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肩の荷がおりた私と感情のままに生きる父。

先日も書いたのですが、母の認知機能の低下が著しいので、詳しい検査を含め、先日入院させる流れとなり、病院へ母を託して来ました。

正直なところ、私としては「あぁ、やっとこれで、自分以外の方に、母を気にかけていてもらえるようになったんだ。」と、何年もの間、肩に重たくのしかかっていた何かが、消えてなくなったかのような感覚になっていて、心身共にとても楽になったのです。

母が家で生活を送っていると、不調になるたびに頻繁に電話が来て、対応せざるをえなくなる。不安定な時期は、日に何度も何度も。

それがあたり前だと思っていたけど、私と母の間に常に誰かがいて下さることで、こんなにも心理的な負担が小さくなるのかと、心底安堵していて。


一方で私の父は、それを受け入れることが困難な様子。

でも、実際問題、周りの誰が見ても、母の心身状態、認知機能が悪化していることは明らかで、父だけがそこを、見てみぬふりをしていると言った状況だった。

母は、父のお世話は完璧すぎるほどにきちんとこなしているので、父にとってはその状態が心地良いのであろう。母が追いつめられ、周囲の人々が、母の言動に振り回されてしまっていても、おかまいなしの様子。

本当は、最初にメンタル面の不調が現れた約10年程前には、母はもう、厳しかったのだきっと。

それでも母は、当時は娘の私も幼子たちを抱え、身動きが取れなかったこともあり、自分がやるしかないと、薬を飲みながら、どうにかこうにか自分を奮い立たせ、父のそばで今日までやって来たのだ。それはそれはきっともう、強靭な精神力で。

父には、できる限りゆっくりと、穏やかにその旨の話しをしたが、理解が難しい様子。

そこで私は、理解させることが出来ないのなら、見て、聞いて、肌で感じとってもらい、新たな生活に慣れさせて行くしかない、と頭を切り替えたのだった。

今、意を決しないと、母にまた自分を奮い立たせながら、がんばらせ続けてしまうことになる。

この先の私の人生も=そんな母を気にかけ続ける人生、になってしまって、正直こちらのメンタルが無事でいられるか、自信がない。

母はまだ60代なので、それもこの先何十年と続くかわからない。ゴールが見えないのだ。母は、依存気質なところがあり、自分自身で、どうにかして状態を良くしよう、と考えることは、もはや不可能な人。

お父さんと一緒に家に居たいから……と言う母の思いを最優先し、何年も過ごして来たが、母の心身も私の心の余裕も、もはや限界に近かった。

私も、常に迷いと隣り合わせだが、もう割り切るしかないだろ、と腹をくくっている。

病気をする前の父は、常に論理的に考え、冷静に行動し、人に接し、頼れる存在であった。でも生死の堺を彷徨うほどの、脳梗塞を患ってから変わってしまったのだ。

嫌なものは嫌。こちらが冷静に言って聞かせても一方通行。病気をしたこともあるし、老いる、と言うことは、こういった要素が大きくなって行ってしまうものなのかもしれない。

それは見ていてまるで、子供に逆戻りして行っているように見える。

そんな両親たちの対応に苦慮していると、老い、と言うものに逆らいたい気持ちでいっぱいになり、老いや病気をすることが怖くなる。

そんな私は、ちゃんと栄養を取って生き、人と話して笑ったり、難しいと感じる本を読んで考えたり、小さな達成感を感じたり、ワクワクすることを何よりも大切に生きたい、と思ったりして、それを自分自身の信念として生きている。

誰かに精神的に依存して生きることは、絶対にしたくないのだ。

そして、目の前の一日に全集中。
ただ、それだけで良い。それを見て下さる方が居てくれるとは、何と幸せなことか。

ひと山越えたら、笑える余裕が生まれて来た気がする。笑おう!!ここ数日は、笑うこと忘れてたな………書いたら心の整理が出来ました。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

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