見出し画像

海外に出て分かったこと~韓国・NZ・AUSホームステイ編~

今回は、小学生~大学生までの間に、海外で3回ホームステイした経験について書いてみます。

まず、私のホームステイ歴はこんな感じです。

● 韓国 →3日間(小学校6年生)
● NZ(ニュージーランド)→3週間(高校1年生)
● AUS(オーストラリア)→5か月間(大学3回生)

それぞれの【かけがえのない出会い】から学んだことについて書いてみます。

1.韓国編

初めての海外・初めてのホームステイをした韓国では、とても【愛を感じる】ことができました。

私の通っていた小学校は、(公立の小学校なのですが)韓国の扶餘(プヨ)という町に姉妹校があり、毎年交代でお互いに訪問しあっていました。扶餘とは、かつて百済(くだら/ペクチェ)の都があった町です。

訪問できるのは5年生と6年生の希望者のみ。私はそれまで、2年に一度来る韓国の小学生との交流がとても楽しみで、6年生になったら、絶対自分も行くんだ!と心に決めていました

余談ですが、ホストファミリーにも立候補し、2人韓国の子を受け入れたこともあります。片言の韓国語と英語を混ぜながら、通じ合えるとすごく嬉しかったのを覚えています。

6年生になり、無事に立候補成功!
韓国訪問前の事前学習では、訪問する生徒だけ集められ、韓国と日本の歴史を勉強しました。

百済の時代は、日本(倭国)と百済はとても友好な関係にあったこと。その後、太平洋戦争では、日本が強制連行や創氏改名など、韓国の人にとてもひどいことをしたということ。それが元で、当時年配の方が、日本人観光客に対して石を投げてきたこともあること…。

通っていた小学校のスローガン

少し不安になりつつも、どんな人に出会えるだろうか?という楽しみな気持ちの方がやはり強かったと思います。初めてのパスポートを手に、緊張しながら扶餘へと向かいました。

空港からは列車とバスで扶餘へ。長い道中も、クラスメイト達と話していると、着くのはあっという間です。

着くと、韓国の生徒たちが、民謡「アリラン」を歌いながら私たちの到着を歓迎してくれました。「やっと着いた」とホッとすると同時に、「外国に来たんだ!」と認識しました。

いよいよ、各ホストファミリーに分かれるとき、私はいきなり不安に襲われます。

「これから言葉が通じないんだ。どうやってコミュニケーションをとればいいんだろう?」

私が生まれて初めて「言葉の壁」を感じた体験でした。事前に簡単な韓国語は覚えていたものの、せいぜい挨拶程度。今までぺちゃくちゃとクラスメイトと話していたのに、ホストファミリーだけになった瞬間、急に無言に。

「自分は絶対ならない」と思っていたのに、きっちり人生初のホームシックを経験しました…。(笑)言葉が通じないってこんなにつらかったんだ…。

しかし、私のホストシスター・シチョンは、私が日本でホストシスターだった時そうしたように、たくさん世話を焼いてくれました。ずーっと私のそばを離れず、コミュニケーションが難しくても諦めずに何度も話してくれました。

「コンギ」という韓国の伝統的な遊びを教えてくれたり、当時韓国ではやっていたキャラクターについて教えてくれたり、そのキャラクターのシールやキーホルダーをくれたり…。コンギにははまってしまいました。

翌日学校に行くと、日本人の友達と、どんな家族だったかや昨日何をしたかを情報交換。なんと、ホームシックで泣いてしまった子もいたようです。

そしてその日は、小学校で一日クラスに入って交流会をしたり、体育館で両国の文化交流をしたりしました。私は、琴クラブの演奏をしました。

2泊3日はとても短く、せっかく慣れてきたと思ったのに、もう最後の夜です。家ではシチョンがとても悲しそうにしています。一緒に寝て、次の日の朝は泣いていました。それを見た私もつられて泣いて、「絶対お手紙送り合おうね!」と約束しお別れしました。

