちゃんは結婚したらしい。もちろん未練など今さら全くない。

結局、自分の気持ちはAちゃんには届かなかった、届けられなかった。けれど、当時ずっと抱いていたあの気持ちが紛れもなく本物だったことは、私がちゃんと知っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?