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二つの「当事者」-当事者という言葉についてのモヤモヤー

ここ20年近く、この問題をずっと考えてきた。
どうも福祉関係で使われる「当事者」という言葉がモヤモヤする。


20世紀末頃までは「当事者」なんてのは、そうそう使う言葉ではなかった

元々は「コトに当たる人」という意味である。

紛争や事故、災害などといった、複数人が関わる「コト」について、直接関わった人のことを言っていた。

交通事故などで「事故当事者」といった感じで使う使い方だ。

関わりの発端を自分でコントロールできないがために、その「コト」をどう処理するか?については、基本「当事者」の意見や主張を、「外野」の意見や主張より優先すべきというのが、社会常識として、それなりに成り立ってきたように思う。

「当事者」か「外野」かは、ほぼ客観的に判別できる。裁判での「当事者適格」の判別のようなものだ。

ところが、それが、今世紀に入った頃から、妙な使われ方が目立つようになってきた。

身体障害・精神障害関連で使われる「当事者」という言葉への違和感から


私が妙だと思ったのは「困りごとの当事者」といったような表現である。おもに身体障害や精神障害に関係して福祉分野で使われる「当事者」である。

「当事者の声を聞くべき」

といった感じの主張として使われることが増えていった。

私の違和感が大きくなったのは、いわゆる「当事者本」といった書籍が増えていった頃からである。

私は2006年に発達障害の診断を受けているのだが、その2年ほど前から、そういった方面の書籍を読むようになった。そのころがちょうど「当事者本」がブームだったように思う。

ちょっと挙げておこう。

当時、あまり世間に知られていなかった「成人の発達障害」に関してのドキュメンタリー等もテレビで放映されたりもしていた。

テレビで取り上げられる場合は「当事者への理解と配慮が必要」という金太郎飴結論が殆どである。

「引きこもり当事者」「アスペルガー当事者」「不登校当事者」いろんな「当事者」が登場しては「当事者はわかってもらえない」「当事者への理解が大事」を叫ぶ感はあった。

なんか違う…

「当事者」って言葉を使う必要ある?

そう思っていた。

発達障害の自助会にいってはみても「当事者同士だからわかりあえるはず」「社会から排除されてきた当事者同士だから当事者の極端さを許容すべき」といった、謎の空気は全く理解できなかった。

いや、ワシ、案外排除はされていないんだよね。
露骨な排除にあったのは教師が集団主義バリバリだった小学校でのいじめだけだし、とかいうこともあって、「発達障害者はもっと社会から理解されるべき」という発想もそれほど強くない。

いわゆる「当事者の苦しみを理解して配慮せよ」型の啓蒙なんて、そもそも無茶があるだろうくらいに考えている。

「違いがあること」を知ることができても、「理解できるか」「共感できるか」「配慮できるか」「寄り添えるか」は別問題である。

リソース的にムリ!やりたかねえ!とかもまたでてきて当然である。

まずは「当事者研究」から

2010年頃、なにやら、北海道の浦河に、統合失調症者向けのグループホームがあり、「当事者研究」というものをやっているらしいということは、知っていた。

不可解だった「発達障害当事者研究」

私の「当事者」という言葉への疑問を決定的にしたのは、この本であった。

 

