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noteの海を泳ぐ優しい魚

 noteの利用者数は2020年時点で6300万人なのだそうですね。(新しい情報でなくて申し訳ありません)他のSNSを凌ぐ勢いで成長しているプラットフォーム。


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 ぼくは歌人の穂村弘さんが好きで、穂村弘さんが在籍されている「かばん」という結社に入会したことがありました。ずいぶん昔の話です。(穂村さんにはお会いできませんでした)

 穂村弘さんは、「かばんの人々の中には優しい空気が漂っている」というようなことをご自著の書籍で書かれていたことがあります。(疎覚えの引用で申し訳ありません)

 ぼくも初めて吉祥寺での歌会に参加したとき、参加者の皆さんに同じ印象を抱きました。ユニークで温かくて、多様性の中の同一性があり、静かに時間が流れていました。素敵な人ばかりでした。ぼくと同じ時期に入会されていた女性が、とてつもない才能で驚いたことを覚えています。ひとつひとつの短歌が瑞々しかった。彼女は今、どうされているのでしょう。歌人として開花したのでしょうか。

 優しさ。
 僕はnoteにも同じような印象を抱いています。

 文章という磁場特有の空気なのでしょうか。それとも何かの引き寄せなのか。

 みんな、それぞれに、それぞれの立場で人生に奮闘して、または静観して、本当のことを書いている。暮らし、思い、気づき、だから詩などのクオリティも、とても高いものが多い。

 人生、本当のことと独自な言葉に広がる枝葉の内側の内側からは必ず優しさが見えてくる。人の想いにふれることができる。これはとても貴重なことだと思います。


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 20年ほど前、「水槽の中で」という歌を親しかったアーティストに書いたことがあります。現代の生きづらさ、今を生きる女性の願いを歌で表現しました。深い哀しみのある歌でした。やがてアーティストは、この歌のタイトルを「表裏」にしたいと話されました。

 ぼくたちが生きているこの世界は、現実と言われているような現象だけを見てみると、まるで囲われた水槽の中にいるような気持ちになってしまうことがあります。とても小さな世界であるかのように感じてしまいます。

 向こう側は見えている。ガラスの壁の向こうへは行くことができない。誰かにすくい上げてもらって、綺麗な水の水槽へと移動してもらえることもあるかもしれない。水を取り替えてもらえることもあるかもしれない。または、放置されたままでどんどん濁っていくのかもしれない。先の見えない錯覚に陥りそうな、一抹のさみしさがあります。



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 noteだってSNSのひとつのかたちなので、当然、制約、世界の幅、限りがある。広がり続けているグラウンドでありながらも、世界の全てではない。

 それでもぼくはnoteの世界から、日々の暮らしのような水槽のイメージではなくて、精神の場を渡らせる海のようなイメージを感じています。この感覚を笑われるようなこともあるかもしれないけれど、本当にそう思う。この海はインターネットでありながら広い。

 ここでは多くのユーザーが、普段の生活では話したりしないような率直な本心を語っている。ぼくたちは、伴侶、恋人、家族、仲間などへと届けられるはずの誰かのラブレターを読んでいることもあるし、気づいたことを伝えたいという、優しさにふれていることもある。喜び、かなしみ、さみしさ、怒り、発見、願い、祈り、想いは伝わる。
 誰かの何かを伝達糸として。必ずやがて伝わる。たとえ怒りであったとしても、その奥には優しさがある。

 自分では体験することのできない様々な方々の立場から見える世界を感じることができる。励まされることも多いです。この人と会いたい!会ってみたい!と思えるような人もいる。

 他のSNSでは、写真を見ることで何を食べたかがわかる。noteでは、文章の内側から、そのとき、どんな会話をして、何を思ったかがわかる。楽しさがわかる。有意義さがわかる。
 他のSNSでは、写真を見ることで行った場所の風景がわかる。noteでは、その場所で、どんな体験をして、何を学んだかがわかる。


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 海が多層でできているように、noteにも深海もあれば、海水浴場の表面みたいな場所もある。それぞれに生息している魚たちがいて、自由に泳いでいる。類は友を呼んでいる。



