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科学論文と研究者の信頼性:Twitterから学ぶ①

 Twitterをやり始めて、びっくりしたのは科学論文情報を容易に入手できたことだ。一方で、こういった科学論文を自説の根拠として発言している人が多いのにもびっくりした。それまで、科学論文とは研究者間で議論される成果報告書ぐらいにしか思っていなかったからだ。ちょいと思うところを書き綴ってみる。(小野堅太郎)

 マナビ研究室YouTubeは初めて4ヶ月目となる。大学でのオンライン講義開始により講義動画をとることになり、忙しくてとても活動できないなと思っていた。ふと、Twitterなら少ない労力で情報発信できるなと考えて、覗いてみたところ何人かのツイートでnoteなるサクッと文章を公表できるシステムを宣伝している人がいる。「動画は大変だけど、Twitterやnoteなら少ない労力でできますよね」と吉野先生と話し合い、始めることになった。2か月半ほどたったが、思い返すと決して楽ではなかった(見積もりが甘かった)。noteのことはいつか書くとして、今回はTwitterについて話を絞っていく。

 大まかな流れを述べる。はじめは九歯大の学生らしきアカウントをフォローした。そうすると、教員に垢バレしたと慌てる学生もおり、自由な発言を損なってしまうかと思い、少なくとも九歯大学生へのフォローはできるだけ自粛することにした。そこで次に、高校生、大学生、大学院生。なぜなら、マナビ研究室のYouTube動画を見てもらいたい層だからだ。しかし、膨大な数になるし、ツイートもよくわからない内容が多く、これは自分のテリトリーではないことを知った。ある歯科医師の方が我々の活動に反応してくれたため、そうか歯科関係者ならどうだろうと、歯科医師、歯科技工士、歯科衛生士の方たちをフォローするようになった。さらに、オンライン講義のさなかであったため、高校・大学教員の方たちからの情報を集めるためアカウントを見つければフォローするようになった。当然、大学教員の方たちは研究のことをつぶやくわけで、研究者たちもフォローするようになり、なんとNature, Cell, Scienceとその姉妹紙の情報がTwitterに上がっていることに初めて気づいた。ここまでで、2週間ぐらいか。

 そうこうしているうちに、異なる内容のツイートがめちゃくちゃの順番で表示されるようになり、リツイートしたい科学論文紹介を探すのに膨大な時間がかかるようになった。困っていると研究スタッフから「リスト」という機能があるのを聞いて、分類した(Twitter上で質問したところ、数人の学生さんからツイートでなく、メールでアドバイスをいただいた)。かなり使いやすくなり喜んだが、結局、リストに入れていない人たちのツイートが、リストに分けたものに交じって内容を判読できない。苦渋の選択で科学論文雑誌のフォローを全部外した。さらに、相互フォローになっていないアカウントに限り、夕飯情報や謎の発言、卑猥な発言を繰り返している人たちのフォローを外した。あと、TVにでるような有名な研究者の人たちも、当たり障りのない発言でつまらないので、ほとんどフォローしていない。そうしてみてくると、結構同じような事象に興味を持つような人たちを網羅的にフォローしており、だらだらとTwitterを見ているだけでもかなり面白くなった。これが、始めて2か月くらい。

 科学情報を苦にせず得られるようになり、数日後にその内容が報道されているのを見ると、なんか科学の先端を追えているのかなと思う。漏れた興味ある科学論文も他の研究者の人がツイート、リツイートで情報が上がってくる。Slackで自分の研究室の人たちにさっと、情報提供もできる。なんでいままでTwitterを研究利用していなかったのだろうと悔やんでいる。今最高に面白いと思っているのは、結構、研究者同士で激しい議論(喧嘩ではありません)をTwitter上で閲覧できることである。人それぞれ、いろんな考えを持っていて、両者から学ぶことが多い。

 それとは別のタイプの議論に遭遇することもある。フォローしている人の「いいね」や「リツイート」で、フォローしていない他の人のツイートが表示される。現在の感染症に関することが多く、コメントに臨床医、研究者、謎の専門家たちが登場する。政府や対策委員会に対して、賛否の声が寄せられている。その時に、科学論文がでてくるときがある。「そんな報告ほんとにあるの?」という謎論文だけでなく、自分もコメント付きのリツイートしたことのある有名雑誌論文だったりする。しかし、「え?それは細胞実験(in vitro)だけど!?」となったり、「まだ、可能性を示しただけだよ!?」、「因果関係はわかってないのに!?」となったりする。一方で、厳密に行われたと思われる疫学データをバッサリと切り捨てているものもある。多くはそのまま放置となる。時々、研究者が訂正コメントを寄せているが、基本、そのまま放置である。さらには、有名臨床系雑誌の論文捏造の話が出てきたりして、混乱状態となっている。

 冷静になってみよう。そもそも科学論文とは何か。基礎研究(細胞・動物実験)は、ある限定された実験環境内での結果である。細かい分子の働きは明らかとなるが、人間でも同じかどうかはわからない。臨床研究(疫学)は関連を示すことはできても、因果関係はわからない。これから作られる数式モデルは短期予想に有効かもしれないが、長期的には使えない。別の民族・人種に当てはまる保証はない。だから、研究者間でも議論が噴出するのだ。

 結論を言うと、科学論文単独では何かの根拠になりえない。Natureに載っていたからと言って、本当とは限らない。20年間の研究生活で、Natureに載った話題の論文の多くが、その後話題にもならなくなっていったことを知っている(もちろん、残った論文も多いが)。面白い論文を、何度も追試してもうまくいかなくて落ち込んでいたら、他の研究グループから「そんな分子は関与していないから、再考すべき。」との論文が出て、ほっとした経験もある。捏造はもってのほかだが、研究者は意図せず間違ってしまったり、たまたまそのような結果が出てしまった可能性もある。要するに、再現性が確かめられるまで不確かな状態なので、1論文だけでは確定的なことはほとんど言えないのが現状である。

 でも、みんな待てないのである。早く知りたいし、早く「こうすべきだ」と誰かに決めてもらいたい。安心した生活を望むなら、それは当然である。だから、なにかの論文を根拠としたい気持ちを否定したいわけではない。政治家は正直、大変だなと思う。わからない状態で決めなければいけないからだ。専門家の意見が割れている中で、何かの良し悪しがわかるわけがない。研究者はどうすべきか。できるだけ正確な言葉で説明する必要があるだろう。ある日たまたま見ていたTVで、感染症の専門家が説明していた。そうするとコメンテーターが口の中のある感染経路の説明をした。そうすると研究者は専門外でもあったのだろうが「可能性は否定できません」といった。そうすると、TVではその経路の感染予防策のVTRが流れ始めた。こんな風にTVで報道されているのか、と怖くなった。実は、研究者がよく使う「可能性は否定できません。」は、一般社会では「可能性はほとんどない。」と等しい。研究者の「可能性が高いです。」はサイコロ降って偶数が出る確率程度のものである。

 小野も感染症の専門ではないので、正直わからないことの方が多い。しかし、口内炎や歯周病などの感染による疾患モデルの研究をしているので、口腔内の免疫機構はそこそこ知っている。多少なりとも情報発信をしなければ、と考えている今日この頃である。


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