「聴覚過敏」は私も盛大にある。「視覚過敏」…まあ、家族にいるのでわからんでもない。温度感覚が鈍くて、ストーブ切れてても寒さに気が付かずに冷えてる…は、ある。

わりと知覚については近い人なのかもしれないなとは思うが…だが、この「まとめ上げ困難」ってのはいったいなんだ?さっぱりわからん。

なにより、発達障害という診断がついたことで自分の正体がつかめて安心したとかいうことはない。

私の場合は「うはは、やっぱりねえ」くらいだったのだ(そもそも、診断受けたのもPTSDの治療のついででしかないし)。

まあ、そんなこんなで、ザラッと斜め読みして放置していた。

自助会での要望から「読み直す」ことに

とはいえ、2010年くらいになると、そうもいかなくなってきた。
私が大阪で主宰している発達障害者の自助会で「当事者研究をやってみたい」という声があがったのだ。

こうなると、態度を決めねばならぬ。

そこでそれなりに熟読することにした。
が、やっぱりわからない。

とりあえず「個人の捉え方」に焦点を当てていく手法ではある。

その時点で自意識過剰や自己憐憫でドツボにはまる発達障害者もそれなりに見ていたし「当事者に寄り添うべし」で周囲と軋轢をお起こす例もそれなりに見ていたし、発達障害者同士で「貴様は当事者によりそわんのか」で喧嘩になるケースも見ていたので、「当事者研究」という「個人の内面」に焦点を当てていく手法は、『過去の傷の舐めあいより、建設的な工夫の共有を!』がモットーのうちの自助会向きではないように思った。

なので、あっさりやらないという結論。

とはいえ、私のなかには「当事者研究」ってなんなんだろう?という疑問は残った。
 
べてるの家の当事者研究についてはほぼ知らないままだった。

東日本大震災後の「寄り添い」ブームと「当事者」ムーブ

震災と「弱者当事者」

2011年3月11日、東日本大震災が起こり、そこから福島第一原発の事故が起こった。

「当事者に寄り添った支援」が盛んに叫ばれるようになったのは、震災からしばらくしたあたりだっただろうか。

ほぼ同時期に、脱原発運動も盛んになり「当事者の不安に寄り添え」の声もでかくなる。そして「当事者」が使われる文脈のパターンも増えてくる。

実際の現地の被災者は、「震災当事者」と言っても違和感はないのだが、「放射線の影響が不安な人」を当事者といえるのか?というとなかなか微妙なところだと思う。

しかし、時間が経つにつれ、そういった者も「政府の横暴に対して声を上げる弱者当事者」みたいな、構図になっていった。
 

マスメディアも「当事者」の大合唱である。
まあ、古参のジャーナリストが扇動していた感は否めない。

マスコミの退潮に関して「ジャーナリズムによるマイノリティ憑依」を諫めながらも「当事者の声」を重視すべき…という主張のようだ。 

しかし、この手の主張から増えていったのは

「(自称)元弱者当事者である弱者当事者支援者」
とか
「当事者性があると自認する弱者当事者支援者」

による「新たな代弁合戦」であったように思う。
 

Colabo問題で話題の仁藤夢乃氏の「難民高校生」にふと違和感を感じたのもその時期であった。彼女は「元難民高校生(元弱者当事者)」が「支援にたちあがった」という典型的なパターンのような気がする。

NHKの福祉番組では「当事者に寄りそうべき」ばかりが強調されてくる。
 

私としては、ますます、『「当事者」って何よ?』になってくる。

ああ、どうして私はこう細かいところに引っかかるんだろう?とも思うが、気になるんだものしょうがない。
 

東京の当事者研究事情(2011-2014)

発達障害関係の東京の知り合いから「一般社団法人 発達・精神サポートネットワーク(通称Necco)」というところで、『発達障害当事者研究』の著者のお二人、綾屋紗月氏と熊谷晋一郎氏が「Necco当事者研究会」というものが開催しているという話が伝わってきた。

Neccoは「発達障害者の居場所づくり」で、NHKの福祉番組などにちょくちょくでていた。

それなりに参加者はいたようである。

途中からは「Necco当事者研究会」で「多数派研究」というのもやりだしたようである。

その当時(というより2006年からだが)私もブログで「定型発達者研究」と題したシリーズを書いていた私としては、似たようなテーマを考える人もいるんだな…と思いながら、時折彼らのブログを見ていたりもした。

その記録は、綾屋氏のブログの引っ越しの際に非公開になったので、今それを見ることはできないが、後に出版された「ソーシャルマジョリティ研究」として結実したらしい。

これも読んだが、やっぱり「”当事者”に寄り添うことが大事」って路線のようだ。

まあ、痕跡的に残っている綾屋氏のブログのアーカイブ↓の記述や「書評紹介」「メディア紹介」のおかげで、「当事者」や「当事者研究」という文言がどういう経路で世間に広がったのかのアタリはかなりついたのでヨシとしよう。


