見出し画像

YMOという時代を、観てそして聴いてみよう!(レコードジャケットの楽しみ #9)

こんにちは、吉田です。
レコードジャケットを自宅の部屋に飾ってニンマリする連載の9回目です。
(連載のマガジンはこちら)

今回の3枚は、本連載2回目となる同じアーティストの3連発です。(ちなみに初回は第1回目のザッパです)
そのアーティストはYMO、イエローマジックオーケストラです。

皆さんYMOってご存じですか?
YMOは、「Yellow Magic Orchestra(イエローマジックオーケストラ)」の略で、細野晴臣さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さんの3名がメインのグループです。

YMOは1970年代末、突如現れ時代を席巻しました。
1978年にファーストアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA(イエロー・マジック・オーケストラ)」がリリースされます。
それがこちらです。

画像1

このジャケットは1979年の米国版なのですが、YMOは日本国内よりも欧米でのマーケティングを優先していたという話があり、和装の女性の頭がケーブルになっている、という構図はまさしくその証ですね。

このYMOから始まり、日本ではテクノポップブームが巻き起こります。
ひと通り主なバンドを聴きましたが(ヒカシューのパイクやアルタネイティヴサンは好きで、今でもたまに聴きます)、YMOは他のバンドとは一線を画していました。

その理由のひとつはメンバーにあります。
当時のテクノポップグループは、生粋の音楽人ではなく演劇家やデザイナーなどで構成されているグループが多く、音楽を表現方法のひとつとして取り組んでいたと考えられます。

その中で、YMOはある種異質です。
メンバー全員が生粋の音楽人で、音楽は表現のひとつではなく、メンバーの存在自体が音楽で構成されているといっても過言ではありません。
そして、YMOの音楽は、シンセサイザーという表現方法を取ってはいても、多様な音楽性を取り入れていて、かつ新たな音楽を作るという実験的な取り組みになっています。

つまり、YMOはテクノポップというブームを作ってはいるものの、YMO自体は「その後のブームとなるテクノポップではない」と考えられます。

では、続いてセカンドアルバムをみてみましょう。
ファーストアルバムに続いて翌1979年にリリースされたのが、この「SOLID STATE SURVIVOR(ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー)」です。

画像2

ここでもYMOの欧米メインのマーケティングが見えますね。
アジアンテイスト満載のジャケットになっています。
向かって一番左奥がキーボードの坂本龍一さん、左から2番目(手前)がベースの細野晴臣さん、一番右がドラムの高橋幸宏さんです。
なお、この赤の人民服は高橋幸宏さんのデザインで、ライブの衣装は高橋さんが担当されていました。
この服にあこがれて本場の人民服を取り寄せて購入したのですが、デザインが違うので結局ほとんど着なかった...という悲しい記憶もあります。

更にYMOにどはまりした私は、「なぜYMOが素晴らしいのか」を把握するためYMOの源流を遡ることになります。
坂本龍一さんがクラッシック畑出身で音楽理論を研究している方であったことや、高橋幸宏さんが生粋のドラマーで複数のバンドに参加していたこと(サディスティックミカバンドはこの機に知り、お気に入りのバンドのひとつになりました)。
そして、細野晴臣さんが「はっぴいえんど」というロックに日本語の歌詞を融合させた初めてのバンドのメンバーであり、その後オリエンタルテイストをロックに融合させる取り組みをされていたことを知ります。

そこで出会ったのが、細野晴臣さんのトロピカル三部作です。
中でも「はらいそ」は私の邦楽ロックに対する価値観を変えました。
このあたりの話は本連載5回目の「これはもう、邦楽ロックの至宝だ! 細野晴臣トロピカル三部作」にあるので、ぜひご一読ください。

そして3枚目のライブアルバム「パブリック・プレッシャー/公的抑圧」がリリースされます。

画像3

印象的なジャケットデザインですね。
赤の人民服がYMOのトレードマークだったので、赤色の影にして関連付けを強く打ち出しています。
この3rdアルバムは、ライブアルバムではありますが各楽曲のクオリティが高く、初期YMOの集大成と位置付けられます。

ちょっとジャケットの印象が暗いのですが、私の中ではこの暗さが初期YMOの終焉を意味しています。
これ以降、具体的には「BGM」以降のYMOは今でいうTECHNO(テクノ)に流れを変えていきます。

ちなみに、1980年前後に日本でブームとなった「テクノポップ」と、今グローバルでジャンルとして確立されている「TECHNO(テクノ)」は違うと考えています。

初期YMOはテクノポップのブームを作ったもののテクノポップではないが、その後のYMOはTECHNOの扉を開け、その後の礎を作った...
なんとも不思議ですよね。

3枚ならべるとこんな感じです。

画像4

初期YMOの傑作三部作、皆さんいかがでしょうか?

YMOは当時の日本の音楽シーンの中でひとつの時代を築いただけでなく、歌謡曲、ポップス、ロックなど多くに影響を与えたことは確実です。
また、ワールドワイド(当時はグローバルという表現はなかった!)でもシンセサイザーミュージックに影響を与え、その後のTECHNOの流れを作った日本の誇るアーティストです。

いいものは時代を超えても感動を与えてくれます。
もしYMOを体験されたことが無ければ、Spotifyにもあるのでぜひ一度体験してみてください。

私もヘビロテして今も聴いています。

ではまた来週に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?