アラフォーになったが気持ちは20代の頃と何も変わらない。
今日は、小学生の息子の運動会だった。
毎回子供のイベントで、我が子の今この瞬間の勇姿を映像(ビデオカメラなど)にしっかりと収める、と言うことに心を燃やし命を燃やすパパやママが多いのではないだろうか。
もれなく私も毎回毎回とんでもなく必死だ。
いちど夫に任せていたら、
『ごめん、撮れてると思ってたらさ、録画ボタン押すの忘れちゃってたわ……ハハハ。』みたいになり私がマジ切れした、なんてエピソードがあってからは、ここに関しては私は自分のことしか信用しなくなった。
と言うことで私は、今日も撮影隊に徹してきたわけだ。
コロナの世の中になってから、私が住む地域では運動会はお弁当はなしで、午前中にすべてを詰め込み、お昼過ぎ頃までに終わらせる、と言うスタイルになった。
母である私としては、運動会のお弁当作りと言う、年間行事のなかでもトップ3には入るであろう気合いの必要な戦いがなくなったと言うことで、非常に安堵している。
その反面、校庭にシートを敷きピクニック気分で家族でひとつのお弁当を囲む、と言う楽しい時間が過ごせなくなってしまったことは悲しくもある。
複雑な心境だ。
うちの下の息子は高学年なので、今年初めて騎馬戦と言う競技に挑んでいた。
『裸足でやらされるんだよ?マジで足の裏が痛すぎて地獄なんだけど!!何でこんなことやらせるんだ!?もう、どうかしてるぜ!』と息子は言っていた笑。
うちの息子は小柄で細身なので、騎馬戦では上にかつぎ上げられるメンバーに選抜されてしまったらしい。妙に負けず嫌いで頑固なところもある息子だが、基本的に争いごとは好きではないタイプのゲーマー少年だ。
騎馬戦の本番ではそこそこ粘ったものの、最終的には後ろからふいに紅白帽を敵チームにかっさらわれ、敗北していた。
私の息子は、わりと何事もズバズバと言い放つ母である私のことを判断基準として生活しているようなところがある。
ことあるごとに、『お母さんはどう思う?』と聞いてくるので、そんな息子が愛しいしかわいすぎるけれど、私はそんなとき心を鬼にして、特に最近は、「あなたはどう思う?自分で考えて自分で決めてごらん?」と言う。そしてそっと近くで見守る。
このまま私に頼り切って成長してしまうようではよくないな、と思って。再来年にはもう中学生になるのだ。
毎回心苦しいが、かわいい子には旅をさせよ、だよなと私は自分に一生懸命言い聞かせている。
◇
こんなふうに私は、二児の母となって十数年が経過したアラフォー主婦だ。母になったと言うよりは、毎日手探りで悩みながらも楽しくを目指し、子供と一緒に生きている、と言う立ち位置の方が正しいだろう。
アラフォーになったけれど、精神面は20代の頃と何も変わらない自分に気付く。
人の親になったって、両親の面倒を見なければいけない立場になったって、あの頃の私と気持ちは何ひとつ変わっていないのだ。
本当は弱音だってはきたいし、常に迷いの中にあるし、常に誰かに私の感度をわかって欲しくて欲しくてたまらない。
立場的に私が強くあらねばならないことは自覚しているし、そうなりたいとも思っている。
40歳って、自分が20代の頃はとんでもなく大人な人たちなんだと思っていた。でも実際に自分がそうなってみると、全然そんなことないもんなんだなと。
私にいたってはそうだ。
気持ちは20代の頃のまま。
人生の経験値は増えただろうが、あらゆる感度はそのまんまで私の中にあり続けている。
20代から30代にかけてくらいの世代の皆さんが、noteに様々なことに対する心境を書かれていて、
むしろ年上の私の方が毎回その鋭い洞察力に圧倒されるし、その高い精神性を見習いたいな〜とすごく思う。尊敬する。
まだまだ修行が足りないのです私は。
がんばります。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。
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