trayo 'dhvna 3
おばんです。
今日は気分を変え、養命酒でほろ酔い気分の私です。
酒は百薬の長なのです。いぇい。
さて、続きですね。
前回は『日本人の他者観』について、つらつらと語らせていただきました。
『目の前の誰かではなく、回り回っていつか己に影響を与える存在』という他者観。
「人生が己だけで成り立つものではない」ことを知っているから気付ける思想。
その教育に重要な役割を果たしていたのが、神道や仏教といった宗教だったのです。
さて、そんな思想の元にこの国の環境は作られてきたわけなのですが、ちらほら言い続けてきたように、現代はその日本人的な思想が薄れてきちゃいました。
具体的に言うと、分かり易い情報に慣れ過ぎちゃったんです。
ストレートな意思疎通。
開示された情報。
与えられるだけの知識。
えとせとら
『他者=目の前の誰か』
見えないものが見えなくなった。
つまり、想像力の欠如です。
お葬式の簡略化、なんて顕著な例ですね。
「故人と自分」の関係性しか見えない。
「故人と誰か」の関係性が見えない。
生前にどんな交友関係を持ち、関係性を築き、皆は彼にどんな想いを抱いているのか。
その想像が出来ないんです。
だから、『簡単で良いじゃん』『そんなことに大金かけるとか無駄』と考えてしまう。
これはお葬式のような特別な場だけの話でも無くて、日常にも起こりうることでして。
はい、『気遣い』ってやつです。
最近どこかで誰かも言ってましたね。
気遣い、大事。
前回散々語った日本人の他者観って、『=気遣い』ともいえる思想なんですよね。
日本語特有の主語の無い曖昧な文章も、相手を気遣う心があったからこそ生まれた文化と言えるでしょう。
これらは総じて『身の内の他者』ってものから来ると私は思ってるんですが、その辺は前回語ったし、今回はちょっと視点を変えますね。
最初の回でお話した『三世思想』にも通じる「つなぎとしての現在」「己で完結しない世界観」、つまり「他者ありき」の世界観。
これって「己を疑う目」を持つってことでもあるんですよね。
無慙愧は名づけて人とせず。
親鸞さんの著書、教行信証の信巻にある一文です。
『慙愧(ざんぎ)』
慙:自己に対して恥じること
愧:外部に対してその気持ちを示すこと
浄土真宗の根幹というか、adṛṣṭa phalamで散々語ったことを一言で表したみたいな言葉なんですが、今回の話も結局これなんですよね。
今選挙で世が沸いているので、そこに関連しまして。
単純に考えてね、問題って、解決しなきゃいけないんですよ。
本当に本当に当たり前のことなんだけど、それを実行出来る人って、残念ながら少ないんです。
問題の大小関係なく。
それは「面倒くさい」から。
「向き合うのが」面倒くさいから。
だから、放置しちゃう。
そこから及ぶ、他者や回り回っての自分に対する影響に気付けないから、放置出来ちゃう。
自分しか見えてないし、自分すら見てないことの現れですね。
それじゃあ世間は成り立たないし、停滞は緩やかな衰退なのにね。
だから、みんな慙愧心を持たなきゃいけないんです。
自分に厳しく、他者を介し、回り回って優しく生きなきゃいけないのです。
だけど、これを自然と養わず育った人に伝えるって滅茶苦茶難しくてですね。
字面や口頭での説明なんかじゃあ、全く伝わらないんです。
でもね、だからって放置してたら、それもまた後の人間の首を絞めることになるんです。
だからね、どうにかして伝えなきゃ。負の連鎖をここで断ち切らなきゃ。
それには、どうすれば良いんだろう。
自分はどうやって教わったんだっけ。
って考えた時に思い浮かんだのが、伝記などで読んだ先人の生き様でした。
そこで「あ~。言葉や理論どうこうではなく、背中で語るものか。」って、なんだか府におちまして。
その思想を以て生きる人間の姿を見せることでしか伝わらないんだなぁ、と。
じゃあ、とりあえずそれになっとくか。
というわけで、私はお坊さんになりました。
この思想とか理論を伝えるだけなら作家さんでも良かったと思います。
でも、それじゃあ後に残らないんですよね。
いや、残るけど、なんていうかなぁ。
能動的な残り方をしないというか、やっぱり宗教が大切だなぁって思っちゃったんです。
だから、宗教というものを後世にちゃんとした形で残そうと思って、その為には内に入るしかねーな。みたいな。
そうしていつか、みんなが身の内に他者を持って、自然と首を垂れ合える日が来れば良いなーって。
一休さんになりたいねぇ。
あー、そういえば。
題名の『trayo 'dhvna(トラヨードゥバーナハ)』は単純に『三世』のサンスクリット語訳です。
仏教通ぶりたい時に使ってください。
それじゃあ皆さん、私はだいぶまどろんできたのでもう去ります。
ちゃんと後の人のことを考えて行動するんだぞ。
みんなのものは綺麗に使うんだぞ。
ぐう正論を吐かれても逆切れしちゃ駄目だぞ。
優しくしなさい、優しくします。
なんちってね。
ありがとう、だいすき。