なにかと話題の上野千鶴子氏をはじめとした「現代思想」系統の人たちや、東大UTCP、障害者自立支援運動方面、医学書院、NHKが浮かび上がってくる。

関西の当事者研究ネットワーク

2014年、突然あるイベントの案内が舞い込んできた。

私のブログを読んだ、このイベントの事務局の方が、「大阪近辺で当事者研究っぽいものやっていそうな人」とあたりをつけて、ランチミーティングに招待してくれたのだ。

皆目見当がつかなかった「べてるの家の当事者研究」の実態に触れる機会が、向こうから飛び込んでくるなんて超ラッキー!というわけで、さほど遠くもないし、費用もかかんないし…ということで、百聞は一見に如かずだろうと思ってホイホイ出かけてきた。

とはいえ、イベント中のワークショップでの「自己病名をつける」というあたりは、ぶっちゃけやりたくなさが速攻でふくれたのででスルーで済ませた。

やっぱり私にはその「良さ」はわからなかった。ただ、そこにいる人たちが向谷地生良氏を信奉している感じなのは見て取れた。

この謎の熱狂はなんだ?の謎を解明すべく、2016年の当事者研究全国交流集会の運営スタッフになり、さらに、2017-2019年の関西ネットワークの交流集会にも、運営スタッフとして参加。芸がないのもなんなんで、登壇しておそらく当事者研究とは真逆の方向性のワークショップもやってきた(それも「ワシ、当事者研究わかりまへん」のスタンスを堅持したままである。我ながら面の皮が厚いと思う)。

解くべき謎は結構たくさんあった。

Q①当事者研究ってなんだ?
Q②向谷地生良氏を信奉するかのような謎の熱狂の正体は?
Q③統合失調症の人である時期”当事者研究”がうまくいったのはどういうこと?
Q④「当事者」「当事者研究」のルーツはどこ?

①~③については私なりの結論がついた。

A①自己解放のための、個体内面ツッコミ型グループワーク
(解放されたくない人には響かない、個体内面ツッコミ型グループワークに乗れない人であればやっぱり響かない)
A②-1向谷地氏の天邪鬼っぷりを「発想の転換」のように感じる人は少なくなかった。
A②-2向谷地氏は、ある種の人に対しての個体接近が上手いため、統合失調症由来の「危機」へのかなりの対処ができる。
A②-3 精神病を抱える人の家族や、精神科医療周辺の人にとって「A②-2」が奇跡のように映り「救い」として認識されやすいかった。
A③-1「当事者研究」が慢性期の統失さんに対して言語リハビリとして機能した。
A③-2 メディアに取り上げられること等によって資金的な余裕があった。
A③-3 宗教的献身をするメンバーがいた。

このあたりの詳しいところはまた別の機会に回そう。

そして、私が直接関わって知り得たのはこの程度。

・大阪に当事者研究を持ち込んだのは浄土宗の寺院であった(應典院)。
・2016年の当事者研究全国交流集会、2017-2019の関西当事者研究交流集会とも、大阪大学の村上靖彦氏(現象学)が主催として関与していた。
・非公式のプレイベントで釜ヶ崎の貧困支援関係との繋がりがあった。
・非公式のプレイベントで韓国の団体との交流イベントがあった模様(私は行ってないけど)

やっぱり、左派活動団体との繋がりのニオイがする。

だが、本稿の問題は④である。

今日のところは深追いはしないぞ!しない!しないったらしない!

「当事者研究」の社会的な意味合い

さて、「当事者研究」の社会的な意味合いについて考えてみよう。

2020年に『べてるの家』の東京支部のような位置づけであった『べてぶくろ』において、不祥事があったようだ。

これは案外「当事者研究」に近い位置にいた人にとっては衝撃的な出来事であったようで、いまだに時折り話題になる。

そもそも特殊条件以外では侵襲性が高い手法が、適用範囲を無分別に拡大したことによって起こった事件だったように思う。

小山氏は私とはかなり視点は違うが、無料部分に事件の概要がまとまっているので一応紹介しておこう。

告発者とべてぶくろの家の示談が成立したようだが、その問題発生において「当事者研究」の手法が関わっているのに、いまだに『べてるの家』サイドからは、なんのアナウンスもないままである。

流石にムリがある。
ここは「看板を下ろせない」と考えた方がよいのかもしれない。

なぜ彼らは「看板」を下ろせないのか? 

