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「みんなやってるからいいじゃん」という、そこら中に落ちている禁断の実


子供の頃、遠足でもないのにお菓子を学校に持っていった事があった。それも些細な飴玉をいくつかだ。

バカみたいな話だが、休み時間にそれを交換しあったりするのが流行っていたのだ。案の定すぐに教師に見つかって説教くらう羽目になったけど。

問題なのはその怒られている時に教師が言った「何でこんなもの学校に持ってきたんだ?」に対して「交換するためにみんな持ってきているからです」と答えた自分だ。

それを聞いた教師はすぐこう言った。

「みんながやってるからいいのか?お前は赤信号でもみんなが渡ってれば渡るのか?悪い事だと分かってるのにみんなが人を殺せばお前も人を殺すのか?」

こう言われたらこう返せ的な教育者マニュアルに沿ったような説教だ。言っている事自体も超極端で、バカじゃんそんな訳ないじゃんとも思ったが、不思議と納得してしまう部分もあったのを覚えている。

よくよく考えてみると確かにダメな事だと分かっているのに、何故みんながやっているというタグが付くだけで出来てしまったのだろう?と改めてその瞬間思ったのだ。

掃除をサボったり、釣りをしてはいけないとこで釣りをしたりとルールを守らなかったことは他にも多々あったが、それもみんなやってたからだ。じゃあどうしてみんながやってると平気で出来てしまうのだろう?と説教されている間猛烈に思考した。

その結果、まだしつこく「何でだ?何でみんながやってるからいいと思ったんだ?」と詰め寄ってくる教師に対して僕が頭に浮かんで口に出した言葉は「先生含め大人たちのせいでもあります」だった。

それを聞いた瞬間、教師も、横に並んで説教されていたクラスメイトも「え?」という顔をしていたが、今目の前にいる教師は、もうすでに「お菓子を持ってきたという事実」よりも「みんなやってるからいいじゃんという思想」の方に怒りがシフトしていると判断した当時の僕は、これを何とか討論にまで持っていき本題をうやむやにしようとでも思ったのだろう。

そして当然その理由について聞いてきた教師に対して説明した内容は大きく分けて2つ。

まず僕たちは学校という教育の場において日々軍隊のような集団行動を強制され、体や頭にその集団精神が染み付いてしまっているということ。

もうひとつは学校の外。親たちは町内会や懇親会、世の大人たちは会社の組織だったりと、とにかく群れる姿を常に見せられているため、いつからか、「集団行動=善。個人行動=悪」という構図が頭の中で出来上がってしまい、今やその結果みんなと同じではないこと、自分だけ違うことに対して不安さえ感じてしまうということ。

まぁざっとこういった内容だ。もちろん当時の僕はもっと小学生らしい言葉でプレゼンしたけどね(まぁ悪く言えばどちらにせよ屁理屈この上ないが)

すると教師はそれが面白かったのか「ほうほう」とだけ言ってただ笑っていたが、そこからはもう「みんなやってるからいいじゃん」問題については全く触れなくなった。

その代わり本題のお菓子の方に論点が戻ってしまい、そっちはこっぴどく絞られたけど…。

そして大人になった今、この「みんなやってるからいいじゃん」というのは実はとても大きな問題への入り口だったんじゃないかと思う。

当時、教師が言ったことを大げさに思ってたけど、実際みんなが当たり前に人を殺していたら、僕だってもしかしたらそうするかもしれない(いや、したい訳じゃないけどね)絶対しないとは100%言い切れない。

分かりやすい例を挙げると、それが戦争だったりするわけだ。そう、みんなが戦場に行くから自分も行き、みんなが引金を引くから自分も引く。歴史的に見てもこの世界では1人を殺せばただの殺人犯だが、戦争で1万人殺せば英雄になるのだ。

しかし、はたして法律(ルール)というもので縛られていなかったら、そしてみんながやっていたら、人間は何をやっても良いものなのだろうか。僕らのモラルとは一体何なのだろうか。

この問題に関しての前提というと不謹慎だが、僕を含め多くの日本国民が日常的にも悪気なく些細な法律違反(条例違反)を起こしていると思う例えば信号無視や、自転車の二人乗り、子供の頃にやっていた親の肩揉みをしてお小遣いをもらうのも厳密に言えば違反らしい。でもこれらはかなりの割合でみんなやっていることなのだ。

度合いの大きい小さいではなく、ここでひとつ考えるべきポイントは、法律(ルール)とモラル(道徳)は全く別のものだという点だ。

「法律(ルール)を遵守=モラル(道徳)を守ること」では決してない。

法律(ルール)とはこの国では人権の保障や民主主義の実現をするためのものであり、モラル(道徳)とは生きる上での、もっと根本的な道筋のようなものだ。

当たり前と言えば当たり前なのだけど、この2つが漠然的にイコールで繋がっている人が案外最近多い気がする。

イコールだという人に出会うといつもパターンとして僕が聞くのは、親の肩揉みをしてお小遣いをもらうのは本当に悪だろうか?という例だ。これを聞くと大抵の人は「それは悪ではない」と言う。法律(ルール)違反にもかかわらずだ。しかしごく少数だが中にはひねた人もいて、「親の肩を揉むのは当たり前のこと、それに対して金銭を要求するのはおかしい。だからその子供は悪だ」と言う人も稀にいる。よっぽど良い家庭で育ったんだろうね。

