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 旅人の匿名性と秘密基地(『永遠のソール・ライター』 監/ソール・ライター財団)

さすらいのひと

2023年の八月に、東京の渋谷ヒカリエで開催された『ソール・ライターの原点 ニューヨークの色』展ではじめて直に彼の写真を見た。会場のおさえた照明と、どこを向いてもいかついカメラを構えたひとの熱量がおなじ空間に存在しているのがどこか絵空事のようだった。

展示会のあとでもう一度彼の写真が見たくなって図書館で予約した。約半年経った年明けにようやく手元にきた。本そのものは、2020年に日本で開かれた展覧会に関連して発行されたものらしい。

『永遠のソール・ライター』(監/ソール・ライター財団)小学館

赤い傘や窓越しの雨粒や雪景色、セルフポートレイトなど展覧会で見たのもあったが、彼の妹やちいさな子どもが写った写真など見覚えのないものもたくさんあった。

(ここから先、引用はすべて『永遠のソール・ライター』より)

人生の大半をニューヨークで暮らしてきたけれど、
ニューヨークを知っているとは思えない。
ときどき、道を聞かれることもあるが、
よそ者なので、と答えている。
Even though I've lived in New York most of my life,
I can't say that I know New York.
Occasionally when I 'm in the street and people ask me for directions,
I tell them I don't live here.

淡さと原色の混在したライターの写真におもわず目を吸い寄せられるのは、彼のこの「よそもの感」なんだなぁ。

「長いこと住んでいるのにニューヨークにふと立ち寄ったから撮った」

そんな旅人のようなさすらい人のような、ふしぎな匿名性がある。

”よそ者”だからなのか真正面から相手を見据えた写真ではなく、窓枠のすき間や高架橋の上からそっとのぞいた、ちょっと茶目っ気をふくんだ佇まいが好きだ。朧(おぼろ)げで、霞んでいて、硝子越しの光と陰がいっしょくたになっている。それがとても心地よい。

私はただ人の家の窓を撮るだけだ。
大したことじゃない。
I just take pictures of somebody's window.
That's not such a great achievement.


表舞台よりも雨粒をとる

50年代にファッション・カメラマンとして仕事をしたのち、80年代に商業写真を撮るのをやめて第一線から退いたと言われるライター。やめた当時、彼は還暦を迎える数年前だった。

この映画のなかでライターは、「雨粒にはどこか惹かれる (There's somthing about raindrops.)」と言っている。
生活を時間の枠で区切られることやお金を積むことよりも、雨にぬれそぼつ窓を眺めたり絵を描いたり本をひろげる時間のほうが彼には大事だったのだ。このことに共感するひとは一定数いれど、実際それを生きるひとはわずかだと思う。

自らの美の規範を選びとった偽りのなさと、子どもが秘密基地からこっそり外をうかがっているようなフレーム。ライターの誠実さに感じ入る。

本があるのは楽しかった。
絵を見るのも楽しかった。
誰かが一緒にいるのも楽しかった、互いに大切に思える誰かが。
そういうことのほうが私には成功より大事だった。
I've enjoyed having books.
I've enjoyed looking at paintings.
I've enjoyed having someone in my life that I care about who cares about me.
I attached more importance to that than I did to the idea of success.

芸術は果てしない再評価の連続だ。
誰かがもてはやされ、やがて忘れられる。
そして、再びよみがえり、また忘れ去られる。
それが、延々とつづくのだ。
Art consists of endless reevaluation: Someone is great, then they're forgotten.
Then they're revived, then they're forgotten again.
And it goes on and on and on.

世界は他人への期待で満ちている。
期待を無視する勇気があれば、面倒を楽しむこともできる。
We live in a world full of expectations,
and if you have the courage you ignore the expectations.
And you can look forward to trouble.

たとえ流行遅れだとしても、ある美の規範に大きな敬意を抱いている。
苦しみが、幸福より深遠なものとは思わない。
I have a great regard for certain notions of beauty even though to some it is an old-fashioned idea.
I do not think that misery is more profound than happiness.

お気に入りは『夜のバス Bus at Night』

この本のなかでいちばん気に入ったのが『夜のバス Bus at Night (1950s)』。
朝なのか夜なのか、それともたんにバスのなかが暗いのか。外の灯りに照らされたトランクと、首をわずかに傾けた男性の帽子のシルエットが余韻を差す。

私の好きな写真は何も写っていないように見えて
片隅で謎が起きている写真だ。
I do like photographs where sometimes everything's lost
and in some corner something's going on and you're not quite sure what it is.

私の写真が、人類の状況を改善することに貢献したことはないが、
誰かに喜びを与えているとは信じていたい。
My photographs have not contributed to the improvement of mankind's condition, but I'd like to think that the work I do gives others pleasure
.

ライターは他人の時間に区切られることからは退いたが、だれかの原動力になる歓びは生涯手離さなかったのではないか。

(タイトル写真は『ミリアム Miriam, c. 1947』の模写)

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