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 真実の語りがいま、このときも静かにnoteの海を泳いでいる。多くのユーザーが心の内側を見せようとしている。精神的な苦しみを抱えている人も、癒そうと動いている人も、理解できない人も、理解する人も、家族愛に囲まれている人も、世間から見放されたように感じている人も、仕事に成功しているといわれている人も、成功したいと頑張っている人も、成功をあきらめかけている人も、意気揚々と夢を歩む人も、年齢も幅広く、誰もが普段は人に言えないような心の内側を書き留めている。



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 現代は自己肯定感の低い若者が多いと聞きます。真偽のほどはおいておいて、自己肯定感の低さは、自分の内側への理解の少なさと、やはり、深い場所での心の交流の少なさにあるのだろうと思います。

 どんなに友達が少なそうに見えていても、いつも本気で向き合って、奥深いところで交わりあっている人もいれば、どんなに友達が多そうに見えていても、実際の心はふれあえていないような人もいる。

 あらゆる精神的な不調の原因は疑いの心にある。比べあいや格差が疑いの温床となることもある。育ってきた環境が作用することもあれば、社会的環境の変動からということもある。noteでも他者を羨むことはありえると思います。それでも、いまのところ、そこに冷たい風は吹いていないようにぼくは思っています。たとえそんな風が吹いたとしても、それを楽しめるかどうかは自分次第。人の本当の温かさを誰もが求めている。みんな助け合いたいと願っている、向上したいと願っているのだということを感じ合い、そのような文章にふれあえるというのはとても良いこと。

 noteを泳ぐ魚たちの言葉を読んでいると、人の優しさの本当が見えてくる。今を生きる気持ちが見えてくる。みんな同じなんだってことがよくわかる。

 人なんて、様々なことのタイミングが違うだけで、大きな差なんてない。

 誰もが、人生をより良くしたいと、良い人でありたいと願いながら生きている。


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 ぶっきらぼうに見えたり、性格を疑ってしまいそうな言動に見えたことの奥に、その人なりのジンクスがあって、相手のことを思い、より良くしたいために絡まってしまい、こじらせてしまっているということもある。魚たちの本心が見えてくることもある。


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 おすすめ全部を読むことはできないけれど、どの投稿も、僕はスキを押したいし、中には1000回スキを押したい!と思うような投稿もある。胸が熱くなるような、優しい投稿がたくさんある。

 いいなあと思う。

 ぼくたちの人生は、精神の場と、フィジカルの場の二つが交わるところにある。フィジカルを鍛えれば、身体が逞しくなり、仕事能力なども向上する。同じように、精神の場が澄み渡り美しさで濃密になれば、おのずとフィジカルな場は浄化され、現実化されていく。



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 ぼくも、noteの海を泳ぐ魚として、この世界を楽しみたい。どんな景色を見ることができるのか、どんな仲間に出会うことができるのか。自分がどんな形をしているのかは自分で見ることはできなくても。

 ときには太陽の輝きが神秘的な揺らぎになって癒してくれることもあるでしょう。同じような魚たちとダンスを踊ることもあるかもしれない。美しい螺旋を描けるかもしれない。

 何があろうとも、人生は、人は、良いものなんだって、気づかされる広い広い海。優しさが泳ぐ海。

 いつもお読みいただきありがとうございます。   

 6300万分の1の確率で、僕を見つけていただきありがとうございます。

 あなたが幸せでありますように。


Makoto ATOZI

作詞家 阿閉真琴 Makoto ATOZI ーProfileー

2000年、平井堅『楽園』 以後、様々なアーティストに歌詞を提供。

2009年、嵐『ONLY LOVE』は、 『ARASHI All the BEST! 1999-2009』(ベストアルバム初回限定盤)内にて、 嵐メンバーが選ぶ10曲として選ばれ収録されている。

V6『ありがとうのうた』(ASZ-PROJECT) Triplane『アイコトバ』(共作 ダイドーコーヒーTVCMソング) Kity GYM『フィーバーとフューチャー』(共作 バレーボールワールドグランプリ2006イメージソング) BENI『Cherish』(名古屋鉄道ミュースカイCMソング) などのヒット曲を書く。


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