noteとくい

生き辛い彼女からの電話が、僕のとくいを形作ってくれた

留学中のある日。図書館から借りてきた文献を片手に、レポートの論文に悪戦苦闘していた。これまでの大学生活でサボってきた勉強時間の代償を払うかのように、内向的な日々を過ごしていた。


それなりに英語を勉強して留学したはいいものの、その後の進路の希望は漠然としていた。帰国子女や交換留学経験者がいくような、外資や商社になんとなく行くんだろうなぁ、って。「すきなことも、自信もってとくいと言えるようなものもないしなぁ」 "あるもの" が来ないかなとそわそわしながら、そんなことを考えていた。


一勉強終えてそろそろ寝ようと思った矢先に、スマホの通知が灯された。彼女からの電話だ。


私たちを繋いでくれた電話

留学中に、日本に住む彼女と遠距離恋愛をしていた。内向的な生活を送っていた自分にとって、彼女の存在は心の支えとなっていた。


彼女は生き辛さを抱えていた。自分は必要とされていない、愛されていない。社会に対して何も期待していない、生きてる意味なんてない。日常に1%にも満たない希望と、99%以上の絶望と虚無の生き辛さを抱えながら生きていた人だった


毎日のように電話を重ねては、決まって「もう生きててもいいことなんてない」と口にしていた。電話越しで何十分も泣き続けることは日常茶飯事。そんな電話が、私たちを繋いでくれていた。


今思うと、彼女はその行為を通して生命を感じようとしただけだったのだろう。「そんなことしないで、生きてたっていつかいいことあるよ」という声しかかけ続けることができず、彼女の行為の奥にある願いに気付けていなかったかもしれない。当時の僕は、ただ彼女の力になろうと必死に電話の相手をし続け、"生きたい"とまた思えるように存在を肯定し続けることしかできなかった


(おまけ:大学を代表して奨学金まで貰って留学に行ったが、彼女第一で電話を明け暮れるまでし続けた挙句生活リズムが狂い、部屋に籠ることしかできない精神状態になり無事単位を落としました。関係各所の皆さま本当にごめんなさい。笑)


ふと気づいた「とくい」なもの

今の仕事で、子どもが発達に困りを抱えて、子育てに不安を抱えているママさんパパさんとよくお電話でお話をする。前職では、転職を志望している方々に対して、最後の意思決定を後押しするためによく電話をした。


僕は電話がとくいであることに気付いた。耳にあてる電話機を通して、相手と声だけでやりとりをする。声の大きさやテンポやトーン、質問を投げかけてから答えるまでの沈黙の時間、息づかいの変化などに神経を研ぎ澄ませる。相手の表情が見えない状態で、声だけのやりとりを通じて安心を作り出せるように。


大袈裟ではあるが、自分の声のかけ方一つで彼女の生命を左右するかもしれない、という謎の危機感でいつも電話をしていた。おかげで、声のトーンや間が生まれるタイミングの微妙な違いから、繊細な気持ちの変化に気付くことができるようになった。


とくいは探すのではなく、あることに気付くもの

当時の積み重ねが、今の僕のとくいを築いてくれていたのかもしれない。電話は僕にとって、人にはない「特異」で「得意」なスキルだと自信を持って言えるようになった


ただ当時の僕は、別に「電話を得意になろう!」と思って頑張っていたわけではもちろんない。ただ彼女の力になりたくて、また生きたいと思えるようになってほしくて、その一心で電話を通して彼女に寄り添おうとしただけだった


実はとくいなものって、取得しようと思って獲得できるものでなければ、探そうと思って見つかるものでもないのかもしれない。とくいはもうすでに、あなたの中に必ずあって、それに気づいて確信に変えることができていないだけなんじゃないか


人生に誠実で、やさしく素敵な人が、生き甲斐が定まらずに生き辛い思いをしたり、存在価値を肯定できずに苦しむ思いから癒えて、自身の可能性に期待することができ、愛が循環する生き方ができる人たちでもっと溢れますように。



もちろん、とくいを見つける過程として、すきなことや「これはがんばった!」と思えるような時間が未体験の場合は、まずは一生懸命エネルギーを注ぎたいと思えるものを見つける必要があると思う。


たくさん頑張ってきたけど、自分に自信を持てなかったり、「人の力になれるようなとくいなものが見つからない」人は、焦らず無理に外に目を向けようとしなくても大丈夫。大変ですがきっとあなたの中には、他の人にはない特異で、得意とできるような可能性を秘めている。


「あることに気付く」という行為はとっても大変。自分自身に目を向けて、体験をしっかり振り返って、可能性を秘めている事象を見つければならない。そして、その体験を俯瞰した上で、「これはとくいかもしれない...!!」と確信に変えるための自己効力感も同時に必要になる。(「あることに気付く」→「気付いたことを、確信に変える」)


めちゃ大変な行為じゃないか.....!!?? 主観的に自身を振り返った上で、社会と他者とを客観視して「とくい」を確信する過程を己自身で行うことは不可能じゃないかな。自身が振り返ったことを、社会と接続させるために他者に話を聞いてもらい、相対化の中で生まれるとくいに自信を持てるように、他者からの肯定は絶対にあった方がいい


僕が生きていく上で大事にしている願いなのでもう一度言います。

人生に誠実で、やさしく素敵な人が、生き甲斐が定まらずに生き辛い思いをしたり、存在価値を肯定できずに苦しむ思いから癒えて、自身の可能性に期待することができ、愛が循環する生き方ができる人たちでもっと溢れますように。


自身のことを振り返ったり、在るとくいに気付く探検をするお手伝いを是非させてください。力になります。人の内面や生き方に興味がある、というか恋愛トークしようぜという方も大歓迎です。お茶しましょう。いつでもご連絡ください。


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