見出し画像

戦争は日本人の顔をしていない

2024/02/01 Newleader

『戦争は女の顔をしていない』

 「『……人を殺すってむずかしいことよ。あたしは地下活動をしていたの。半年後に任務をいいつけられたの、ドイツの将校の食堂でウエートレスになれって……若くてきれいだから……採用されたわ。スープに毒を入れて、その日のうちにパルチザンに入れということだったの。あたしは将校たちに親しんでしまっていたわ、そりゃ、敵だけど、毎日会うし、[ダンケシェーン、ダンケシェーン]って言われて。これはむずかしいことよ。殺すのは難しいの。
 あたしはずっと歴史を教えてきたけれど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを……』。
********
 私は長いこと信じられなかった、わが国の勝利に二つの顔があるということを、すばらしい顔と恐ろしい顔。見るに耐えない顔が。わたしにはわたしなりの戦争があった……」。

 ウクライナ生まれのベラルーシ人女性ジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(1948~)が、第2次世界大戦に従軍したソビエト女性たちを取材した記録文学「戦争は女の顔をしていない」の一節です。

 後にソビエト・ロシアで「大祖国戦争」と呼ばれ、ナポレオン戦争と並び、国民には祖国防衛の英雄的物語と扱われているこの戦争も、参戦した女性たちの視点から見ると、また別な様相をしていました。

 社会主義体制という表づらをしてはいましたが、ソビエト社会はまだ圧倒的に男性社会。まして、軍隊、戦場は、男性の論理だけで構成されており、女性が女性的に息をできる隙間はありませんでした。伝統的に戦闘という世界から隔離されていた存在が戦闘の場に投げ込まれたのです。彼女たちは、男性兵士と下着まで同じ物を付け、同じ格好をして、同じ役割を果たし、しかも復員後、故郷では「男の世界の戦場に混じっていた女」として、特に女性たちから差別的な扱いを受け続けました。

 つまり戦中も戦後も、女性としての感性を押し殺して戦争に向き合わなければならなかったのです。それゆえでしょうか、彼女たちの心に響いた戦争体験は、よりいっそう戦争の「恐ろしい顔」を浮かび上がらせたのでした。 彼女たちの多くは志願して参戦しており、防衛戦争への熱意と言うことでは人後に落ちるものではありませんでしたが、その同じ人間の中に戦争の不条理をより鋭敏に見わける感性が共存しているのです。

 この二面性こそが戦争の真実なのです。これを浮かび上がらせたことがこの作品を凡百の戦争記録と異なり抜きん出たものにしました。アレクシエーヴィチはこれを皮切りにソビエト時代の人間の真実に迫る作品を書き続け、2015年にノーベル文学賞を受賞しました。

選挙の年、戦争の年

 今、日本人が長らく見てこなかった、そして見たくもない戦争の世界に直面する可能性が高まっています。世界全体で戦争モードが起動してしまっているのです。2022年にロシアのウクライナ侵攻から2年近く経って、戦線は第1次大戦さながらの塹壕戦で全くの停滞状況。この間、長く中立政策を堅持していたフィンランドがNATO加盟、同じくスウェーデンが加盟目前まで来、国民に戦争への備えを呼びかけ始めています。ウクライナ戦争は、ヨーロッパ対ロシアの戦争覚悟の対立になりつつあります。

 それに追い打ちをかけるように、2023年10月には、パレスティナ・ガザでのイスラエル-ハマス戦争が勃発。アメリカなどがイスラエル-イラン間の戦争に発展しないよう押さえ込んでいますが、第5次中東戦争の可能性はまだ消えていません。それに加え、アゼルバイジャンのアルメニア攻撃、北朝鮮の韓国への砲撃とたび重なるミサイル実験、そして中国は、台湾、南シナ海への強勢をますます強めています。

 更に加速するキッカケは何か。それが戦後日本人からすれば「反戦争」の価値観を体現しているはずの民主主義の、その根幹をなす政治過程、選挙となりそうなのです。今年、2024年は、世界的な選挙の年と言われます。台湾総統選挙、ロシア大統領選挙、韓国総選挙、インド総選挙、そしてわが日本も9月に自民党総裁選があり、もしかすると解散総選挙となる可能性があります。

 しかし、何より世界に決定的な影響を及ぼすのが11月のアメリカ大統領選挙。このままの情勢では、トランプの返り咲きの可能性が高いようです。

トランプではなくアメリカが問題なのだ

 トランプは、第1期政権で自国最優先を標榜して、相手とディールをしてまで負担のかかる地域から撤退しようとしていました。対中国では、故・安倍首相の超人的な交渉で何とか踏みとどまらせましたが、ヨーロッパ諸国との関係は最悪、NATOからの離脱を企図し、第2期でもそれを実行する意思のようです。そうなれば、ウクライナどころではありません。世界の安全保障秩序の大崩壊です。

 いわゆる「トランプ・リスク」という奴ですが、これはトランプ個人に理由を求めるべきではありません。もし再選されるとするならば、アメリカの有権者自身が求めていることをトランプが体現しているからなのです。

 20世紀の2つの世界大戦の結果、戦勝の大国が安全保障、国際経済秩序を共同管理する体制が模索されました。しかし、結局、満足に機能せず、結果として発案者で最大の戦勝国アメリカがほぼ1国で背負うハメに。特に対テロ戦争の泥沼のなか、アメリカ人の多くは、国際的な安全保障秩序への負担も、グローバル経済の副作用にも拒絶反応を示すようになったのです。これがトランプ現象の背景であり、もしトランプがいなくなっても、アメリカの有権者は別な代弁者を探し出すでしょう。

 紛争の火種はそこら中に埋まっています。それをアメリカを中心とした国際社会が漬物石のように押さえ込んできましたが、アメリカがバックレるとなると、地獄の釜の蓋が開くのは目に見えています。そうなったときに、わが日本はどうなるのでしょうか。

 日本が戦後、戦争から目をそらしてこられたのは、決して一国平和主義が優れたものだったからではありません。アメリカの傘の下で安眠が可能だったからです。アメリカにとっての日米安全保障条約体制の重要度から考えて、すぐさま日本が放り出されることは無いと思います。が、これまでのような過保護もないでしょう。日本と日本人は否が応でも戦争の現実を直視せざるを得なくなります。

 戦争の否定的な側面だけでなく、自らの社会や家族をどうやって守るかという、やむなく迫られる側面についても背を向けてきた日本人にとって、戦争の顔は2面どころかもっと多くの不条理を形作ってみえます。それはアレクシエービッチが記録したソビエト女性の体験より過酷なものになるかもしれません。われわれは、正気を保って、最適解を選び続けることができるのでしょうか。

 明らかに、今、戦争は日本人の顔をしていないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?