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6月23日 すみませんがやっぱり匿名。匿名とは一般民のマスクマン化か。

昨日は12000歩ほど歩いた。昼もプロテインだけだったので、帰宅直後の体重は62.8kgであった。

反動で夜混ぜ込みご飯を3杯食べて、今朝の体重は63.7kg、体脂肪も13.7%とヤバイ感じであった。だがまあ、一時は62キロ代まで落とせたのでよかった。先週始めは確か67キロ近くあった気がするので4キロは落ちてきた感じだ。

あと、最近ちょっときを付けていることは、”足を組まない”。
私は基本新幹線ではずっと足を組んできた。
なんとなく、姿勢が組んだ足で保持しやすい、と感じるからだ。

だが足を組んだ姿勢は非常に不自然である、ということを知った。考えてみればたしかにそうだろう。

ということで、今日の新幹線では、できるだけ足を組まないようにしてみた。

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国家の輪郭を形作るものはいかなる場合にも外部からの侵略者であり、端的にいえば他者である。

国家について確実にいえることは、ただ二つしかない。すなわちいかなる国家も暴力に他ならず、いかなる国家もやがて滅びるという事実である。

P.149 人・中年に至る 四方田犬彦

神聖な威信も歴史的な必然もないのだとすれば、それでは具体的に国家をどのように了解すればいいのだろうか。
わたしの意見は簡単である。法律の適用範囲にすぎないと見なすことだ。

P.153 同上

引き続きこの本を読んでいる。

人、中年に到る
人、中年に到る
作者:四方田犬彦
白水社
Amazon

なかなか読み飛ばせない、著者がそれまでの人生で感じてきたこと、考えてきたことがつまった書である。

同書では、匿名の文章は認めない、と強く作者は表明されている。
私はここでは匿名であるし、いわゆるネットで実名でなにかを書こうとはあまり思えないし、思ってこなかった。
なので、FACEBOOKも基本やらない(まあ一応インスタ連動にはしているが)。昔実名でしかできない?というような認識だったので、いちサラリーマンとしてなかなかしんどいな、とずっと思ってきたからだ。

匿名でない形で文章を発表できることには敬意を感じる。書いたことへの矜持がある、と思うからだ。では私はそう思うのであれば、責任ある文章を記名で書くことができるのか。

直観としては、やはりしんどい。

いわゆる学者や研究者は基本記名であろう。学者で別途ペンネームでエッセイを書く、ということなどもあるだろうが。

私がすきな”フィオナ・マクラウド”は女性作家の体で作品を発表していたが、死後男性作家であることが明らかになった。この場合、男性としての作家業もあったので、なんというか複雑な内面を感じてそのことも含めて興味が湧くのだ。

大正時代、女性が作家業、それも翻訳を行う、ということが少なかったこともあり、片山廣子は松村みね子名義で翻訳本を発表した(上記のフィオナ・マクラウドの”かなhしき女王”は、私の中で暫定素晴らしい翻訳文1位である)。短歌などは本名だった。

たまたま出会った少女の傘に書いてあった名前を拝借した、というから、それこそ匿名性を得ようとしてのことであろう。

匿名がイカン、矜持を持ち責任をもって文章を発表せよ、といわれれば、スンマセン、できればそのほうがいいですよね、という思いはもつものの、やはり直観としてはしんどくてできない。

思うに普段の活動・生活に根差した文章発表であれば、より実名発表が行いやすいだろう。
普段しがないサラリーマンが、日々の雑感を書いているこんなところでは、どうしても匿名にしたいと思うのが私だ。

レスラーになれる身体能力と身長があっても、是非マスクマンになりたい、と思う位だし。

いわば日々の精神が、かりそめのマスクや変化体をまとえるのが、”匿名性”のいいところだ。

そのバーターとして垂れ流す憎悪やヘイトの温床にもなりうるのはわかる。
まあ、でも個人的にはできるだけヘイトにならないように、とほほや失敗談、行っても”ルサンチマン”程度にて、やっていければと思っている。

引用した文章、仕組みとしての国家、当たり前のものともはや感じる国家が、実はもろいものだ、という気付きを貰った。
仕組みと言えば、会社員なら会社であろう。

ここから一旦匿名で仮りに自由になった気になっているのだ。

所謂会社から離れることができるようになったのなら、あるいは実名、あるいはマスクマンの顔出し、ということもすこしは可能性があるのかもしれない、と定年後の生活を顔出しでご報告されているYOUTUBERの映像をヘビーローテして、

思った。

(マスクマンのマスクはぎ、というギミックは、わかっていてもメチャ興奮しますねー)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。