日本に帰ってきた後、何年か手紙でのやり取りをしていました。とても愛情深く接してくれたシチョンや家族、韓国の人たちには感謝しかありません

なんと!当時やり取りした手紙と、お琴の爪が実家に残っていました、、、。


2.ニュージーランド(NZ)編

実は、今回以外でNZ滞在について書いた投稿がありますので、興味ある方はぜひそちらも読んでください。

NZでは、【自分がどうしたいかの意思表示の大切さ】と【いろんな家族の形】を知ることができたと思います。

NZの家族は、牧場経営するホストファザー(NZ人)と、看護師のホストマザー(ドイツ人)、ラブラドールレトリーバーのSendyです。一人娘のAnnaは、別の都市にスポーツ留学中でした。

NZに行く前、「これだけは気を付けて!」と言われていたことがあります。

●自分のことは自分でする
(ホームステイは「お客様」でなく、家族の一員であるため、家事も手伝うこと)

●自分がどうしたいかをちゃんと言う
(「どっちでもいい」「なんでもいい」という返事はNG!)

これをものすごーく気を付けていたと思います。2つめに関しては、例えば下記のような些細な質問に対してです。

  • 食後にアイスいるかどうか。

  • ラグビーを一緒に見たいかどうか(ちょうど、世界3強のNZ・オーストラリア・南アフリカのみの大会(トライネイションズ)が開かれている時期でした)。

  • スーパーに一緒に行きたいかどうか

どうしたいか答える場面、たしかにいっぱいありました…。どっちか迷うときは、「YES」と答えるようにしていました

でも大人になってつくづく思います。こうしたことへの返事って大切ですよね。「どっちでもいい」は一見協調性がある答えに見えて、要するに「あなたが決めて」ってこと。ちょっときつい言い方をすると、自分で考えることを放棄している答えなので。

ホストファザーの牧場で生まれた赤ちゃん牛

さて、共働きのファミリーだったので、とても忙しそうで話せる時間も限られていたのですが、それでもホストマザーは毎日ランチボックスを持たせてくれていました

しかもほかの子たちと比べてみると、割と豪華め。サンドイッチ、ヨーグルト、リンゴ(丸々1個)、お菓子が、アイスクリームの空き箱に入っています(スプーンですくってよそうタイプのでっかいプラスチックの箱のアイスありますよね?あの箱です)。このアイスの箱がランチボックスになっているのは向こうでは普通のようで、ほかの子たちもみんなそうでした。

こういうアイスの空き箱(イメージ)

ホストマザーは、食事面は本当にちゃんとしてくれていて、夕食も毎晩手作りでした(しかもおいしい)。友達のホストファミリーが、私のホストファミリーの親戚だったのですが、一度合同で食事したときにうちのご飯を見て、「毎日こんなん食べてるん?ずるい!」と言ったほどです。

その友達の家の食事はなかなか面白くて、ランチに入っているサンドイッチは、パンに2枚小さな葉っぱが乗っていただけでした(マヨネーズなど、味のするものもなにもなく、シンプルに葉っぱだけが挟んでありました…)。

***


もう一つ、NZに行く前に言われていたことがあります。それは、日本とは違い、色んな家族の形があること

例えば、シングルマザー(ファザー)、再婚、移民などです。「それは、日本でもあるでしょ」と思って行ったのですが、日本とは感覚が少し違うなと思いました。

日本では、特に私が高校生の頃は、「離婚」というと少しネガティブだったり、離婚した後大変というイメージがあったと思うのですが、NZでは、離婚という選択肢がもう少しライトなものに感じました。友達と話していると、かなりの確率で、親が離婚や再婚をしていたのです。中には何度も再婚している親もいました。

ちなみに、うちのホストファミリーも再婚、友人のホストファミリー(うちのファミリーの親戚)も再婚。そして、3年後にNZを再び訪問した際には、どちらもパートナーシップを解消していました…。

私の主観ですが、自分の人生の軸が男性にも女性にもあって、その時必要な人とパートナーでいる、ということなのかな、と理解しています。「一人の人と一生添い遂げる」という考え方ではないなと。

今ならそれも理解できるのですが、当時は「簡単に離婚するんだな」という印象でした。日本とは違う家族観をこのとき、ありありと感じました。

3.オーストラリア(AUS)編

AUSでは、【より深く相手を理解する】ことを経験しました。

ホストファミリーは、インドネシア人のホストマザーとその姪っ子(同い年)、あとは私を含め5人の留学生で生活していました。みんな国が違ったので、いろんな国の文化について知ることができたと思います。

ホストシスターはインドネシアの舞踊を習っていました

留学生は、私以外、全員男。帰国や引っ越しなどで途中メンバーチェンジがありましたが、大体、香港、イギリス、台湾、サウジアラビアといった国です。

となると、「英語の勉強になっていいじゃん~」と思いますよね?
でも最初は、全然そうはいかなかったんです!

