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中江広踏の旅の記録
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9年ぶりの釜山(2)

 QUEEN BEETLEは赤かった  9年間で変わった釜山と変わらない釜山の話を続けます。話は前後しますが、まず変わっていたのは高速船でした。私たちは釜山に行く時には新幹線で博多へ行き、博多港から釜山までBEETLEという高速船で向かうのを習慣にしていました。なにしろ釜山は港町ですから、船で出入りするのが相応しい。とても旅情があるし、ロマンチックです。その高速船が、今回、QUEEN BEETLEという真っ赤な洒落た大型三胴船に変わっていました。定員は約2.5倍になったそう

9年ぶりの釜山(1)

釜山エックス・ザ・スカイに上がる  3月初旬、家内と二人で釜山を訪ねました。私にとっては9年ぶり7度目の釜山、家内はもっと多く来ています。そんなわけで、いまさら観光地を回るのではなく、昨年のソウルの場合と同じく、コロナ禍を経た街がどう変わっているのか、あるいは変わっていないのかを確認するための旅でした。今回の旅で私がもっとも行きたかったのは海雲台(ヘウンデ)。数年前にネットで衝撃的な写真を見たからです。海雲台のビーチに巨大な超高層ビルが3本も聳え立っている写真。最初は合成写

山口線の旅 ③

益田駅前に素敵なホテルがあった。  今にも雨が降ってきそうな益田駅に着いて、すぐにその夜の宿舎に入りました。駅のすぐ横にあるホテルを予約しておいてよかったと思いました。「益田グリーンホテル・モーリス」という派手な名前に較べて外観は凡庸な建物でしたが、失礼ながら田舎のホテルとしては個人的に過去最高とも思える、とても素晴らしいホテルでした。最近改装されたのか、すべてが最新の気持ちの良い設備で内装もオシャレで都会的に洗練されていましたし、サービスもいい。広々した清潔な大浴場を出る

山口線の旅 ②

湯田温泉にある山頭火の句碑はちょっと卑猥だった。  11月28日。ホテルで朝食をすませてチェックアウトした後、スーツケースを転がして、湯田の街並を見て歩きながら湯田温泉駅まで行くことにしました。ホテルの近くの錦川通りの道ばたに中原中也の詩碑と種田山頭火の句碑が並んでたっていました。中也はともかく山頭火がなぜと思いましたが、山頭火はもともと山口県防府市の出身なんですね。全国を漂泊して、晩年近くには山口の小郡に庵を結びました。そこから毎日のように12キロも歩いて通うほど、湯田温

山口線の旅 ①

旅のはじまりは「日曜美術館」。  すべてはNHKの番組「日曜美術館」から始まりました。その日の番組は建築家の内藤廣さんを紹介していました。少年時代からの建築ファンである私は、数十年前に「安曇野ちひろ美術館」を訪れて以来、その設計者である内藤さんの名前は記憶していましたが、その内藤さんが高知の「牧野記念館」を設計し、私がこの十年以上ずっと注目している渋谷の都市改造のデザイン・アドバイザーを務めている事を、この番組で初めて知りました。でも、なによりも驚いたのは、島根県の石見地方

10年ぶりのソウル(4)

ソウルあれこれ  最後は、これまで触れなかった、今回のソウルでの体験をいくつか思いつくままにご紹介しようと思います。まずは教保文庫。ソウルに行くと私たちが必ず訪れる、韓国を代表する書店である教保文庫ですが、今回は光化門の近くまで行ったついでに、旅の最終日にやっと入ることができました。あまり時間がなかったので、じっくり店内を見て回ることはできませんでしたが、村上春樹コーナーがあったのが目についたので写真に収めてきました。もう何十年も前から、韓国でも村上春樹は大人気で何作もがベ

10年ぶりのソウル(3)

 ヒュンダイソウルと世宗大路  ソウルの旅4日目には、これは家内の希望でしたが、汝矣島(ヨイド)に新しく誕生した現代百貨店の新店舗「ヒュンダイソウル」を見物し、最終日は、帰りの飛行機が夕方出発なので午前中に、かつて何度も訪れたことのある懐かしい清渓川から世宗大路まで歩きました。   汝矣島は、かつて黄金色に輝く韓国初の超高層ビル「63ビル」の展望フロアに上がったり、国会議事堂近くの川岸で満開の桜並木を見物したりした思い出の場所です。今では63ビルを越える高層ビルが林立する

10年ぶりのソウル(2)

