見出し画像

どうしてお父さんは会社に行かないの?①

「どうしてお父さんは会社に行かないの?
ミカは学校休まず行ってるのに。
一週間も行ってないの、なんで?
ミカがおなかいたいって言っても、
マラソン大会行きたくないって言っても、 
勉強ついていけなくて辛いって言っても、
先生に嫌われてるって言っても、
かなちゃんに無視されてるって言っても、
いじめられてるから転校したいって言っても、
お父さんが行けって言うから私イヤでも学校に行ってたんだよ?
どうしてお父さんは会社に行かないの?
仕事辞めたわけじゃないんでしょ?
ミカにはちょっと体調が悪いくらいでワガママ言うなって、
努力しないのが悪いんだって、
好かれる努力しろって、
頑張れトモダチに負けるなって
言ってたのに、なんで?
そんなこと大したことじゃないから、学校に行けって言ってたじゃん。
お父さんも少し体調が悪いからって会社休んだらダメだよ。
会社の人とケンカでもしたの?
そんなの大したことじゃないよ!
頑張れ!トモダチに負けないで!
ミカはちゃーんと学校行ってるよ?
お父さんも会社行かなくちゃ!
お父さんもちょっとイヤなことがあるくらいで会社辞めないで!
これからもーっともーっと、稼いでね!」

 娘の明るい声から、侮蔑と憎悪を感じた。過去の記憶を掘り返し、そんな事言ったかと一瞬考えたがすぐに、こんなふうに育ててしまったのは俺なんだという思いが頭を占めた。高校一年になった娘の高い声は、俺をぐちゃぐちゃに踏み潰そうとしていた。娘が幼稚園で書いた、おとうさんだいすき、の画用紙はろくに見ていないのに今も部屋に飾ってある。

 うつ病の診断書をもらってから、8日たった。診断書を会社に提出して次の日から自宅療養になった。
 俺は元来器用な方ではなかった。Fラン卒で大した資格も持っていない俺は、新卒ブラック企業入社。30歳で結婚して娘ができて、あの幸せの絶頂で人生何かが変わった気がした。最後のチャンスと思って35歳で転職して、再就職先は結局またブラック企業。この10年なんとか耐えてきたが、やはり俺は生きるのが下手くそらしい。

 部署替えがあった。部長が変わった。部長は俺より年下のくせに、いつもタメ口でネチネチと口出ししてては些細な修正も命令してきた。指導というより悪意を含んだダメ出しだった。この5歳年下の上司がこの上なく嫌いだった。一番腹が立ったのは「これくらいやってもらわないと困るよ、ほんとに俺より年上?」だ。
 耐えかねて「そういう言い方は良くないと思います」と年上なりに気を遣って、かつ部下としての謙虚さをもって諌めたつもりだが、これがよくなかった。この頃から俺に来る仕事が雑務ばかりになった。翌日に突然席替えになって部長から一番遠い席になった。あからさまだったから、すぐに「やってしまった」と気が付いた。自分の席から部長の席までが、サハラ砂漠を歩いているかのような途方もない距離に感じられるようになった。部長に話しかけると、舌打ちされるようになった。砂漠の砂が一層足にまとわりつくようになって、部長の席まで歩く気力は完全に失せてしまった。部長への報連相は徹底的に避けるようになった。
 ひとこと部長に報告していれば起きなかったはずのトラブルを起こしたのが最後と引き金だった。そのトラブルの責任を問われればもちろん俺のせいで、みんなの前で年下部長に叱責されて、使えない人認定は伝染病のように新しい部署に広がっていった。

 公開処刑の日から、眠れなくなった。食べられなくなった。身体が思うように動かなくなった。痩せた。会社に着くと息苦しくなった。電車に乗れなくなって、タクシーで会社に向かうようになった。布団から出ることさえ辛くなった。一日一日、体は会社に行くことを拒否していった。それでも会社にはなんとか行こうと頑張った。体は言うことをきかないが、気持ちだけはずっと焦っていた。行かなくちゃ、本当に居場所がなくなると思っていた。

 新部署に移って半年が過ぎた頃だった。月曜日の朝、起きるなり吐いた。布団に散らばった吐瀉物を見て、もう無理なんだ、と悟った。体が虚脱して動くことができたかった。動かない体を動かすための心が、もうだめになっていた。大声なんて出なくて、声を出したら泣きそうで、妻に「ごめん、布団に吐いて汚した」とメールした。仕事に行く直前だったらしい妻はパタパタと階段を登って部屋に来て、訝しげな顔で「大丈夫?」と部屋をのぞいた。「ダメみたい」と返す時にはもう涙が出ていた。
 しばらくの沈黙の後「病院行く?」と妻が言った。「うつじゃないの」と一言添えた妻の声は小さかったが、しっかりと確信を持って俺の耳に入ってきた。俺は妻の声以上に小さく情けない声で「やっぱりそうかな」とつぶやくと自分自身に落胆して、堰き止めていた感情が溢れた。豚みたいに鼻筋にシワの寄った情けない顔をして、目と鼻から水を垂らして嗚咽している俺を見て妻は「ごめん」と謝ってきた。何が「ごめん」なのかはわからなかったが「今日は仕事休めないけど、明日は一緒に病院行くから」と言って、妻は俺の会社に今日休む旨を電話した。雨にも負けず、風邪にも負けず、熱が37度を超えても休まなかったこの会社を、休んだ。
 翌日、妻に連れられ病院に行って、診断書をもらった。しっかりと、うつ病、と書かれていた。

 それから1週間、俺は自室で過ごしている。暗い部屋、ぼんやりと明るい窓。電気はつけない。遠く聞こえる娘の高い声。妻と何か話している。布団を被っているから、音が淀んではっきりと聞こえない。娘は中学生になってから俺とほとんど会話をしない。俺が帰ってくる頃には寝ているし、朝おはようと言っても返事をしなくなった。反抗期と思って気にしなかった。土日も仕事か家で寝ているかがほとんどだった。じっくり会話する機会なんてなかった。

 久しぶりに話しかけられたドアの向こうの声は、作りものの明るい声だった。悪意が確かにあるのを感じた。娘は一通り俺の部屋のドアに向かって話すと、気が済んだのかパタパタと階段を降りてリビングに戻った。リビングから高い笑い声が聞こえた。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?