「べてるの家の当事者研究」は「弱者支援」「貧困支援」「居場所支援」における万能看板的な役目を担っていた。

「理念先行」で社会をでざいんしてより良い社会をつくろうという「思想」を「学術的権威」の源にするのには、またとない看板である。

また、行政や福祉団体から助成や支援をうける場合でも、寄付等で資金を募る場合でも便利に使える。

そして行政の「アリバイ的スローガン」としても使い勝手が良い。

さらにいえば、既存の福祉制度などを「古いもの」として批判するのにも非常に便利である。

 


「当事者研究」という用語はどこで生まれた?

「当事者研究」といえば「べてるの家」が総本家…といった印象ではあるが、べてるの家での「ミーティング活動」が1990年代半ばに始まった時点ではそれは「当事者研究」という名称ではなく「自己研究」という名称であったようだ。

結論から言うと、「当事者研究」と名前を変えたのは2001-2002年頃ではないかと推測される。

『べてるの家の「非」援助論 浦河べてるの家 医学書院 2002』という本がある。

この本には「第17章 当事者研究はおもしろい 自分を再定義する試み」という章があるのだが、その記述のナカミには「当事者研究」という用語は出てこず、「自己研究」と記述されている。

もう一冊、同時期に出版された本を見てみる。『とても普通の人たち ベリーオーディナリーピープル 浦河べてるの家から 四宮鉄男 北海道新聞社 2002』。
この本には「自己研究」の記述はあるが「当事者研究」は出てこない。

少なくとも、この2冊の本で取り上げられている「爆発の研究」が発表された段階では、べてるの家の中で「当事者研究」という言葉はなかったとおもわれる。

べてるの家から「当事者研究」を前面に出した本がでたのは、そこからさらに3年ほど経った2005年である。


ところが、2003年に出版された、上野千鶴子・中西正司による『当事者主権』という本には、「当事者研究」という言葉が、当たり前のように出てくるし、べてるの家が「当事者主権」の旗手的な位置づけである。


この「自己研究」から「当事者研究」の看板のかけ替えの流れは、かなり不自然であると思う。

以降「べてるの家」の看板は「当事者研究」にシフトしていった。
「変わったことをやっている精神障害者施設」から「当事者研究の殿堂」となっていくことになる。
 

社会学者・哲学者のべてる詣で

2000年頃、社会学者や哲学者が、浦河のべてるの家に多数訪れていたらしい。鷲田清一、上野千鶴子、大澤真幸、郡司ペギオ幸夫…

仕掛け人には、べてるの家の本を手掛けた、医学書院の白石正明氏であった模様

それ以前から、朝日新聞が取り上げるなど、べてるの家は精神保健福祉方面の新しいあり方として注目をあびていた。白石氏も『精神看護』誌の創刊という社命をうけてのリサーチの中でべてるの家に着目したようではあるが、哲学や社会学方面との繋がりについては白石氏に負うところが大きいだろう。

このあたりの繋がりが「当事者研究」という語の発生源になっているのではないだろうか?
 

立岩真也氏の記述から

社会学者の、故・立岩真也氏は、2014年に「当事者研究」について、商業的に発明されたのではないか?と記述している。

まあ、その可能性はなきにしもあらず…とも思うが、特定まではできないと思う。

■もう一つついでに。「当事者研究」という言葉は商業的に発明されたんではないかと思っていて、それを発明したのは白石正明さんだと思っているのだが――浦河べてるの家 20050220 『べてるの家の「当事者研究」』,医学書院,シリーズケアをひらく――その白石さんの拙著についてのツィート。

