香りが呼び覚ます記憶
日本中がオリンピックの男子フィギュアスケートに沸いた週末の土曜日、私は『香りの標本』セッションなるものを受けてきました。
ナビゲーターは調香師のChiyoさん、ブログに掲載されていた素敵な文章に引き寄せられるように申し込んでしまいましたが、普段の私は美容とは程遠い生活ぶり、さらに嗅覚に特別自信があるわけでもなく、いきなりフレグランスなんて大丈夫かしら?という感じでサロンを訪れました。
新月の翌日、新しい始まりの気配も感じます。家を飛び出した時には気付かなかったのですが、どうも雲行きが怪しい…井の頭線に乗り換えて外を眺めていると、下北沢の手前あたりで車窓に雨粒が当たるのが見えます。傘持ってないな~、初めて行く場所なのになんて幸先の悪い!一気にブルーな気分に落ちていきます。サロンの最寄駅に到着すると雨は降っていないものの、やはり雲行きは怪しく…
幸い道に迷うこともなくサロンに到着することができ、Chiyoさんが笑顔で迎えてくださいました。「標本」にしたい香りのストーリーは前もってお伝えしてあり、それをもとにChiyoさんがブレンドする候補として、いくつもの香りを用意してくださっています。ひとつひとつ嗅いでいき、それぞれの印象、イメージ、感想などを書き留めていきます。甘いものや爽やかなもの、中にはスパイシーなものなど、似ているようで似ていない香りをひたすらくんくん嗅いでいきます。Chiyoさんとお話ししながら、気になったものを取捨選択し、最終的には6種の香りのブレンドができあがりました。
6種です!想像つきませんよね?ちなみに、フレグランスを作成するための計量作業は私自身の手で行います。0コンマ2桁の計量です。緊張で手は震え、呼吸は止まります。さて、肝心の香りはと言いますと、素人どころか完全な初心者の私のブレンドでも、まとまりある素晴らしいものになりました。
甘いヴァニラの香りから始まって、ジャスミンの花の香りに変化していきます。
私が作った香りには名前も私が付けて上げないと…ヨーロッパを愛して止まない私、初調香したフレグランスにはフランス語で命名するしかないでしょう?!と鼻息を荒くしておりましたが、できあがった香りは何ともオリエンタルもので。混ぜ合わせる段階では、色に例えるとピンクや黄色のものが出来上がることを想像していたのですが、実際に出来上がったものは甘さの中にも爽やかさを含むグリーンのイメージでした。甘いけれども、お花ではなくもっとトロッとした感じ、あれ、何だっけ??というわけで思いついたのは、「東洋の果樹園」という思いっきり漢字の名前でした。すぐに決めるのが難しければ(仮)でもいいですよ、とChiyoさんは仰ってくださいましたが、私の中では確たるものが浮かんできたのでこれで決まりとしました。
漢字とはいえ、私がイメージしたのは、日本でもアジアのどこでもない空想のどこかの果樹園です。
強いて言うなら、天上のどこかかな~、ってまだ行ったことありませんが…観音様が穏やかな笑みを浮かべながら桃や梨をかじっていそうな感じのあそこです。
どんな時に使いたいですか?というChiyoさんの問いに、普段使いとして朝出かける時に、という答えとともに、海外旅行にも持って行きたい、フランスとか…というキーワードが出てきます。私からもこの香りどうですか?と尋ねました。調香師の方の印象を聞いてみたかったのです。Chiyoさんは「遠くに行きそう。どんどん進んで行きそう。」と答えてくださいました。それは私が標本にしようとした母との思い出話とはまったく噛み合わない答えでしたが、だからこそ、その答えはとても嬉しいものでした。というのも、私には海外で暮らしたいという密かな願望がずっとあるようなのです。未だ実現の手がかりが見えず、最近では、諦めるというか封印していた気持ち。それが、今でも自分の中に根強くあることに改めて気付かされ、香りを通して初対面のChiyoさんにまで伝わってしまったなんて、神秘的としか言いようがありません。
サロンを出ると、空は青く晴れていました。またひとつ答えを得たのだと思いました。
帰りは、行きに雨粒が当たっていた下北沢で途中下車をします。用事があっての寄り道でしたが、下北沢には母方の祖父母が住んでいたこともあり、この10年くらいでやや疎遠にはなってしまったものの、私も小さい頃から数えきれないほど通ってきました。作り立ての香りを吹きかけた手首をそっと鼻に近づけてみたら、ふと紅茶を飲みたい気分になりました。まだ訪れたことはないのですが、スリランカを思ったような気がします。移り変わりの激しいこの町で、かつて母と訪れたあのお店はまだ残っているだろうか?お店はまだ健在でした。通された2階の窓側の席からは、通りを行き交う若者たちの姿が見えます。お店も歩いている人も、以前より密度が濃くて何だか息が詰まりそうです。そんな眺めから視線を外してメニューを開くと、冷たいもの、温かいもの、アレンジしたものなど当時と変わらない数多くの品揃えに、私もかつてと同じようにメニューを睨みながらひとしきり悩みます。
ようやく注文して、紅茶が運ばれてくるのを待っていると、隣のテーブルに2人連れの女性がやってきました。席の配置の関係で顔はよく見えませんが、何となく背格好が似ています。母娘です…娘さんは学生かな。私があまりひとりでは飲食店に入らないせいかもしれませんが、こういう母娘を見るのは久しぶり。ファーストフード店や居酒屋では見ない感じの2人連れです。この後の晩ごはんの献立の相談など、たわいない話をしながらのんびりと紅茶を楽しんでいるようです。お母さんが「ほら、トイレ空いたから今のうちに行ってきな。」と言って、娘さんが席を立っている間に会計を済ませています。いつかの自分を見るような光景にほわっと胸が温かくなりました。
大人になったいつ頃からか、母との関係が複雑になったような気がしているのですが、このお店で母と向かい合って紅茶を飲みながらケーキをつついていた頃は、今よりずっと無邪気で、大人になること、生きていくことが時に困難を伴うことなど、何ひとつわかっていませんでした。目の前の母と紅茶とケーキがすべてで、そんな日々がずっと続いていくのだと信じ切っていて疑うことすら知らなかったのでしょうね。サロンで付けたときには甘い香りを漂わせていた手首も、だいぶ落ち着いた香りになってきたような。甘いけれど優しくない、強い意志を感じる香りです。その香りの変化は、少女が大人に成長していく過程のようでもあります。そうは言っても甘さが完全に消えてしまうことはなく。いくつになっても私は甘えん坊で、今もどこかで母に甘えたいのかも。そんな思いがけないイメージが頭を過ります。母への複雑な思いを認めることで、本当の意味で母から離れて自立することができるのかもしれません。お母さん、生んでくれて、育ててくれて、護ってくれてありがとう!一度も口にしたことがない気持ちが沸き上がってくるのを感じました。
香りを通して嗅覚という五感を刺激することで、何だか記憶を辿る小さな旅をしてきたようです。私たちは日々という流れを漕ぎ進んで行く中で、都合の悪い出来事や感情には蓋をして鍵をかけてしまうことがあります。けれど、カラダは決してそれを忘れることはありません。きっかけさえ与えられればあっけなく鍵は外れ蓋は開いてしまう。思いがけない本心や隠れた欲望はまだまだありそうですが、無理に触れる必要はありません。いずれはそれも開かれる時がくるでしょうから、今はまだそっとしておくとしましょう。私は私が作り出したこの香りを抱いて眠りに付きます。夢の中で観音様の穏やかな微笑みと出会えるかもしれません…