そう言う人には更にこう問う、じゃあ、「お小遣いをあげます」と言って肩を揉ませ、終わった後に「それは法律違反だし、口約束で証拠もないから払いません」これはモラル(道徳)的にどう?と。

どちらがひねてるか対決みたいだけど…笑

でもこの討論はとても意味がある。その人が何に対して悪や違和感を感じるか知れるし、何より、法律(ルール)を守っているからといってモラル(道徳)も守れているということにはならないし、モラル(道徳)を守っているから法律(ルール)も守れてるというわけじゃないことが分かってもらえる。

そこで話を「みんなやってるからいいじゃん」に戻しますと、子供の頃に僕が感じていたあの違和感、「集団行動=善。個人行動=悪」というのは今考えても割と的を得ていて、やはりこれは民族性からくるものではないかと思うのです。

例えば他国からの観光客が以前より日本によく訪れるようになった昨今、中にはマナーの悪い方々もいるわけだ(もちろん海外に行く日本人観光客にもマナーの悪い人はいるのだろうけど)そのマナーが悪いというのは具体的に言うと、列に割り込んだり、そこら中にゴミや唾を吐き捨てたりなど様々だが、それらを見ていて義憤を抱いたりイライラしたりするその本質的理由は果たして彼らがルールを守っていないからだろうか。

もしかするとそのイライラには彼らが周りに行動を合わせないからという要素が入っていないだろうか。

今更だが諸外国では日本と比べると個人主義の国が割と多い。だから集団主義を叩き込まれて育ってきた日本人にとってはルールを守る守らないよりも単純にその自分勝手な個人行動が我慢できないという要素が実はかなり大きいような気がするのです。

災害、戦争、貧困などを集団で力を合わせて乗り越えてきたこの国の民族性ならではのジレンマというか呪いというか、もう僕らは「集団行動できない=死の危険」というものがDNAに深く刻み込まれてしまっていて、集団でいること、人と足並み揃えることに安心や喜びを感じ、それを否定するような行動や発言を無意識的に拒絶するように出来てしまっているのではとさえ思う。

僕たちのモラル(道徳)というのは集団主義的要素が不可欠で、もう集団心理というものを省いては語れないものだ。だからこそルールと道徳がごっちゃになっちゃうし、それを守れない個人主義文化とのズレみたいなものがきっと日本人の琴線に触れるのでしょうな。



まぁここまで書いてなんだけど、決して僕は集団主義、個人主義をどちらも否定してるわけじゃないし、あの日の自分を擁護しているわけでもない(補足はした。それは認めよう)

ただ、集団主義ってちゃんと機能している状態ならば危機的状況の時とても心強いものなんだけど、集団いじめやブラック企業、カルト教団やママ友村八分など、その集団がおかしな方向に向きだすと、その方向に突っ走り続けるという恐ろしい性質があるし、それに比べて個人主義は基本、個人が本能の赴くままに動くので、ブラック企業なんてすぐ辞めるだろうし、個を突き詰めることにより芸術家が育ちやすいとか、いじめもそれに悩んで自殺までに至るというケースは集団主義と比較すると少ないけども、上で記したようなデメリットもあるわけですよ。

だからね、程々にちょうどいいのが一番良いのだけど、それがむちゃくちゃ難しい。

それぞれが育ってしまった環境の影響力って恐ろしいよね。

大体、学校で同じもの食わされて同じ行進させられて同じ制服着させられてさ。で大人になったら「個性がないね」とか偉い大人に言われるんでしょ?一体どうしたいんだよ。

今更だけども先生、「みんなやってるからいいじゃん」は法律(ルール)とモラル(道徳)を無効化(マヒ)させる、そこら中に落ちている禁断の実でしたよ。僕たちはこの誘惑と戦って生きていかなければならないのですね。






さて
いつも読んでくださってる方々、心からありがとうございます。


遂に!


「We Are All Mad Here!」は次が最終章です!!

その最終章となる第6章は

明日、金曜日の19時に追加公開します!

いよいよ最後になるこの物語もまだ問題は山積み。果たして追い詰められていた孝宏、慶太はどうなってしまったのか…。本当に食べられてしまうのか…。全ては最終章で完結。

これから読まれる方、序章だけ読んでまだ本編どうしようか悩んでる方。
We are〜には、曲にしきれなかった物語があります、僕がずっと伝えたいと思っていた世界と、想いが詰め込まれてます。
少しでも興味があれば時間がある時に少しずつでもいい、是非本編に触れてみて下さい。

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