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研究者が謎科学に口をつぐむ訳:Twitterから学ぶ②

 前回の記事で、科学論文は何かの根拠にならないという話をした。研究の世界では、数年間の追試により支持する論文が蓄積して、数々の修正が行われながら一つの結論に達する。しかし、社会不安の中では、1つの論文に一喜一憂してしまうのも仕方がない。加えて、蓄積した謎論文が出てきて科学的根拠として紹介される。研究者がなかなか発言しないのには理由があるので、紹介したい。(小野堅太郎)

 まず、忖度というか、その研究世界の大御所と言われる人が発言している謎科学には反論できない。お怒りをかったら、今後の科学研究費の審査や大学の人事(教員採用)でマイナスになる可能性がある。研究職を追われるリスクを負うわけにはいかない。圧倒的な研究業績を持っている以外には、めったなことは口を出せない。大御所ではなくても、知っている仲のいい研究者であれば、その人の立場を壊してしまうので、とても指摘できない。つまり、利害関係と仲間意識が邪魔してしまい、おかしなことにNOとは言えない。

 では、利害関係がなく仲間でもない人であれば、どうか。正直、興味がないので、いちいち突っ込まない。下手に突っ込んで、意味の分からない反論を受けてさらに反証したりするのは面倒である。下手すると、自分の方が間違っている可能性も、研究をしていればよくある事なので、ないわけではないのである。議論で負けるようなことがあれば、研究者としての立場を危うくしてしまう。そんなリスクを犯してまで発言することに意味があるのだろうか。TVなど社会的に影響力がある場合でも、笑い話で終わってしまう。

 いや、そんなことではいけない。世の中に正確な情報を伝え、より安心できる正しい方向に世間を導かなければならない。と、考えたとしよう。その謎科学を研究したことがあれば、反論に説得力があるように思う。しかし、前記事で、そもそも科学論文にどこまで信頼性があるかは、わからない、という話をした。研究者として誠実であろうと思ったとたん、自説の不安定性に直面することになる。研究者としての保身を捨てたとしても、研究者としての矜持があるなら完璧に反論することはできない。

 さて、ここまで自虐的、内省的、偽善的理由を挙げてきた。八方ふさがりに見える。

 実はそうではなく、個人的には大丈夫ではないかと思っているんです。以前の記事で、小野は「大学教員は実名公開してでSNSやったらいいんじゃないか」なる事を書きました。しかし、Twitterではかなりの匿名の研究者・大学人がいて、思ったままを発言しています。なるぼど、世界中、選挙も匿名で投票しているよなぁ。匿名の良さは、こんなところにあるのか。権威や仲間意識、科学的正確性を超えて、主観で議論する場があるのです。影響力は小さいかもしれませんが、SNSで話題になってマスメディアに登場する人もいます。なんだかんだヒトの社会はバランスをとっていくんだなと、権威におびえる小野は世の中を見ています。

 なんか変な話になりましたが、こんな話、公開してもいいのか。もういいか、たいしたことない、と感情が鈍ってきた今日この頃です。

 補足:これはTwitter上での話です。学会では結構、若手も大御所も論戦を戦わせます(特に生理学系は)。オンライン学会ではどうなるでしょうか。


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