ソウルスカイとピョルマダン図書館  ソウルの旅3日目は、主に江南(カンナム)を歩きました。今回の旅行で私が特に見たかったモノがあるからです。ソウルの流行の中心が漢江の南、つまりカンナム地区に移ってからずいぶん経ちますが、私たちは年齢のせいもあるのか、今までのソウル旅行では、キラキラしたカンナムとはあまり縁がありませんでした。今回も私たちはカンナムの洒落たショッピング・ストリートなどを目指したわけではありません。建築ファンである私がめざしたのは、5年前に蚕室(チャムシル)に完

10年ぶりのソウル(1)

WOWPASSと青瓦台  司馬遼太郎の影響で学生時代から韓国に興味を持っていた私が家内と二人で30数年前に初めて実際の韓国の土を踏んで以来、ソウルに来たのは今回が8回目、「冬ソナ」以来の韓流ファンである家内はその倍くらいは来ているソウルですが、なんと前回から10年も間があいてしまいました。たとえば東京がそうであるように、10年も経てば大都市の様子はずいぶん変わっているはずです。今回はそんなソウルの変貌ぶりを確かめるための旅でした。8月の終わりから9月の初旬にかけて、私たち夫

ダイプリの旅3 鹿児島

 済州島を5月10日の午後4時に出港したダイヤモンド・プリンセスは、翌朝10時に鹿児島港に入港した。船の旅の魅力は入港時と出港時にあると先に書いたが、この鹿児島入港こそ、今までに経験した中で最高に素晴らしいものだった。九州の西岸沖東シナ海を南に航海してきた船は大きくUターンするように薩摩半島の突端を周回して、対岸の大隅半島との間にある錦江湾を桜島めざして北上する。枕崎沖を通過して開聞岳のあたりで方向転換し、指宿沖を通って鹿児島市に向かうという航路だ。まだ朝靄の中、富士山のよう

ダイプリの旅2 済州島

 済州島の話に入る前に、前回の長崎編で書きもらしたことを補足しておきたい。長崎港に入出港する際に、ダイヤモンド・プリンセスは三菱重工長崎造船所の近くを航行した。長崎造船所は幕末にオランダ人技師の指導のもと徳川幕府が創設したものを明治になってから三菱が引き継いだものだが、第二次大戦中に吉村昭の小説でも有名な船艦「武蔵」を建造したことでも知られている。実は、ダイヤモンド・プリンセスはこの造船所で造られた。長崎港に入ることはダイヤモンド・プリンセスにとっては里帰りでもあるのだ。姉妹

ダイプリの旅1 長崎

 7日午後に横浜港を出てから太平洋を南西に向けて航行したダイヤモンド・プリンセスは、5月9日の朝9時、予定通りに長崎港の松ヶ枝国際ターミナルに着岸した。目の前に、芝生が地上から丸く盛り上がったような蒲鉾形の洒落たコンクリート打ちっぱなしのターミナルビルが見えた。(後で入出国検査をするターミナルビルは別にあることがわかったのだが。)近代的な美しい埠頭だ。入港と出港の光景こそが船旅の最大の魅力の一つだと先に書いた。各地の良港がみんなそうであるように、長崎港も湾が奥深く陸地に入り込

ダイヤモンド・プリンセスの旅

 横浜スタジアムの横にあるホテルを出て、スーツケースを転がしながら、家内と二人で港に向かう並木道をまっすぐ歩いた。雨が降っていた。十分も歩かないうちに、懐かしい大桟橋の姿が見えてきた。世界に誇る現代建築の傑作でもある横浜港の大桟橋だ。木製の巨大な鯨のような建築物。そこにダイヤモンド・プリンセスが着岸していた。いよいよ4年ぶりの船の旅が始まる。私たちはワクワクしながら大桟橋の建物に入っていった。  四年前の航海。石巻で多数の子供達が犠牲になった大川小学校の廃墟で黙祷し、青森で

中国の旅 #9

アカシヤの大連  2016年  大連市内に戻って、まず訪れたのは旧満鉄本社ビルだった。満鉄、正確には南満州鉄道株式会社は単なる鉄道会社ではなく、半官半民の国策企業で、学校や病院や遊園地までも経営していた。ほとんど大連における日本政府だったと言ってもいい存在だった。この本社ビルは、ダーリニー時代のロシアが商業学校にしようとしていた建物を満鉄の日本人建築家が増改築したものだったが、いかにも満鉄の中枢部に相応しい立派な建築だった。現在では、旧満鉄の歴史資料館として利用されている。