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9月27日 プラトンの「パイドン」と魂の世話。そしてNMD=No Monery Day.

今朝の体重63.1kg、体脂肪7.7%。昨晩はアサヒ黒ビール500mlと水1リットル!を飲んで下っ腹がパンパンであった。多分それだけで1.5kgはある気がするのでそれが一晩寝て減ったのだろうか。

一人で暮らす部屋にはWIFIを入れていない。携帯のデザリングでIPADとKINDLE FIREを使っている。だが1か月で30ギガ。これが月末でいつもぎりぎりになるのだ。

まあ、POKEMON GOをIPADで常時接続だが、これはそれほどギガを喰わない。YOUTUBEも思ったほど喰わない。一番喰うのはアマゾンプライムだ。

リセットは毎月21日。あと5日のこしで2ギガしか残っていなかったので、仕方なくFIREの使用はやめて、IPHONEでYOUTUBEやアマプラを見ている。

FIREの画面が比較してデカいのと、なぜかFIREで見るとYOUTUBEの広告の入りが少ないのだ。理由は不明だが、IPHONEは広告を消すのが面倒だ。

ということで、本を読んだ。IPHONEとIPADはポケGOで、FIREはお休み。いつもはここでFIREなのだが、すぐに時間が溶けて夜中になる。

本をよむと、面白かった。

ギガがあったらこの本は読めなかった。いや、読めるかもだが、YOUTUBEやアマプラを見ながらの読書だと、なかなか意味が脳に届かないのだ。

本当はここでサイゼリヤなどに行くと結構本が読めるのだが、最近はできるだけ「NMD」=No Money Day を目指そうとしており、出来るだけ自炊にしようと思っているのだ。

結果的にギガが払底することで、本が読めたことになる。こうした物理的?具体的な制限が、結果的には麻薬的なYOUTUBEやアマプラからの離脱に役だった、ということである。

さて、最近KINDLEでぼちぼち読んでいる「パイドン」。




即ち、 私 たち を 配慮 し て 下さっ て いる のは 神 々 で あり、 私 たち人間 は 神 々 の 持ち物 の 一つ に すぎ ない と(注)

(注)  神 と 人間 の 関係 を 羊 飼い と 羊( 持ち物) に 喩える こと は、 ギリシア では 普通 で あっ た。

知 を 愛し 求める 哲学者 は、 他 の 人々 とは 異なり、 肉体 との 交わり から 魂 を 最大限 に 解き放つのだという ことはあきらかではないか。

プラトン. パイドン~魂について~ (光文社古典新訳文庫) (Kindle の位置No.399-400). 光文社..



当時ギリシャの考えでは、人間は羊飼いの所有物である羊と同様に神の所有物であり、肉体と魂は別のもので、肉体の軛を(生前に知を愛することで)逃れた人は、自身の魂を最大限に解き放とう、自由にしていよう、と思うものだと、文中のソクラテスは語る。

様々な欲に絡み取られることは、畢竟面倒くさいものであり、だが本来動物としての「生きる」に連なるものが「欲」であると思うと、そこから解き放たれる、というのはなかなかに大変だ。

そのあたりをソクラテスは「魂の世話」といったのであって、その前段に「欲を捨てて、あるいは超越して」そして「魂に向き合おう」といったのではないか、と思っている。

肉体と精神が果たして別なのか、単なる臓器(含む脳)の反射なのかはまあよくわからないが、なんとなく肉体とは別にありそうな気もしなくはない。

まあ、そこからだろう。あくまで精神というか「魂」なんてものはなく、プラトンの生きていたころのギリシャでも普通は肉体と同時に消滅する、という考えが普通だった、というのだから。

(NMD,たまに達成できる日があります。)


お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。