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MeTooが居場所を破壊する 「べてるの家」の炎上について

これでもう「居場所」は消える。

そう思わせられる出来事が現在進行中だ。

「当事者研究」で有名な精神障害者の地域コミュニティ「べてるの家」が炎上している。

発端になったのは5月26日に公開されたこちらのnoteだ。

「べてるの家」をご存知でしょうか

このnote記事記事によると、告発者のpirosmanihanaco氏は2015年ごろからヘルパーとして「べてるの家」の関連施設である「べてぶくろ」を手伝うようになっていたらしい。住み込みで働く最中、「べてぶくろ」の関係者であるA氏からキスをされる、性行為を持ちかけられるなどのセクシャルハラスメントを受けたらしい。

そのことについて「べてぶくろ」のスタッフR氏に相談したが、告発者の望む対応は得られず、より上位の責任者に相談してもそれは変わらなかったらしい。

そのような事件が(氏の主張によれば)2015年にあり、そこから5年経って、その経緯についてnoteで告発した…というのが事の顛末のようだ。

このnoteの「告発」を受けて、案の定というべきか、「べてる」周りのメンタルヘルス業界人は天地がひっくり返ったような大騒ぎを演じている。

「当事者研究ラボ」では

2015年にべてぶくろで起きた性被害に関する特設ページ

を開設。

当事者研究の分野で主導的な役割を果たしている熊谷晋一郎氏による経緯説明と謝罪、今後の対応について書かれると共に、同分野における権威のひとりである斎藤環氏のコメントも掲載された。

そして「特設ページ」は、かなりのボリュームがあるページにも関わらず、開設からわずか1時間余りで閉鎖された。現在はWEBアーカイブからのみ読むことができる。

さて、極めて現代的な事件だと言わざるを得ない。

批判すべき点がふたつある。

①典型的なmetoo的誤謬を犯している点
②「責任追及・再発防止策の導入」という「規律と管理のルール」を導入しようとしている点。

この二つだ。①を中心に説明していく。


典型的なMeToo的誤謬

今回のべてるの騒動は、2017年以降に全世界を席巻したMeToo的な誤謬をそのまま踏襲していると言える。

MeToo的な誤謬とは、まず第一には法律の軽視だ。

いかなる犯罪者であれ、法律の定める適正な手続きを抜きにして刑罰を課されてはならない。これは法治主義の大原則だが、MeToo支持者は法律の定める手続きではなく、私刑によって目的を達成しようとする傾向がある。本件についてもそれは全く同じだ。

性被害に合ったというなら、訴え出るべきはnoteではなく警察だ。そこで事実関係や背後の事情を捜査され、裁判によって罪の重さが吟味され、はじめて刑罰が下されるべきだ。それは法の適性手続き(デュー・プロセス)という刑事法の大原則だ。

しかし今回の告発者は、警察に訴え出ることではなく、SNSで告発することで目的を達成しようとしている。裁判所の法廷ではなく、世論の法廷で被疑者を裁こうとしているのだ。

第二のMeToo的誤謬は、告発者の特権化だ。

大多数の先進国では、公平性を確保する方法を数世紀かけて発展させてきた。そこでは被告は有罪が立証されるまでは無罪であると推定されてきた。しかし現在のMeTooムーブメントは、告発者(そのほとんどは女性だ)を無制限に信じ込むことによって、推定無罪という根本的な原則をないがしろにしようとしている。

「2015年にべてぶくろで起きた性被害に関する特設ページ」

というページのタイトルを思い出してほしい。なんら公的な捜査がなされていないのに、既に「起きた」性被害であると断言している。ページ内で語られている熊谷氏、斎藤氏のコメントにしても、全て性被害が告発者の証言通りに起こったことを前提に話が進められている。

臨床の現場においては当事者の訴えをまず飲み込むことが重要なのかもしれないが、本件は刑事事件の現場である。なんでもかんでも当事者の鵜呑みにすればよいというわけではない。被害者がいれば、被疑者もいるのだ。声をあげる一方にのみ肩入れして声を上げられない他方を無視するのは、公平な態度とは全く言い難いだろう。

当たり前の話だが、全ての被疑者は裁判によって罪が確定するまでは無罪の者と同等に扱われるべきであり、裁判によって罪が確定した以降も、あらかじめ定められた法の定める裁きのみが下されるべきだ。

これらの指摘は法治主義に立脚するならあまりにも当たり前の前提だが、MeTooムーブメントはこの「当たり前」を破壊しようとしている。そのMeTooの波が、ついに本邦のメンタルヘルス業界にまで到達してしまったのだ。

「べてる」はその浸食の第一波であり、今後も似たような告発は出続けるだろう。公平な調査を介さず、告発に依ってのみ対立者の社会的生命を終わらせられるという誘惑は、犯罪被害者だけではなく、邪な気持ちを持つものも揺さぶり続けるだろうからだ。

MeTooムーブメントがメンタルヘルス業界を襲った結果、一体何が起こるのか。もちろんその行き着く先はコミュニティ的実践の不可能化だ。少なくとも男女が混合して行われるコミュニティは、厳しい逆風に立たされることになる。

実際、欧米のMeTooムーブメントがもたらしたのもコミュニティの破壊だった。疑惑だけで告発され、告発だけで社会的生命を失うなら、「そもそも疑惑が生じないように他人(主に異性)と接触することを避けよう」という結論に至るのは極めて自然なことだ。

MeTooが猛威を奮った後、米金融街では

・女性の同僚と夕食を共にするな。
・飛行機では隣り合わせで座るな。
・ホテルの部屋は違う階に取れ。
・1対1で会うな。

という新ルールがにわかに勃興したが、同じことがメンタルヘルス業界にも起こる可能性は極めて高い。

互助会、当事者研究、オーブンダイアローグ、このようなコミュニティ的実践は、今後ますます不可能化していくだろう。少なくとも男女混合で開催するのは難しくなる。「べてる」は聖書的伝統に立ち男女の混合を重視する珍しいタイプのコミュニティだったが、このような場が真っ先にMeTooの飛沫を浴びることになったのは恐らく偶然ではない。

人と人が交わることが不可能化される未来。それはまさしく2020年的ディストピアだ。

「居場所」をテーマに3年ほど活動を続け、ジェンダーにまつわる男性差別的限界を理由に活動から降りた自分としては、本件は他人事とは思えなかった。

他人と関わるコストが極大化していく世の中で、それでもなお他人と関わり続けるのは可能なのか。

自分の見通しは暗い。


【続稿】
・不潔な共同体と、清潔な監獄 「べてるの家」についての補論

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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