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自分が正しいかどうか知りたいと思うのは、防衛本能か?

こんにちは、真美です(*´▽`*)

最近、長い文章を書いていなかったので、久しぶりに書こうと思います。noteは、自分の感情の整理にも使っているので、書いた後は結構スッキリしますね(*´▽`*)

以前、「正論」をテーマにお話ししました♪♪(下記note参照です☆)

最近、また「正論」について直面することが多々ありました。それは自分の言っていることが果たして正しいのか・・・というところです。


◆相手が受け入れる姿勢になっているか?

自分が「正しい」と信じていることは、全て過去の経験から来ていると最近になって気づきました。

自分自身が培ってきたものは、色々と負荷をかけて手に入れてきたものです。(私にとって、「負荷」とは時間やお金など、自分が先行投資してかけてきたものを言います。)少なくてもそこに対しては、経験してきた事の為、真実であり、純粋な私の解釈で受け取っています。

しかし、全員が同じことをして、同じ経験を、同じ解釈で受け取れるかは別の話です。私は当たり前のように、自分の解釈で受け取ったものを「正論」だと思っているだけなのです。

私に限らずですが、それを否定するということは、その人の経験してきた人生を否定するのとイコールではないでしょうか?

自分の信じてきたものを否定されるのはあまり気持ちのいいものではありません。だからこそ、「相手が受け入れる体制」になっているかが大事になってくるのではないでしょうか。

◆自分の「正論」が正しいのか?それを知りたいって思う感情は…。

自分が正しいかどうか知りたいと思うのは、結果的にいうと、「正当化したい」と思う自分がいるのだと思います。

世の中の正しいと言われているものは、多数派意見で決まっていることが殆どだと思います。歴史の教科書に本当のことを書かないのも、何を「正しい」としたいかという感情が働いているからです。

誰かが「正論」を創り出していると考えると、あとは、何を正しいと「信じるか」。自分がどういう在り方をしたいか。どういう生き方をしたい人間か。になるのでは?と、最近では思います。

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どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。(どらえもん)

(どっちが正しいかを決着をつける!…それの行き着く先が戦争なのかもしれません。)

◆結局は「認められたい」からくる承認欲求から来ている。

色々とお話しましたが、根本は、自分の言っていることを認めて欲しい!が大きいと思います。

最近知ったのですが、20代~30代は承認欲求が大きくなる年齢らしいです。(学生時代は、周りの友人や先生によって満たされていました。社会に出たら自分で自分を満たしていく努力をする必要があります。)

自分の正論を突き通したい根っこが、「承認欲求」から来ているのだとすると、実は最初にやるべきことは「自分を満たすこと」ではないか?と思いました。

自分が満たされていれば、まず、自分の正論を突き通そうとする前に、相手の言っている事を受け入れられる心構えが出来ます☆彡

相手の話を聞きつつ、「あー、そういう考えもあるのか。」「そう、思っていたのか。」「私も気づかなかったな…改善しよう。」と思えるようにするのは、自分が精神的な余裕がある前提です。その為には、自分が満たされている必要があります。

(※※承認欲求を満たしていくという話は、長くなるのでまた別の機会に話します🎵)

それぞれの信じる「正論」があって、いいと思います。

大切なのは、「相手の大事にしてきたものを一緒に大切に出来る自分か」ということです。

今、改めて、私はそこにチャレンジしていく必要があるんだと感じます。自分自身の正しさを握りしめていても何にもならない。

相手の言っていることを受け入れていく度量があるか試されているな。と日々痛感しています。

次、noteを書くときは、少しでも前進して、成長した自分で迎えられるように、今日もチャレンジしていきます🌟

本日はここまでで🎵(下記、参考資料)

間違ってるんだよ わかってるんだ
あんたら人間も
本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ
正しい答えが言えないのだって防衛本能だ
どうでもいいや あんたのせいだ 

「だから僕は音楽を辞めた」/ヨルシカ





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