初対面のとき、お互いにあまり印象が良くなかった(らしい)ので、打ち解けるのに時間がかかりました。

初日に私の友達(日本人)が、私の家でホストファミリーの迎えを待っていたのですが、その子の方が印象が良かったらしく、「この子(友達)がこの家に来るなら良かったのに、と思った」と後で言われたことがあります。(これ、後でも言わなくていいと思いません??笑)

私は私で、家に男ばかりな上に、ノリもなんだか違うなって事で、最初はあまり家の中で話しませんでした。(男子校みたいなノリでした…)

そして、質問に何か口を開けば、10個年上の台湾人になぜかいろいろと怒られていました。「それは違う」「もっとこうしろ」…そんな反応ばかりだったら、誰でも話さなくなりますよね?

話さなければ話さないで「もっとこの家で英語を話して勉強しろ」と説教されるので、「なんでそんなこと言われなくちゃいけないんだろう?学校でもしゃべってるし。」と思い、彼の言うことは全然心に響きませんでした。

食事中、特に誰も楽しい話をする人はおらず、気まずい雰囲気だったのを覚えています。

ただ、食後に何度かハウスメイトだけで話をするうちに、私に対する印象が変わってきたのか、みんなの接し方も変わってきました。

恋愛の話、政治の話、私のクラスの友達の話、あのときのあの発言はどういう意味だったのか?など、いろーんなことを話しました。

聞いていて面白いのは、やはりサウジアラビアの話でした。一夫多妻制であったり(現代では何人も嫁をもらうことは減っているようですが)、飲酒禁止であったり、イスラム教の礼拝やラマダンについてなど…。

向こうから「地震って何?」と聞かれたときは、しばらく固まってしまいました(他のハウスメイトが助けてくれましたが)笑。

これほどに文化が全然違う国は珍しいかもしれません。でも、日本にいると抱いてしまう中東のテロへのイメージは、彼らを見ていると無くなるのです。

何度か話すうちに、だんだん私もハウスメイトたちのことが理解できて、一緒にいても気まずく感じなくなっていきました。

みんなでご飯食べてるとき

それからというもの、楽しかったことや相談ごとも話せるようになっていきました。なかでもイギリス人留学生とは結構深いことも話しました。

例えば、日本にいるとあまり気にすることのない「アイデンティティ」について考えさせられたことがあります。

彼はイギリス人なのですが、イギリス人の父と中国系インドネシア人の母を持つハーフ。インドネシアのジャカルタで育ちました。

でも、彼が中学生くらいの時、中国系インドネシア人に対する暴動のようなものが起きたんだそうです。それにより、家族は一時的にイギリスに避難、彼だけはアメリカで暮らしていた経験がありました。彼が言うには、自分が何人なのか分からなくなり、とても辛かったと

楽しかったこともそうですが、辛かった経験について話してくれたのはとても嬉しかったです。そして、日本ではこんな経験をしている人とはなかなか出会わないので、留学に来たからこそ知ることができた貴重な話だと思います。

5ヶ月たった頃、私はこのイギリス人留学生と香港人留学生の3人で引っ越しをし、残りの留学生活も一緒にシェアして住んでいました。

最初に「合わない」と思ったときからは、想像もつかなかった話ですよね。(笑)

コミュニケーション次第では、ここまで仲良くなれることもあるんだなと思います。夕食の後、何度か強制的に部屋に返さずに、話の輪に入れてくれたハウスメイトたちに、感謝です。(笑)

ホームステイをする機会はもうないかもしれないけど

海外は、日本にいたら出会わないような人に出会え、自分の考えもどんどん変えていってくれます。

大人になって、ホームステイをする機会はもうないかもしれませんが、「今までこうだと思っていたけど、こうでなくてもいいんだ!」と自分の世界をアップデートすることは、これからも、し続けたい。

早くまた、気軽に海外に行けるようになってほしいな~。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?