オマエには関係ないだろ、口出しするな、とイエスは言っているのだろうか?
いろんなことを気にしながら生きているわけだけど。。。
気にする主要なことは、やっぱり、他者との関係だよね。
いろんな関係があるけど。。。
究極的には、自分と隣人との関係、そして、自分と神との関係。この二つに集約されるんじゃないかと思う。
今日の聖書の言葉。
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
マタイによる福音書 22:37 新共同訳
まず、自分と神との関係。
自分は自分のすべてを尽くして神を愛するべきだ、という。。。
しかし、なんでまた、そうしなけりゃならないのか?
その理由は、神が神のすべてを尽くして自分を愛してくれているからだ。
神は神のすべてを十字架上で注ぎつくし、与え尽くし、使い尽くし、命果てるまで、自分を愛してくれた。
神は神のすべてを自分に与えた(完了形)というか、いまも与え続けている(現在進行形)というか、これからも永遠に与え続ける(未来形)。
驚くべきことに、神が自分を所有するのに先立って、自分が神を所有しているのだ。
この先行する事実に根拠して、いま、神は自分を所有することができようになる。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして
あなたの神である主を愛しなさい
次に、自分と隣人との関係。
自分は自分を愛するように自分の隣人を愛するべきだ、という。。。
じゃあ「隣人」って、だれよ? 隣人の定義って、なに?
この質問に対し、イエスはサマリヤ人のたとえを語り、「あなたが出会うすべてのひとが隣人だ!」という定義不可能な定義を示した *。
この、定義不可能な定義、というのは、よくよく考えると、スゴイことだ。
つまり、ひとたび出会ったなら、相手がどんな相手でも。。。無神論者でも、クリスチャンでも、ムスリムでも、ヒンドゥーでも、だれであっても。。。その相手が隣人であり、だから、自分は自分を愛するように相手を愛さなければならない。なぜなら、隣人だから。。。
でも、どうして? なぜ、そうしなきゃいけないのか?
それは、神が自分を愛しているのと同様、神がその隣人を愛しているからだ、というシンプルな事実による。
そして、神は神なので、このシンプルな事実は、全宇宙をつらぬく普遍的な事実だということになる。
だから、アメリカ国防総省の『UFO報告書』が提出されたいまは、こう言わなきゃいけないね。
ひとたび出会ったなら、相手がどんな相手でも。。。無神論者でも、クリスチャンでも、ムスリムでも、ヒンドゥーでも、火星人でも、アンドロメダ星人でも、シリウス星人でも、だれであっても。。。その相手が隣人であり、だから、自分は自分を愛するように相手を愛さなければならない。なぜなら、隣人だから。。。
さて、ここで気になるのは、じゃあ、神と隣人の関係、もっと広く言えば、神と他者の関係は、どうなっているのよ? ということだ。
神と他者の関係のあるべき姿。それが、あるはずでしょう?
そこ、ちゃんとなってるかどうか、気になるじゃん?
てか、気にしたほうが、いいじゃん?
しかし、これについて、イエスは下記のように素っ気ない回答をしている。
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子(ヨハネ)がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
ヨハネによる福音書 21:20-23 新共同訳
おもしろいことに、神と他者の関係については、オマエには関係ないだろ、口出しするな、しゃしゃり出るな、あいだに入って来るな、とイエスは言うのだ or 言っているようだ or 言っているように見えるのだ。。。
これは、いったい、どういうことなんだろうね?
小一時間反省し、考えた末、こうじゃないか、と想像してみる。。。
他者のことを詮索するのはやめなさい。愛そうとするまえに、相手が愛に値する人間かどうか値踏みするのはやめなさい。シンプルに、神を愛し、自分を愛するように、隣人を愛しなさい。オマエが勝手に条件を定義して、隣人候補のなかから「隣人ではない他者」を抽出して、愛さなくてよいカテゴリーに移し入れることは、やめなさい。
。。。ということじゃないだろうか。
あなたに何の関係があるか
あなたは、わたしに従いなさい
註)
* Cf. ルカ 10:25-37
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