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ジャーナリズムのあり方と道徳に関して考えさせられた悲喜劇『グロリア』

The Royal Academy of Dramatic Art (RADA)のドラマスクールの生徒たちが素晴らしい演技を見せてくれた。ロンドン中心地ブルームズベリーにある、RADAのJerwood Vanbrugh Theatreは、小さいながらも美しい舞台設営で、役者さんたちの声だけでなく、表情までもしっかりと堪能できた。今回は、メディアだけでなく、スカウト事務所の人たちもオーディエンスにいたようで、ここから大きな舞台へと旅立っていく若者も多くいるのだ、と確信。このようなところで、若い才能を堪能できたことに感謝せずにはいられない。


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舞台はニューヨークの出版社。野心的な20代の若者たちが編集アシスタントとして働き、30歳までに編集者になり本の契約を結ぶために奮闘している。

編集アシスタントの一人であるディーン(パトリック・フスコ)は、ある日仕事に遅刻してくる。しかも二日酔いで。というのも、前夜は、同出版社で長年働くグロリア(シャーロット・ラクストン)のハウス・ウォーミング・パーティーだったからだ。ディーンは他の同僚もパーティーに参加すると思っていたにも関わらず、ゲストは彼を含めてたった4人。同僚のアニ(マヤ・ラヴデイ)や、ケンドラ(タエ・ユン)は、グロリアは同社に務める先輩ではあるが、昇進が見込めないコピー部門で働いているため、彼女を「感情的なテロリスト」と呼び、半ば馬鹿にしている。

若い編集アシスタントたちは、インターンであるマイルズ(リー・シモンズ)をスターバックスにコーヒーを買いに行かせる役目だけを与え、マイルズがヘッドフォンをしていて話が聞こえないのをいいことに、上司の悪口を言い合い、互いを貶め、喧嘩を繰り返す(実際はしっかり聞いている)。

ファクトチェッカーのロリン(ステファン・ブレナン-ヒーリィー)は、日常的に口論ばかりを繰り返すアシスタントたちに静かにするよう懇願し、その上仕事のストレスで神経が参ってしまっている。

このような混沌とした状況の中、オフィスで大惨事が起きてしまう。

ネタバレあります。

第二幕では、その悲劇から8か月後、生き残った二人の編集アシスタント、ディーンとケンドラがスターバックスで再会するところから始まる。二人はそれぞれ、その実体験をメモワールをして執筆し、出版契約を結ぼうとしていたところだった。ここでもしのぎを削り合う二人。お互いに自分の執筆に影響が出るのを恐れて、それぞれを侮辱し始める。

2年後、舞台はLAのテレビ制作会社に映る。あの運命の日に雑誌社で起こった大惨事に関するメディアの反応を利用して、例の書籍がドラマ化されることになったのだ。

では、最終的に、この大惨事を書籍化したのは誰だったのか?そしてその内容は関わった人たちへの敬意を払い、事実を語ったものだったのだろうか?

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現代劇作家ブランデン・ジェイコブズ=ジェンキンス原作の『グロリア』は、2016年のピューリッツァー賞ドラマ部門の最終選考に残った悲喜劇である。ジェイコブズ・ジェンキンスは、20代の頃にニューヨーカー誌の編集アシスタントとして働いた経験があり、雑誌の世界観だけでなく、一見華やかだが競争が激しく、概して報酬の少ない仕事に惹かれる人物像もよく理解している。

有害で搾取的な職場で競争する若者たち。だが、この作品が描いているのは、野心的な若者たちが地位を争い、お互いを出し抜こうとしている様子だけを描いているのではない。実際、2時間の劇中に多くのことが詰め込まれており、今日のジャーナリズムの世界に残された価値とは何なのだろうか、という問いを投げかける。そして、この嘆きが、唯一のモラルを持ったファクトチェッカーであるロリンによって語られる。

予期せぬ事態が起こったとき、あなたは自分の名前が世に出るような印刷物のために、何でもするだろうか?

ジャーナリズムを悲痛な観点からとらえた、非常に考えさせられる作品だった。




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