好きな人に引っ張られる。(駄文)

loveでもlikeでも好きな人達の感情の影響をダイレクトに受ける。
喜んでいる時はこちらも喜んでしまう、悲しんでいる時はこちらも悲しんでしまう。
それは当たり前のことだろうと思っていた、のだけれど、どうやら自分は当たり前以上に周りの人の感情に引っ張られてしまうみたいだ。

そういうと出くわす出来事、出くわす出来事、無理にドラマチックにしてるみたいで嫌なのだけど、どうやらそのようなのだから致し方ない。

ここ数年おもうように体も脳みそも動かない気持ちの悪い時間を過ごしてきて、ちょっとずつ生活の工夫をしてやっと最近自分に合ったペースが掴めてきた気がする。

その中で何よりも大きいのは“人から離れる”ということ。
私は賑わっているところが好きなのでついつい誰かに会いに行きたくなるのだけど、元来それが合っていない。何故なら人からの感情をダイレクトに受け取ってしまうから、人に会う時にはいくらか注意が必要なのだ。

そして、それは好きな人達でも同じで、四六時中一緒にいちゃいけない。その人達の良い感情にも悪い感情にも私は劇的に影響されてしまう。
もちろんそういう影響が好きではあるのだけど、影響が大き過ぎると私の生活が脆いものになってしまう。

だから、少ししんどくても人と物理的に距離を置くことにした。
そのせいで嫌われてしまう、忘れられてしまう、信用を失ってしまう…などという不安もあるけれど、私が不安に思うほど周りは重たく考えちゃいないし、きっと私の行動を責める理由なんてないだろう。
もしも責める人がいるとしたらそれは私がより距離を取った方がいい人達だ。

相手が望んでも望まなくても、その人と私が一緒に居続けることで私は疲弊してガタガタになっていく。
そして相手は「自分のせいでこいつをこんな風にしてしまった」と落ち込むかもしれないし、もしくは「そんなに自分と一緒に居たくないなら被害者面してないでハッキリそうと言えばいいのに」と憤るかもしれない。

どちらにしろ何も良いことなんてないのだ。だから少し距離を取る。良い塩梅を見定める。

今泉はよく「あんな暗い歌をうたうのに明るい」と評されるのだけど、たぶんその訳はこういうところなのだろう。

そんなことを考えていた矢先に友達から“HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)”なるものを教えてもらった。

HSPというのは生まれつき色々な感覚が人より敏感で疲れやすい人のことを言い、そのせいで相手がどう考えているのか気になり過ぎたり、いい人であろうとし過ぎてしまったり、周りの刺激に圧倒されてしまい疲れやすかったり、疲れてしまうので自然と賑わうところを避けたり…etc.という人で、それらが折り重なりネガティブな考えに陥ってしまう傾向の人達のようで、友達はまさにそんな感じだった。

しかし、私は比較的社交的な方だし、その友達とは性格的に違うところが多いのでまさか当てはまるわけが…と思いつつ調べてみると“HSS型HSP”という内向的になりやすいHSPの中でも外交的で積極的に刺激を求めに行くタイプというのが出てきた。
つまりこれが私のタイプなのだ。

先日もらった本の中には表現は少し悪いけれど「幼少期に(自分に合った)愛情を十分に受けた人はHSS型になる傾向」と書かれていた。
ただ感覚が敏感なのはその他のHSP気質の人達と共通しているので刺激には弱い。必要以上に影響を受けてすぐに疲弊してしまう。

「感受性が高い」などと良い言い方をしてみても必ずそれがプラスに転じるわけじゃない。
常人なら耐えられるような負荷に耐えられない、失敗した時のことを考えるとクリアできる難題に挑めない、起こってもいない悪い出来事を考えて苦しくなる…etc.日常の細々としたことを気にかけて勝手に疲れを蓄積してしまうのだ。

これだけいたるところに情報が溢れてる毎日の中でなかなかツラい気質だと思う。

だがしかし、それを分かったなら対処はできる。ほんの少し、距離を取る。それだけで全てが気持ち良く回り出す。

私は誰かに依存することも依存されることも辛くなってしまう質で、そういう状況にいる時、相手の思う通りに振る舞えない(相手の指定する時間に指定の場所へ行けない等)、相手の望む自分でいられない(容姿や発言等)ことで酷い自己嫌悪に陥るのだけど、それはまさにHSPという気質に起因してるのではないかと思う。そしてそういうのもみんなと距離を置くことで解決できるのだと思う。

そういえば私は子供の時誰もいない部屋で癇癪を起こすことがよくあった。
部屋中の物をぐちゃぐちゃに散らかすのだけど、何か壊したりはしない。たぶん後のことを気にし過ぎてしまってたからだ。
その後癇癪を起こすことからひたすら腕か足を殴る行為に変わった。でも傷をつけないように座布団とか布団とかを挟んで殴っていた。
また、よく眠る子だった。放っておかれたら15時間くらい平気で寝ていた。

こういう行動も言語化や表出の仕方がわからない子供なりの多すぎる刺激や情報の処理の仕方、ないしシャットアウトの仕方だったのかもしれない。

だんだんと過去の自分への救いを提示できるようになってきた。
知ることと成熟していくことは望めば叶うような気がする。
学ぼうとし続けることで死にたいと思う時間が減った気もする。

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