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見えないものに翻弄される母。

ここ数週間で、母の様子が急激に悪化している。これはもう、すぐに手を打たないといけないレベルまで来てしまったのかもしれない。

私の子供たちのバタバタとした予定が終わるのを待っていたかのように、母の体調は悪化の一途をたどる。

でも最近は、こんな状況にすら慣れつつある。人間の、緊急事態にも順応して行くチカラのすごさよ。

最初から自分一人で抱えるつもりはなく、ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、そして家族や私の身の周りにいて下さる方。病院の方。

手をさしのべて下さる方々へ、まずすぐに状況を報告し、問題を共有してもらって、チームプレーで挑む。

変な話しなのだけれど、昔仕事をしていた時代を思い出したりしている。なぜだか目の前に大きな問題が現れると私は、解決のため奔走し、周囲の人々の平穏を取り戻すことに、心が燃えるのである。

母は、そこにないはずのものにおびえ、怒りをあらわにしている。主治医の話しによると、年齢を重ねたことによる、脳機能の低下の可能性もあると言う。認知症の可能性もあるのかもしれない。

まだ60代半ばなのに……と、とてつもなく悲しくなるが、上がったり下がったりの母を何年も見てきたので、私の心の準備はある程度はできていたようだ。自分でも驚くほどに落ち着いていて、覚悟は決まっているように思う。

父は、今まで通りに暮らせば良い、と言う。
生活が変わることを、受け入れられないのだろう。

父も過去に脳梗塞を患い、自分のことは自分で出来てはいるものの、後遺症を持つ身であるので、何と言うのか、論理的な思考が難しく、感情のままに生きている。

でももう、母には無理なのだ。自分以外の人間のことを気遣いながら、世話をやきながら暮らす、と言うことが。彼女の心身の状態では、自分のことだけを考えながら生きて行くことが、やっとなのだ。

母自身も、『しんどいけど、この家でお父さんとやっていくしかないでしょ?そうしたいし…』と言う。
家で父と居たい気持ちはよくわかる。でもその気持ちに、本人の頭と身体が追いついていないように見えて。

父を見なければならない、と言う呪縛に囚われてしまっている母。母をもっと楽に暮らせるようにしてあげたい、と私は思っている。

そんなこんなで、近々新たな落ち着いた生活を取り戻すために、本格的に動き出すことになりそうです。

ワタワタし、noteの更新が途絶えてしまうかもしれませんが、もしそうなっても、必ず戻って来ようと思ってます。

まず、目の前の一日を乗り越えるぞ。
皆そうやって、なんとか生きているのだ。

猛暑が続きますね。皆さまご自愛ください。
ここまで読んで下さってありがとうございました!


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