http://www.arsvi.com/ts/20141128.htm

同じページに、気になることが書いてあった。

■などという私の書きもので「当事者」という言葉がかなりたくさん出てくるのは、1990/10/25「接続の技法――介助する人をどこに置くか」(安積・尾中・岡原・立岩『生の技法 初版』,第8章)。ちなみにこの章は
<中略>
 そして、この時期=おおむね1990年代の書きものをながめなおすと「当事者」という言葉がずいぶん出てくる。当時すでに私が知っていたかなり限られた業界ではこの言葉は一般的な語であって、私もそれをそのまま使っていたということだ。上記したような理由から、私自身はあまり使わなくなったのはその後のことのようだ。といったことを私はすっかり忘れていて、上野千鶴子の文章に会学者?の書きものにおける「当事者主権」の語が初めて使われたのは拙文であったと書いてあってまちがいだろうと思って調べてみたらあった、といったことがあった。

どうやら、「当事者主権」という語の発明者は実は立岩真也氏で、それを上野千鶴子・中西正司らが、書籍タイトルに使って売り出したということになる。

ちなみに立岩氏はこうも書いている。別段「当事者」という言葉が不可欠と考えているようでもないようだ。

■ちなみに私は「当事者」という言葉をほとんど使わない。理由は単純で(当日もこのことに関連する質問があったのだが)、この言葉には幅があって「こと(事)にあ(当)たる人」ということであれば例えば家族も含まれる。本人だけと家族を含む場合とときに違いは大きい。それが混同されないように、私は「本人」とかでよいと思うので、そのように記している。(ただこのことは誤解・混同がないのであればこの言葉を使うのはかまわないということでもある。)

 

朝倉影樹氏の謎の記述

2005年の日本教育社会学会の発表録にこんな記述があった。発表者は朝倉景樹氏である。

はじめに
 当事者研究、当事者学という言葉がタイトルに入っている本の出版も増えてきた昨今、この学会での議論の流れを知らない報告者の私に対して期待されている報告内容は、タイトルの通りに「現場からの研究とはどのようなものであるか」について実践を踏まえてしょうかいすることであろう。東京シューレにはフリースクール、ホームエデュケーションネットワーク(ホームシューレ)、オルタナティブ大学(シューレ大学)の3部門がある。その中で研究を中心的に行っているのはシューレ大学である。

『現場からの研究(臨床教育社会学の検証2 : 臨床観の交換)  朝倉景樹 日本教育社会学会要旨集57 2005』    

え?

2005年の時点で「当事者研究、当事者学という言葉がタイトルに入っている本の出版も増えてきた」という状況だったかについて検証してみることにした。

国会図書館検索で2005年以前の図書で「当事者研究」で検索した結果が下記。なんと2冊しかない。それもタイトルに含まれるのは一冊のみ。

一応「雑誌」も検索をかけてみたが、以下の通り。9件しかヒットしないし、うち6件が、医学書院の「精神看護」誌である。

次に、時期指定をかけずに「当事者学」で検索してみる。
こちらは、わずか4冊しかヒットしない。

朝倉氏の記述は、実態に即していないのは間違いない。さすがに大げさと言っていいと思う(盛りが激しすぎるわ、ほぼ噓レベルやろこれ)。

朝倉氏が所属していた「シューレ大学」のアドバイザーを見てみると…ああ、上野千鶴子、安積遊歩、平田オリザ、辛淑玉、羽仁美央、最首悟、里見実、大田堯…なかなか錚々たる顔ぶれである。

