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ダイヤモンド・プリンセスの旅

 横浜スタジアムの横にあるホテルを出て、スーツケースを転がしながら、家内と二人で港に向かう並木道をまっすぐ歩いた。雨が降っていた。十分も歩かないうちに、懐かしい大桟橋の姿が見えてきた。世界に誇る現代建築の傑作でもある横浜港の大桟橋だ。木製の巨大な鯨のような建築物。そこにダイヤモンド・プリンセスが着岸していた。いよいよ4年ぶりの船の旅が始まる。私たちはワクワクしながら大桟橋の建物に入っていった。

 四年前の航海。石巻で多数の子供達が犠牲になった大川小学校の廃墟で黙祷し、青森でねぶた祭りを見物し、ウラジオストックでロシア美女を目撃した。船内で次のクルーズを予約すると安くなるというので三回目の乗船を予約した。しかし、新型コロナの発生で翌年のクルーズは中止になった。なんと、日本にコロナ禍が襲来したことを最初に世間に知らせたのが、他ならぬ、このダイヤモンド・プリンセス船内で発生した集団感染だったのだ。あれから四年、ようやく世界を震撼させたコロナ禍も収束に向かい、ダイヤモンド・プリンセスが戻ってきた。

 半年以上前から予約していたのだが、実際に船が運航されるのか不安だった。しかし、コロナ禍が少しずつ収まってきて乗船の日が近づくごとに、数々の制限が緩和されてきた。せっかくアプリに登録した、韓国旅行に必要な有料のK-ETAも、日本入国に必要なvisit-Japanも必要がなくなった。それでも、乗船前のPCR検査か抗原検査が必要であることは変更されなかったので、私たちも前泊した横浜のホテルの部屋で自ら抗原検査をして、その結果をパスポートと、検査日時がわかるようにスマホ画面と並べて写真にとり、それをダイヤモンド・プリンセス乗船客用のスマホアプリに登録した。これで乗船準備は全て完了。

 このアプリには、支払用のクレジットカード情報を含めて、顔写真など私たちの個人情報を事前に入力してあったので、乗船は前回よりもずっとスムーズだった。乗船時、私たちはメダリオンと呼ばれるコイン型の徽章を首からかけるようにと渡された。前回にはカードだったものがこのメダリオンに変わったのだ。乗船客は、船内において常時このメダリオンの装着を義務化された。このメダリオンが各自の部屋のキーになり、船内での全ての支払いのカードになり、必要があれば、同行してきた家族や友人が船内のどこにいるのかもこのメダリオンで探すことができるという。今日本でようやく普及してきたマイナンバー・カードのより進化した形態が、このダイヤモンド・プリンセスの内部ではすでに実現しているのである。例えば、タオルやシーツを換えたりするルームサービスの係員は、そのメダリオンの情報を見て、客が留守の間に船室に入って作業をするという。部屋に入らないでというサインを扉に貼る必要はないということだ。

 このように、四年ぶりのダイヤモンド・プリンセスは以前と変わったところもあるのだが、その他は、あの懐かしいダイヤモンド・プリンセスそのものだった。私たちが乗船して横浜港を出港したのは五月七日の日曜日、翌日の八日からは、日本において新型コロナが2類から5類に分類が変わったことを受けて、それまで要求されていたマスクの着用が船内でも不要になったから、(日本人の半分くらいはそれでもマスクを着用していたが、)ますます昔のままのダイヤモンド・プリンセスになった。この日以後、私たちは船内船外を問わず、マスクなしで過ごした。

 基本的に人づきあいが苦手で、欧米流のパーティ文化を持ちこんだような豪華客船の旅というのに偏見を持っていた私は、家内のたっての願いで初めてこの船に乗った時には今回一度限りだと思っていたのだが、船内では人づきあいなんてしなくてもいい、各自がやりたいことを自由にしていていいのだということがわかってからは、ようやく船旅の魅力に気づき始めた。船室は(クラスによって違うが)ホテルの客室並に快適だし、ホテル自体が移動してくれているようなものだから、一度乗船してしまえば、スーツケースを詰め直したり飛行機や電車に乗ったりという手間もなく、日本各地や海外の街をいくつも訪れることができるのだ。もちろん、どこにも行きたくない人は船の中だけで過ごすこともできる。そこには素晴らしいショーを上演する劇場も星空の下の野外映画館もバーもラウンジもカジノも、もちろんレストランも完備しているのだから、何の不自由もない。若い人たちには(最近は流行らないようだが)バックパックを背負った貧乏旅行もいいだろうが、我々高齢者には船の旅が快適だ。快適すぎるくらい。かつては暇と金のある富裕層のものだと思われていたクルーズ客船の旅は、今では我々のような庶民の夫婦でも参加できるように料金的にも「民主化」されているし。

 それほど重症ではないが、糖尿病を抱えていて糖質制限をしている私にとっては船内の食事事情も心配のタネだった。船内にはイタリアンやフレンチの本格的なレストランがいくつかある。航海中の一日はフォーマルディといって、正装での出席が要求される。家内を含めて船旅の好きな人にはそれが魅力らしいのだが、私は堅苦しくて苦手だった。それに、前菜からメイン、デザートというメニューだが、私はデザートが食べられない。それが辛い。そんな私への配慮からか、私たちはビュッフェ形式の大食堂のようなフードコートで三食とも食べることが多くなった。料理も本格レストランに負けないくらいに美味しいし実に料理の種類も豊富だ。なによりも気楽だ。ただし、毎回、席を確保するのに苦労した。なにしろ乗船客は世界各国から数千人もいるのだから。そんな事も含めて、以前と変わらない、懐かしいダイヤモンド・プリンセスの旅が戻ってきた。私たちは久しぶりの船旅を満喫した。家内は船内で洗濯を三回もした。それもまたクルーズ旅行の魅力のひとつだったらしい。

 なお、私たち夫婦の側での四年前と今回との違いは、夫婦そろってスマホデビューしていたことである。四年前はまだガラケーだった。今回、スマホがなければ乗船手続きも難しかった。ダイヤモンド・プリンセスでは、世界のどこを航海していても、衛星を介して常時インターネットへの接続が可能である。でも接続は有料だし、寄港地に着けば接続できるのだから、船内ではインターネットをみられなくても良いだろうと思って、今回は契約しなかった。でも、一日でもインターネットに接続できないことが、こんなにストレスになるとは予想できなかった。どうやら、この3年間ほどで私たちはすっかりスマホ中毒患者になっていたようだ。特に、夫婦ともにネットで韓国語のレッスンをしていたDuolingoに接続できないのが辛かった。昨年から200日間以上連続して学習していた記録が中断することになったからである。幸い、Duolingoは一日休んでも連続記録として扱ってくれることがわかってほっとしたのだが、次回の乗船からはちゃんとインターネット接続を契約することにした。

 今回の船旅では、長崎、韓国の済州島と鹿児島を七日間でめぐった。太平洋を航行する最初の夜は過去の乗船時に記憶のないくらいの荒天で海があれ、一晩中、震度1から3くらいの揺れに襲われて、私も家内も初めて船酔いを経験したのだが、それ以外は天候にも恵まれて快適な旅だった。というわけで、寄港地それぞれの旅についてはあらためて次回から三回に分けてレポートする予定です。これらは別にクルーズ旅行に興味がなくても、普通に紀行文として読めると思うので、よろしければどうぞお読みください。

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