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やり直しアオハル!体育祭。

高校生の息子くんの体育祭。
校長先生からの挨拶
「3年生の皆さんは人生で最後の体育祭になります」
うちの息子くんは2年生。後残り2回の体育祭。

去年の体育祭。
高校入学。寮での生活がスタートして、夏が過ぎて。
少しづつ離ればなれの生活に慣れてきたけれども。
息子くんのことが心配で。心配で。
そんな中での体育祭。
彼がお友達と楽しそうに笑っているのを見ただけで、ほっとして涙がポロポロポロポロこぼれ落ちた。

野球部の息子くん。今回は大会期間中の体育祭だったので、彼が参加できる競技は少しだけ。
それでも、それでも息子くんの体育祭。
息子くんと一緒に参加したくて朝から見晴らしの良い場所を陣取った。

息子くんと離ればなれのこの一年。
ここぞとばかりに仕事三昧。自分の『淋しさ』を仕事でごまかしていた時期も乗り越えて、自分で何とか『淋しさ』をやり過ごせるようになっていたわたしに気付く。

離れていても大丈夫。
息子くんなら乗り越えられる。
息子くんの周りには一緒に乗り越える『友』や仲間も沢山いてくれる。
彼ならきっと何とかできる!!

そんな風に信じて止まない息子くんの底力。
『親が親として育つ』
私も高校生のママとして少しづつ成長しているのかもしれない。
「なかなかやるじゃんわたし!」
自分の親としての成長を感じられた体育祭。

週末、お友達がnoteの感想を送ってきてくれた。
彼女曰く、子どものセレモニーなどの行事は「かつて子どもだった大人のためにあるようなそんな気さえしている」と綴ってくれた。
子ども達の学校行事は、親に子ども達の成長を気付かせてくれたり、親が自分の『こころ』や感謝の気持ちに立ち止まり向き合う為。
そんなステキな気付きを送ってくれた、子ども思いも優しいママさん。

私は中学生の頃腎臓の病気になり、それ以来高校時代まで体育は全て見学になりました。
体育祭は入院していたか自宅療養していたか。
まともに参加出来たことがありません。

当時
私は自分の『こころ』に蓋をした。
「みんなと一緒に体育祭に出たい!」
そんなことを感じようとしたこともなかった。

ママやおばあちゃんに心配もかけたくなかった。
「体育祭出れなくてラッキー」とわざとおどけて見せたりもした。
私は自分の『こころ』に嘘をついた。

「本当はみんなみたいに楽しみたいよ・・・」
そんな気持ちに気付いてしまえば、自分の『こころ』は壊れてしまっていたかもしれない。

今、想う。
きっと
私は「淋しかった」「悲しかった」

私の病気は原因不明で小児難病指定のネフローゼ症候群。
特に中学生の女の子でこの病気になるのは希だそうだ。

息子くん達が高校生になるまで、ずっと私は心配し続けていた。
原因不明ということは、息子くん達にも私の病気が遺伝しているのではないか。
私のせいで、私のように入院してしまうのではないか。
私のせいで、私のような悲しくて淋しい思いをさせてしまうんじゃないか。
ずっとずっと心配していた。
「私のせいで・・・」

体育祭。観覧席のママを見つけて、遠くからニヤッと笑った息子くん。
日に焼けて真っ黒な顔に真っ白な歯がのぞいた彼の楽しそうな笑顔に私の『こころ』は癒やされる。

あぁ。
息子くんをここまで健康に大きくしてくれた!神様ありがとう!
大切な大切な息子くん。健康に育ってくれてありがとう!

体育祭の思い出のない「かつて子どもだった」わたしの。体育祭の思い出を息子くんが一緒に作ってくれている。
息子くんのおかげさま。
そんな大切な学校行事を一緒に作り上げてくれる先生方にも心からの感謝!!

来年は息子くんと、ママとしてのわたしの「最後の体育祭」
彼の青春時代に寄り添わせてもらえる幸せ。
一瞬一瞬を大切に。。。


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