こうなると「当事者研究」のプロモーションの一貫では?という疑念もわいてくる。

医学書院の白石正明氏も、出版労連のイベントに登壇しているようである。
特に中立的な姿勢を堅持しようという方でもなさそうである。

うん、『「当事者研究」はつくられた』という立岩真也氏の言を支持する次第。

二つの「当事者」

ふりだしに戻って書誌調査

国会図書館サーチで、「当事者」関連語を年代を区切ってキーワード検索してみた。対象は図書に絞った。

「当事者+支援」での検索結果を比べてみよう。
1枚目は1975-1984、2枚目は1995-2004の、検索結果1ページ目である。


完全に毛色が違っている。

以前から使われていた「当事者」という語を乗っ取るようなカタチで、全く違った意味合いでの、障害者自立運動文脈あるいはそれに近い意味での「当事者」が大発生している。

時期としては2000年前後から急激に増え始めている。

以降、旧来の意味での「当事者」を「当事者A」、新興の意味での「当事者」を「当事者B」と呼んでおく。

「二つの当事者」の特徴とその差異

旧来の意味(当事者A)では、「ある案件(コト)に対して」、必然的に利害関係や責任・義務関係が生じる者(第三者が判定できる)を「当事者」と呼んでいたようである。
「当事者か否か」は、必然的に発生するがために、ある案件「コト」に関する紛争が起こった場合、「当事者A」であることは、紛争解決のために法廷に訴えでるための必須条件でもある(当事者適格性)。

だが、新興の意味(当事者B)では「当事者」か否かというのは、あくまで個人に属するもので、ある行為について「主体的にかかわる」という「自認」や「自覚」に基いて「当事者である」と主張するので「アイデンティティ」に近いものである。
「主体的な決定が損なわれている」といった「認識」が伴うと、告発や、回復の権利要求にもつながりやすいが、その場合、第三者から判別がつかない(客観性に乏しい)ケースも発生しやすい。
不思議なことだが、「当事者B」を「当事者としての自覚」や「連帯」を第三者に要求するといったことも少なくない(あー、ほんと不思議)。

図にまとめるとこんな感じになる。

「支援当事者」という謎の概念とピア信仰

べてるの家から始まった「当事者研究」であるが、なぜか「支援者の当事者研究」というものがある。

このあたりは、教育学に端を発するようにも思う。

「障害者支援の主体(決定権者)」を誰と見るかという問題は、
「学校教育の主体(決定権者)」を誰と見るかという問題とほぼ同じ構造をもつ。

長年、左派教育学者は「学校教育の主体」は、子どもと教師であり、教育課程の決定権は「自治的な教師集団」にあるという説をとってきた。

この考え方は「当事者B」の考え方の根源であるかもしれない。

その考えがまだ生きていることの証左が、奈良教育大付属小不適切授業問題に対して、教育学者が発した声明であろう。

竹内常一(教育学者)によると、いじめ加害や非行等の児童・生徒のやらかしは「ピア(仲間)希求」が満たされないことによるアクティングアウトとされ、ケアの対象と考えるきだという。

その実現のためにも「自治的な教師集団が必要」という理屈(屁理屈だ)である。

相似形だといえるだろう。

この考え方は「(前進の)主体的自覚のある者すべてに対して赦しが与えられるべき」という発想であるので「赦しを求める者」が連帯しやすくはあるが、ややもすると無責任を内包しやすいし、同調しない者に対して苛烈にもなりやすいものである。

福祉という「ケア」が主体の場において「当事者B」は必要なのだろうか?

さて、まとめ


①左派障害者運動に近いところから「当事者」という用語が、なぜか使われはじめ、
②2000年前後に、誰かがべてるの家の「自己研究」に対して「当事者研究」という名称を付与し
③上野千鶴子をはじめとする左派文化人がそれを称揚。
④反権力指向の強い「メディア・出版」や「社会学者」「哲学者」「教育社会学者」が盛んに取り上げるなどの呼応し「べてるの家の当事者研究」を後押ししたことで
⑤「当事者研究」「当事者の語り」の過大評価と「当事者」の範囲の拡大が起こり
⑥「当事者に寄りそえ」を叫ぶ一群の「自称当事者(ほぼ支援当事者B)」たちの暴走を招いている。

「当事者B」は、「連帯」を求めるが、個人の心情や自覚をその基礎とするために責任回避的になりやすい。

といったところだろう。

「当事者B」という概念は本当に必要なんだろうか?

精神保健福祉分野のみならず、昨今のジェンダー論争、弱者支援論争、ALPS処理水放出問題を見るに「当事者B」概念は、もはやエコーチェンバーの元という害毒にしかなっていない気がする。

とりあえずもう一回叫んでおこう。

混ぜるな危険!
気を付けよう、甘い言葉と当事者B!

 


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